ホルベルト・カブレラ
Jolbert Cabrera野球コロンビア代表 監督 |
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基本情報 |
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国籍 |
コロンビア |
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出身地 |
ボリーバル県カルタヘナ |
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生年月日 |
(1972-12-08) 1972年12月8日(51歳) |
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身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 215 lb =約97.5 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
二塁手、外野手 |
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プロ入り |
1990年 アマチュアFA |
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初出場 |
MLB / 1998年4月12日 NPB / 2005年3月26日 |
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最終出場 |
MLB / 2008年9月28日 NPB / 2006年10月12日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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国際大会 |
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代表チーム |
コロンビア |
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WBC |
2013年 |
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ホルベルト・アレクシス・カブレラ(Jolbert Alexis Cabrera, 1972年12月8日 - )は、コロンビアのボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
登録上のポジションは内野手だが、外野も守ることができた。
オーランド・カブレラは弟。
経歴
エクスポズ傘下時代
1990年7月3日に、モントリオール・エクスポズと契約を結びプロ入りを果たした。
1991年は、A級サムター・フラヤーズで101試合に出場し、1本塁打20打点10盗塁、打率.204だった。
1992年は、A級オールバニ・ポールキャッツで118試合に出場し、23打点22盗塁、打率.228だった。
1993年は、A級バーリントン・ビーズで128試合に出場し、38打点31盗塁、打率.254だった。
1994年は、A+級ウエストパームビーチ・エクスポズとAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは83試合に出場し、13打点7盗塁、打率.203だった。
1995年も、A+級ウエストパームビーチとAA級ハリスバーグでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは103試合に出場し、1本塁打25打点19盗塁、打率.286だった。
1996年は、AA級ハリスバーグで107試合に出場し、3本塁打29打点10盗塁、打率.285だった。
1997年は、AA級ハリスバーグとAAA級オタワ・リンクスでプレー。AAA級オタワでは68試合に出場し、12打点15盗塁、打率.283だった。10月17日にFAとなった。
インディアンス時代
1998年1月19日に、クリーブランド・インディアンスと契約を結んだ。4月12日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。5回裏から遊撃の守備に就き、2打数無安打1三振に終わった。この年は1試合の出場にとどまった。
1999年は、30試合に出場し、打率.189だった。
2000年は、100試合に出場し、2本塁打15打点6盗塁、打率.251だった。
2001年は、141試合に出場し、1本塁打38打点10盗塁、打率.261だった。
2002年3月1日に、インディアンスと1年契約に合意したが、3月25日に15日間の故障者リスト入りした。5月2日に故障者リストから外れたが、6月4日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格。6月16日に再昇格したが、7月11日に再びAAA級バッファローへ降格した。インディアンスでは38試合に出場し、打率.111だった。
ドジャース時代
2002年7月22日に、ランス・カラッチョリとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーしていたが、8月24日にメジャーへ昇格。10試合に出場し、打率.333だった。オフの12月14日にドジャースと1年契約に合意した。
2003年は、128試合に出場し、6本塁打37打点6盗塁、打率.282だった。
2004年1月31日に、ドジャースと1年契約に合意した。
マリナーズ時代
2004年4月3日に、ライアン・ケッチナーとのトレードでシアトル・マリナーズへ移籍した。レギュラーとして113試合に出場した。打率2割7分、6本塁打と打撃面での派手さはないが、本職の二塁だけでなく外野もこなせるユーティリティープレーヤーで、この年も投手と捕手を除くすべてのポジションを守り、守備面でもわずか6失策に留めた。
ソフトバンク時代
2005年1月4日に、前年度オフに井口資仁が退団し、二塁を守れる選手の獲得が急務となっていた福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだ。送球にやや難があり、打撃に専念させる目的でシーズン途中からは外野手での出場が専らだったが、シーズンを通してコンスタントに成績を残し、打率.297と健闘した。本塁打数こそ8本塁打に留まったものの、米大リーグでのポストシーズン出場の経験を活かし、プレーオフでは2本塁打と二塁打3本を放つ活躍をした。
オフには、若手育成を理由に同期入団のトニー・バティスタ、ペドロ・フェリシアーノが僅か1年で解雇される中で残留した。
2006年は、開幕からスタメン出場を果たした。左翼守備は無難で肩も悪くなかったものの、シーズン中に病気で1度戦列を離れたのに加えて、明らかに長打を狙った打撃で調子を崩した。オフの10月14日に、球団側が来期の契約は結ばないことを発表された。11月15日に解雇通告を受けた。
カージナルス傘下時代
