ブラッド・フルマー (Bradley Ryan Fullmer :ブラッドリー・ライアン・フルマー、1975年1月17日 - ) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手である。ポジションは内野手(一塁手)、外野手(左翼手)であるが、指名打者 (DH) での出場試合数が最多(465試合)であった。
経歴
1993年6月3日、モントリオール・エクスポズからドラフト2巡目で指名を受けた。そして、約3ヵ月後の9月8日に契約を結んだ[1]。同年と1994年はマイナーリーグも含め、試合に出場しなかった。
1995年、アルバニー・ポールキャッツ (A級) でプロデビューを果たした。この年は123試合に出場し、打率.323・8本塁打・67打点・10盗塁という成績を残した。
1996年は、ウェストパームビーチ・エクスポズ (A + 級) とハリスバーグ・セネターズ (AA級) で計126試合に出場し、打率.297をマークした。
1997年、セネターズとオタワ・リンクス (AAA級) の2チームでプレイ。118試合に出場して打率.303・22本塁打・79打点・7盗塁という好成績を残した。同年9月2日の対ボストン・レッドソックス戦で、代打としてメジャーデビューを果たした。この打席では右中間スタンドに2点本塁打を叩き込み、初打席本塁打を記録した[2]。最終的には打率.300・3本塁打・8打点という打撃成績を記録した。
1998年はエクスポズのファーストのレギュラーに定着し、140試合で44二塁打・2三塁打・13本塁打を放ち、長打を量産した。シーズンオフのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では、5位にランクインした (同年の受賞者はケリー・ウッド) [3]。打撃面では好成績をマークしたが、守備面では137試合の一塁守備で、ファーストとしてリーグ最多の17失策・守備率.985という成績に終わり、拙守を呈した。
1999年、100試合に出場したが、1ケタ本塁打に終わった。守備面では、守備率を.991まで改善させた。
2000年3月16日に、大型トレードでトロント・ブルージェイズに移籍した[1]。アメリカン・リーグに移籍した事で、この年から指名打者としての出場がメインになった。シーズン通じて打撃好調を維持し、自身初の30本塁打・100打点のラインをクリアした。チームではカルロス・デルガード、トニー・バティスタ (以上41本)、ホゼ・クルーズ (31本) の3人と共に「30本塁打カルテット」を構築した[4]。
翌2001年、自己最多の146試合に出場したが、前年から大幅に打撃成績を落とした。
2002年1月17日、自身2度目のトレードでアナハイム・エンゼルスに移籍した[1]。エンゼルスでは打率.289・19本塁打・59打点という打撃成績をマークし、走塁面でも自己ベストとなる10盗塁を決めた。ポストシーズンでは、3ステージで計12試合に出場し、打率.294・1本塁打・5打点・2盗塁という成績を記録、チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。シーズンオフにFAとなったが、2003年1月6日に再契約を結んだ[1]。
2003年は、ルーキーイヤー以来となる.300以上の打率をマークしたが、ヒザの故障で故障者リスト (DL) 入り影響により、63試合の出場に留まった[5]。10月15日にエンゼルスから解雇されたが、12月18日にテキサス・レンジャーズと契約を結んだ[1]。
2004年、レンジャーズで76試合に出場して11本塁打を放ったが、低打率 (.233) に留まった。11月1日にFAとなり、2005年7月7日にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結んだが[1]、2004年を最後にメジャーで試合に出場する事はなかった。
選手としての特徴
長打力があって二塁打が多く、シーズン32本塁打を放った事もある。レンジャーズ在籍時の2004年にも、20本塁打以上を期待出来るとされ[5]、実際に20本塁打を超えるペース (シーズン半分の81試合以下で2ケタ本塁打) を放っていた。チャンスにも強い[5]。
マイナー、メジャーどちらでもシーズン2ケタ盗塁を記録した事がある。
一塁手としてリーグ最多失策を記録した事もあり、守備力は平均以下である[5]。
詳細情報
背番号
- モントリオール・エクスポズ
- 14 (1997)
- 20 (1998 - 1999)
- トロント・ブルージェイズ
- アナハイム・エンゼルス
- テキサス・レンジャーズ
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1997
|
MON
|
19 |
43 |
40 |
4 |
12 |
2 |
0 |
3 |
23 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
1 |
7 |
0 |
.300 |
.349 |
.575 |
.924
|
1998
|
140 |
547 |
505 |
58 |
138 |
44 |
2 |
13 |
225 |
73 |
6 |
6 |
0 |
1 |
39 |
4 |
2 |
70 |
12 |
.273 |
.327 |
.446 |
.773
|
1999
|
100 |
374 |
347 |
38 |
96 |
34 |
2 |
9 |
161 |
47 |
2 |
3 |
0 |
3 |
22 |
6 |
2 |
35 |
14 |
.277 |
.321 |
.464 |
.785
|
2000
|
TOR
|
133 |
524 |
482 |
76 |
142 |
29 |
1 |
32 |
269 |
104 |
3 |
1 |
0 |
6 |
30 |
3 |
6 |
68 |
14 |
.295 |
.340 |
.558 |
.898
|
2001
|
146 |
573 |
522 |
71 |
143 |
31 |
2 |
18 |
232 |
83 |
5 |
2 |
0 |
7 |
38 |
8 |
6 |
88 |
13 |
.274 |
.326 |
.444 |
.771
|
2002
|
ANA
|
130 |
479 |
429 |
75 |
124 |
35 |
6 |
19 |
228 |
59 |
10 |
3 |
0 |
3 |
32 |
6 |
15 |
44 |
7 |
.289 |
.357 |
.531 |
.888
|
2003
|
63 |
235 |
206 |
32 |
63 |
9 |
2 |
9 |
103 |
35 |
5 |
4 |
0 |
1 |
26 |
4 |
2 |
31 |
4 |
.306 |
.387 |
.500 |
.887
|
2004
|
TEX
|
76 |
290 |
258 |
41 |
60 |
19 |
1 |
11 |
114 |
33 |
1 |
2 |
0 |
2 |
27 |
1 |
3 |
30 |
7 |
.233 |
.310 |
.442 |
.752
|
通算:8年
|
807 |
3065 |
2789 |
395 |
778 |
203 |
16 |
114 |
1355 |
442 |
32 |
21 |
0 |
23 |
216 |
33 |
37 |
373 |
71 |
.279 |
.336 |
.486 |
.822
|
獲得タイトル・表彰・記録
- ワールド・チャンピオン:1回 (2002年)
- 初打席本塁打 (1997年)
出典
外部リンク