トニー・タラスコ
Tony Tarasco
ワシントン・ナショナルズでのコーチ時代(2015年3月) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 |
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生年月日 |
(1970-12-09) 1970年12月9日(54歳) |
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身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 205 lb =約93 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
1988年 MLBドラフト15巡目 |
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初出場 |
MLB / 1993年4月30日 NPB / 2000年3月31日 |
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最終出場 |
NPB / 2000年10月6日 MLB / 2002年9月1日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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- 選手歴
- コーチ歴
- ワシントン・ナショナルズ (2013 - 2015)
- ニューヨーク・メッツ (2021)
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アントニー・ジャチントー・タラスコ(Anthony Giacinto "Tony" Tarasco, 1970年12月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。
フィラデルフィア・フィリーズなどでプレーした遊撃手であるジミー・ロリンズは従弟にあたる。
経歴・人物
1988年のMLBドラフト15巡目(全体372位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。1993年4月30日にメジャーデビュー。1995年にモントリオール・エクスポズ、1996年にボルチモア・オリオールズへ移籍した。
オリオールズ時代の1996年に大きなアクシデントを経験する。ニューヨーク・ヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおいて、1点リードしていたオリオールズの守備固めの選手として出場していたタラスコは、第1戦の8回にデレク・ジーターの大飛球を捕球しようとしたものの、フェンスから乗り出した12歳の少年に捕られてしまった。本来なら守備妨害だが、本塁打と判定されてしまった。タラスコはこれに猛抗議するも覆らず、チームは敗北した。
その後、1998年にシンシナティ・レッズ、1999年にヤンキースと渡り歩き、2000年にハワード・バトルと共に阪神タイガースに入団した。斧で木を伐採するというトレーニング方法がランディ・バースと同じということで、バースの再来と呼ばれ大きく期待されていた[1]。ポジションは主に右翼手であり、陽気な性格と強肩が魅力であった。キャンプ・オープン戦では、逆方向に流し打つシュアなバッティングと俊足、好守を見せ打率3割は確実といわれていたが、シーズンが始まると打って変わって強引に引っ張るプルヒッターと化し打率は低迷。後半戦開幕戦にサヨナラ安打を放ち復調の兆しを見せるが、結局打率.239、19本塁打、57打点と期待外れの成績に終わり、シーズン終了後に解雇となった。ただ守備は良く、広い甲子園の守りを強固にしていたが、打撃の低迷ぶりが響き残留へのプラス材料にはならなかった。
中堅手の新庄剛志とは仲が良く、新庄の赤のリストバンドをつけるなどしている姿が見られた。アメリカに戻った2001年にはスプリングトレーニングでニューヨーク・メッツに移籍した新庄と再会している。
2002年にニューヨーク・メッツでメジャーに復帰したが、大麻所持が発覚して解雇され[2]、そのまま引退した。
引退後はワシントン・ナショナルズのマイナー組織で守備走塁コーチを務め、その間にブライス・ハーパーを指導した[3]。2013年からはナショナルズの一塁ベースコーチ及び外野守備コーチに就任することとなり[4]、2015年まで務めた。
2016年から2018年まではサンディエゴ・パドレス傘下マイナー球団の外野守備走塁巡回コーチ、2019年はパドレス傘下のA+級レイクエルシノア・ストーム(英語版)の監督を務めた。
2021年よりメッツの一塁ベースコーチ及び外野守備走塁コーチに就任したが[5]、同年限りで解任された。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1993
|
ATL
|
24 |
37 |
35 |
6 |
8 |
2 |
0 |
0 |
10 |
2 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
5 |
1 |
.229 |
.243 |
.286 |
.529
|
1994
|
87 |
144 |
132 |
16 |
36 |
6 |
0 |
5 |
57 |
19 |
5 |
0 |
0 |
3 |
9 |
1 |
0 |
17 |
5 |
.273 |
.313 |
.432 |
.744
|
1995
|
MON
|
126 |
495 |
438 |
64 |
109 |
18 |
4 |
14 |
177 |
40 |
24 |
3 |
3 |
1 |
51 |
12 |
2 |
78 |
2 |
.249 |
.329 |
.404 |
.733
|
1996
|
BAL
|
31 |
92 |
84 |
14 |
20 |
3 |
0 |
1 |
26 |
9 |
5 |
3 |
1 |
0 |
7 |
0 |
0 |
15 |
1 |
.238 |
.297 |
.310 |
.606
|
1997
|
100 |
193 |
166 |
26 |
34 |
8 |
1 |
7 |
65 |
26 |
2 |
2 |
1 |
0 |
25 |
1 |
1 |
33 |
3 |
.205 |
.313 |
.392 |
.704
|
1998
|
CIN
|
15 |
28 |
24 |
5 |
5 |
2 |
0 |
1 |
10 |
4 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
5 |
0 |
.208 |
.296 |
.417 |
.713
|
1999
|
NYY
|
14 |
35 |
31 |
5 |
5 |
2 |
0 |
0 |
7 |
3 |
1 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
0 |
5 |
1 |
.161 |
.229 |
.226 |
.454
|
2000
|
阪神
|
102 |
422 |
380 |
40 |
91 |
13 |
1 |
19 |
163 |
57 |
1 |
7 |
0 |
4 |
38 |
0 |
0 |
88 |
7 |
.239 |
.306 |
.429 |
.735
|
2002
|
NYM
|
60 |
105 |
96 |
15 |
24 |
5 |
0 |
6 |
47 |
15 |
2 |
1 |
0 |
1 |
8 |
0 |
0 |
13 |
2 |
.250 |
.305 |
.490 |
.794
|
MLB:8年
|
457 |
1129 |
1006 |
151 |
241 |
46 |
5 |
34 |
399 |
118 |
39 |
10 |
6 |
7 |
106 |
14 |
4 |
171 |
15 |
.240 |
.313 |
.397 |
.709
|
NPB:1年
|
102 |
422 |
380 |
40 |
91 |
13 |
1 |
19 |
163 |
57 |
1 |
7 |
0 |
4 |
38 |
0 |
0 |
88 |
7 |
.239 |
.306 |
.429 |
.735
|
記録
- NPB[6]
背番号
- 26(1993年 - 1994年)
- 44(1995年)
- 1(1996年)
- 3(1997年 - 同年途中)
- 43(1997年途中 - 同年終了)
- 45(1998年)
- 22(1999年)
- 42(2000年)
- 40(2002年)
- 32(2013年 - 2015年)
- 51(2021年 - )
脚注
関連項目
外部リンク