2007年1月11日に、セントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ。AAA級メンフィス・レッドバーズとA+級パームビーチ・カージナルスでプレー。AAA級メンフィスでは45試合に出場し、2本塁打8打点、打率.231だった。8月14日に放出された。
ロッキーズ傘下時代
2007年8月16日に、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで19試合に出場し、2本塁打13打点、打率.329だった。オフの10月29日にFAとなった。
レッズ時代
2007年12月18日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。
2008年6月10日に、レッズとメジャー契約を結んだ。6月21日に15日間の故障者リスト入りし、7月17日に復帰した。この年は48試合に出場し、3本塁打12打点2盗塁、打率.252だった。オフの10月7日にFAとなった。
オリオールズ傘下時代
2009年1月12日に、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。AAA級ノーフォーク・タイズで78試合に出場し、打率.262、7本塁打、50打点、9盗塁だった。11月9日にFAとなった。
メキシカンリーグ時代
2010年1月15日に、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、3月28日に放出された。その後、メキシカンリーグのオアハカ・ウォーリアーズに入団した。83試合に出場し、打率.364、10本塁打、63打点、9盗塁だった。
2011年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツで99試合に出場し、打率.300、19本塁打、74打点、2盗塁だった。
2012年は、プエブラ・パロッツで10試合に出場し、打率.147、本塁打、3打点だった。オフには39歳ながら第3回WBC予選のコロンビア代表に選出された[1]。
2013年3月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだが、5月2日に放出された。
現役引退後
2016年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下ルーキー級AZLジャイアンツ(英語版)の打撃コーチに就任し、2017年はジャイアンツ傘下ショートシーズンA級セーラム=カイザー・ボルケーノス(英語版)の監督を務めた[2]。
選手としての特徴・人物
内外野をこなすことができる選手[3]。MLBでは投手、捕手以外すべてのポジションを経験している[3]。ソフトバンク在籍1年目の2005年には前半戦は内野手、後半戦は外野手として出場した[4]。打撃では広角に打ち分けることができる[5]。
明るい性格でチームの人気者だった[4]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1998
|
CLE
|
1 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
1999
|
30 |
39 |
37 |
6 |
7 |
1 |
0 |
0 |
8 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
8 |
1 |
.189 |
.231 |
.216 |
.447
|
2000
|
100 |
187 |
175 |
27 |
44 |
3 |
1 |
2 |
55 |
15 |
6 |
4 |
1 |
1 |
8 |
0 |
2 |
15 |
1 |
.251 |
.290 |
.314 |
.605
|
2001
|
141 |
312 |
287 |
50 |
75 |
16 |
3 |
1 |
100 |
38 |
10 |
4 |
1 |
2 |
16 |
0 |
6 |
41 |
4 |
.261 |
.312 |
.348 |
.660
|
2002
|
38 |
79 |
72 |
5 |
8 |
1 |
0 |
0 |
9 |
7 |
1 |
1 |
0 |
1 |
5 |
0 |
1 |
13 |
3 |
.111 |
.177 |
.125 |
.302
|
LAD
|
10 |
15 |
12 |
3 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.333 |
.429 |
.417 |
.845
|
'02計
|
48 |
94 |
84 |
8 |
12 |
2 |
0 |
0 |
14 |
8 |
1 |
1 |
1 |
1 |
7 |
0 |
1 |
15 |
3 |
.143 |
.215 |
.167 |
.382
|
2003
|
128 |
380 |
347 |
43 |
98 |
32 |
2 |
6 |
152 |
37 |
6 |
4 |
3 |
3 |
17 |
3 |
10 |
62 |
10 |
.282 |
.332 |
.438 |
.770
|
2004
|
SEA
|
113 |
391 |
359 |
38 |
97 |
19 |
2 |
6 |
138 |
47 |
10 |
3 |
3 |
5 |
16 |
1 |
8 |
70 |
13 |
.270 |
.312 |
.384 |
.696
|
2005
|
ソフトバンク
|
131 |
505 |
454 |
53 |
135 |
23 |
1 |
8 |
184 |
58 |
3 |
7 |
2 |
4 |
41 |
6 |
4 |
78 |
17 |
.297 |
.358 |
.405 |
.763
|
2006
|
90 |
375 |
342 |
41 |
89 |
21 |
1 |
8 |
136 |
50 |
6 |
1 |
0 |
4 |
24 |
0 |
5 |
52 |
11 |
.260 |
.315 |
.398 |
.712
|
2008
|
CIN
|
48 |
126 |
115 |
17 |
29 |
6 |
1 |
3 |
46 |
12 |
2 |
0 |
0 |
1 |
8 |
1 |
2 |
29 |
3 |
.252 |
.310 |
.400 |
.710
|
MLB:8年
|
609 |
1531 |
1406 |
189 |
362 |
79 |
9 |
18 |
513 |
157 |
38 |
16 |
9 |
13 |
73 |
5 |
30 |
241 |
35 |
.257 |
.306 |
.365 |
.670
|
NPB:2年
|
221 |
880 |
796 |
94 |
224 |
44 |
2 |
16 |
320 |
108 |
9 |
8 |
2 |
8 |
65 |
6 |
9 |
130 |
28 |
.281 |
.339 |
.402 |
.741
|
記録
- NPB
背番号
- 6 (1998年 - 2001年)
- 10 (2002年)
- 50 (2002年)
- 6 (2003年)
- 12 (2004年)
- 30 (2005年 - 2006年)
- 54 (2008年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク