ブレット・ハーパー
Brett Harper
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Brett_Harper.jpg/275px-Brett_Harper.jpg) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ユタ州ソルトレイクシティ |
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生年月日 |
(1981-07-31) 1981年7月31日(42歳) |
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身長 体重 |
193 cm 112 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
一塁手 |
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プロ入り |
2000年 MLBドラフト45巡目 |
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初出場 |
NPB / 2010年7月6日 |
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最終出場 |
NPB / 2012年8月19日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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ブレット・デイヴィッド・ハーパー(Brett David Harper , 1981年7月31日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ出身の元プロ野球選手(内野手)。
実父はミネソタ・ツインズの捕手として活躍し、1991年のワールドシリーズ制覇に貢献したブライアン・ハーパー。
経歴
マイナー・独立リーグ時代
2000年のMLBドラフト会議において、ニューヨーク・メッツに45巡目で指名され、入団。メジャーリーグ経験は無く、マイナーリーグ通算802試合出場で122本塁打を放った。
2010年シーズン当初はアトランティックリーグに加盟するランカスター・バーンストーマーズ(当時の同僚に仁志敏久とライアン・マルハーンがいる)でプレーした。5月16日からオークランド・アスレチックス傘下3Aのサクラメント・リバーキャッツでプレーしていたが、6月3日に解雇された。
横浜時代
横浜時代(2010年8月8日、横浜スタジアム)
2010年6月14日 - 15日にかけて横浜ベイスターズの入団テストを受け、合格。6月22日にシーズン終了までの1年契約、最大年俸1000万円(出場数に応じた変動制)で合意し、6月25日に入団会見が行われた[1]。背番号は42。加入後直ぐに打線の中核を担い、7月18日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)ではマーク・クルーンから劇的な右越逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。一塁守備で足を引っ張る場面はあったものの、一時は4割を超える打率を残すなど、主に3番打者で起用され打撃でチームに大きく貢献した。一定の数字を残したこともあり、シーズン終了後に年俸3000万円(推定)の1年契約で横浜と再契約を結んだ。
2011年は開幕から打線の中軸として期待され、5番・一塁手で先発出場。5月11日の巨人戦(東京ドーム)で澤村拓一から決勝本塁打を放ったが徐々に不調に入り、この年に途中加入した中村紀洋と併用される事が多くなった。8月下旬からは若手起用の方針から代打での出場が多くなった。9月24日に降格すると早々とシーズンを終えてアメリカに帰国。結局打率こそ一定の成績を残したものの、肝心の本塁打は9本と期待された長打力を発揮できず、11月25日に来季契約を結ばないことが発表され[2]、11月30日に自由契約公示された。
横浜退団後
2012年はメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約。85試合の出場で打率.343、27本塁打の成績を残し、6月28日に自由契約となる。
楽天時代
7月6日、長距離砲を必要としていた東北楽天ゴールデンイーグルスと契約合意[3]。年俸1500万円、背番号は68。しかし打率1割台と低迷、19試合で本塁打0と全くの期待外れに終わり、11月21日、自由契約となった[4]。
楽天退団後
2013年はモンクローバ・スティーラーズでプレー。
2014年は所属球団がなかったが、2015年6月9日に再びモンクローバ・スティーラーズと契約。シーズン終了後の10月21日にトレードでキンタナロー・タイガースに移籍した。
2016年2月2日に解雇となる。3月8日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのセントポール・セインツと契約するが公式戦には出場することなく4月12日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約するが、5試合の出場後、19日にトレードでオアハカ・ウォーリアーズに移籍。オフに解雇された。
選手としての特徴
フォロースイングが大きいため、振った後のバットが捕手に当たることがある。2011年6月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、大野奨太の頭部にバットが直撃し、大野は4針を縫う怪我を負った。
2010年は左投手に対して打率.262と苦手にしたが、右投手に対して打率.348、得点圏打率も.357と勝負強さを発揮した。
横浜時代の応援歌は大野雄次[5]を経て、ラリー・シーツに使用されたものが流用されていた(歌詞はシーツのものを名前部分を差し替えて使用)。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2010
|
横浜
|
64 |
261 |
225 |
27 |
71 |
6 |
0 |
19 |
134 |
56 |
0 |
0 |
0 |
4 |
28 |
0 |
4 |
58 |
7 |
.316 |
.395 |
.596 |
.991
|
2011
|
103 |
350 |
320 |
23 |
89 |
17 |
0 |
9 |
133 |
39 |
0 |
0 |
0 |
3 |
27 |
1 |
0 |
87 |
15 |
.278 |
.331 |
.416 |
.747
|
2012
|
楽天
|
19 |
51 |
46 |
2 |
8 |
2 |
0 |
0 |
10 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
16 |
1 |
.174 |
.255 |
.217 |
.472
|
通算:3年
|
186 |
662 |
591 |
52 |
168 |
25 |
0 |
28 |
277 |
96 |
0 |
0 |
0 |
7 |
58 |
1 |
6 |
161 |
23 |
.284 |
.350 |
.469 |
.819
|
年度別守備成績
年 度 |
一塁
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2010
|
63 |
512 |
28 |
4 |
47 |
.993
|
2011
|
79 |
603 |
33 |
3 |
45 |
.995
|
通算
|
142 |
1115 |
61 |
7 |
92 |
.994
|
記録
- NPB
背番号
- 42 (2010年途中 - 2011年)
- 68 (2012年途中 - 同年終了)
- 33 (2013年 - )
脚注
関連項目
外部リンク