チャド・ハフマン
Chad Huffman
千葉ロッテマリーンズ時代 (2014年) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
テキサス州ヒューストン |
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生年月日 |
(1985-04-29) 1985年4月29日(39歳) |
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身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 215 lb =約97.5 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
外野手、一塁手 |
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プロ入り |
2006年 MLBドラフト2巡目(全体53位)でサンディエゴ・パドレスから指名 |
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初出場 |
MLB / 2010年6月13日 NPB / 2014年3月28日 |
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最終出場 |
NPB / 2015年 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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チャド・ダニエル・ハフマン(Chad Daniel Huffman, 1985年4月29日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
8歳年上の兄の影響で野球を始める。エルキンズ高等学校(英語版)時代にはジェームズ・ローニーとチームメイトだった[1]。テキサスクリスチャン大学では、フットボールと野球を両立し、2004年と2005年にアメリカの大学野球選手権に出場するなど活躍した。
なお、同大学では、ハフマンの父親と兄もフットボールと野球をしていた。
プロ入りとパドレス傘下時代
2006年のMLBドラフト2巡目(全体53位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、6月23日に契約。その後はマイナーで着実にキャリアを積み上げ、2009年にAAA級の本塁打競争で優勝するなど活躍。
2010年にDFAとなり、ウェイバーにかけられた。
ヤンキース時代
2010年4月7日にニューヨーク・ヤンキースと契約する。6月13日にメジャー昇格を果たし、同日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初安打も記録した。9月15日にヤンキースをDFAとなった。
インディアンス傘下時代
2010年9月17日にウェイバーでクリーブランド・インディアンスと契約。
2011年と2012年は傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズでプレーしたが、メジャー昇格には至らなかった。11月3日にFAとなった。
カージナルス傘下時代
2013年2月11日にセントルイス・カージナルスと契約。傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズに配属された。シーズン終了後の11月5日にFAとなった。
ロッテ時代
その後、過去千葉ロッテに所属していたデリック・メイからの勧めもあり[2]、千葉ロッテマリーンズの入団テストを兼ねて、千葉県鴨川市で行われた秋季キャンプに参加。チーム紅白戦では「1番・右翼手」で出場すると、4打数2安打1盗塁という成績でアピールし[2]、入団テストに合格。11月21日、獲得が発表された[3]。
2014年1月31日、春季キャンプが行われる沖縄県石垣島にて入団会見が行われ、「一日一日が大切。しっかり練習してベストを尽くしたい」と抱負を述べた[4]。年俸15万ドルプラス出来高払い(推定)の1年契約で、背番号は「56」に決まった[5]。登録名は「チャッド・ハフマン」。3月28日の福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡ヤフオク!ドーム)で「6番・左翼手」で先発出場した。その後不振もあり、二軍降格となるが、一軍復帰後の6月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で3回に松岡健一から来日第1号の満塁本塁打を放つ。しかし、レギュラーで出場することなく同年は69試合で4本塁打、打率.270の成績で終わった。12月2日、自由契約公示された[6]。
2015年1月13日に再契約されたが、外国人枠の関係もあり、一軍では6試合に出場して1安打しか打てず、10月21日に来季の契約を更新しない事が球団から発表された。[7]。
ロッテ退団後
2015年12月30日にデトロイト・タイガースがハフマンとマイナー契約の締結で合意したことを発表した[8]。
2016年はAAA級トレド・マッドヘンズに所属したがメジャー昇格はなく、11月7日にFAとなった[9]。11月18日にカージナルスとマイナー契約を結んだ。
2017年は開幕をAAA級メンフィスで迎え、6月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[10]。7月25日に40人枠から外れる形でAAA級メンフィスに降格し、翌26日に自由契約となった[9]。7月27日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シラキュース・チーフスに配属された[9]。オフの11月6日にFAとなった[9]。11月25日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ。
2018年オフに自由契約となった。
選手としての特徴
右の中・長距離打者。主に左翼手と右翼手を守り、堅実な外野守備を見せる。気迫を全面に押し出す全力プレーと[11][2]、明るい性格[12]でチームを盛り立てる選手である。
人物
愛称は「ハフィー」[12]。
父親はテキサスクリスチャン大学で学生フットボール選手だったロイス・ハフマン。また、ロイス・ジュニア、スコットという2人の兄がいる。8歳年上の長兄ロイス・ジュニアもテキサスクリスチャン大学でフットボールと野球を両立しており、ハフマンが野球を始めるきっかけとなった。ロイス・ジュニアは、主にアストロズのマイナーリーグで内野手(主に一塁手)として11年間プレーした。
少年時代、メジャーリーガーにサインを断られた経験があり、自分が選手となってからは、いかなる状況でもファンのサインに応じている。
- ロッテ時代の応援歌の原曲は「荒野の砂塵」。2023年にはグレゴリー・ポランコの応援歌として流用された。
2014年1月27日、日本に向かう飛行機で当時埼玉西武ライオンズ投手のランディ・ウィリアムスと偶然座席が隣同士となった[13]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2010
|
NYY
|
9 |
21 |
18 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
5 |
1 |
.167 |
.286 |
.167 |
.452
|
2014
|
ロッテ
|
67 |
210 |
185 |
23 |
50 |
20 |
0 |
4 |
82 |
28 |
0 |
1 |
1 |
0 |
20 |
0 |
4 |
51 |
1 |
.270 |
.354 |
.443 |
.797
|
2015
|
6 |
13 |
11 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
4 |
0 |
.091 |
.231 |
.091 |
.322
|
2017
|
STL
|
12 |
15 |
14 |
3 |
4 |
0 |
1 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
6 |
0 |
.286 |
.333 |
.429 |
.762
|
MLB:2年
|
21 |
36 |
32 |
4 |
7 |
0 |
1 |
0 |
9 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
11 |
1 |
.219 |
.306 |
.281 |
.587
|
NPB:2年
|
73 |
223 |
196 |
23 |
51 |
20 |
0 |
4 |
83 |
28 |
0 |
1 |
1 |
0 |
22 |
0 |
4 |
55 |
1 |
.260 |
.347 |
.423 |
.770
|
記録
- NPB
背番号
- 22(2010年)
- 56(2014年 - 2015年)
- 65(2017年)
脚注
関連項目
外部リンク