1928年3月16日、ジョン・ペンダーと政府受注を争った末に、帝国代表者会議の立会いで、ペンダー側イースタン電信会社とマルコーニ無線電信会社間で保有比率56.25対43.75とする持ち株会社をつくることで合意した。代表者会議による審議は続き、7月6日に勧告として報告書が出された。内容は、ペンダーとマルコーニの各事業だけでなく、郵政省の短波システムに太平洋/大西洋ケーブルを一挙に合併させる構想であった[9]。8月に議会で承認されてから、構想は自治領で次々と追認された。1929年4月8日、合併会社はケーブル・アンド・ワイヤレス、通信会社は帝国国際通信Imperial and International Communicationsという名前で発足した。これらは世界的な通信網として、P&Oや帝国航空会社(現・ブリティッシュエアウェイズ)などで利用された。
生い立ち、幼少期、教育
生い立ち
ジュゼッペ・マルコーニ(Giuseppe Marconi)と、アニー・ジェームソン(Annie Jameson)の次男として、1874年4月25日にボローニャで誕生。フルネームはグリエルモ・ジョヴァンニ・マリア・マルコーニ(Guglielmo Giovanni Maria Marconi)。父ジュゼッペはイタリアのポッレッタ・テルメ出身のボローニャの裕福な地主。母アニーはアイルランド人で ジェムソン・アイリッシュ・ウイスキー (Jameson Whiskey distillery) の創業者の曾孫[1]。
若いころからマルコーニは科学、特に電気に興味を持っていた。1888年、ハインリヒ・ヘルツが電磁波を発しかつ検出できることを示し、そこからこの時代の科学技術の発展が始まった。今では一般に「電波」と呼ぶが、当時は「ヘルツ波」や「エーテル波」という呼称が一般的だった。ヘルツが1894年に亡くなると、彼のそれまでの発見を再検討する書籍等が出版され、マルコーニの興味をかきたてた。ボローニャ大学の物理学者でマルコーニ家の隣人でもあったアウグスト・リーギはヘルツの成果に基づいた研究をしており、マルコーニは彼の下で学ぶことを許された。リーギは The Electrician 誌を購読しており、1894年の同誌にオリバー・ロッジが無線電信の公開実験に使った装置の詳細が掲載された。
当初、マルコーニも限られた距離でしか信号を送れなかった。1895年夏、彼は実験の場を屋外に移した。送信機と受信機のアンテナを長くし、それらを垂直に配置して、一端を接地させると通信距離が大幅に延びた[注釈 2]。間もなく彼は丘を越えての信号伝達に成功した。距離は約1.5キロメートルになっていた[注釈 3]。マルコーニの当時所有していた装置はタフツ大学の A. E. Dolbear が1882年に製作したものと酷似していた。Dolbear の装置は火花送信機と鉱石検波器を使ったものだった[14][15]。この時点でマルコーニはさらに資金をかけて研究を続ければさらに距離を延ばすことができ、商業的にも軍事的にも価値のあるものになると判断した。マルコーニは世界初のアマチュア無線家とも言える。
“From this site GUGLIELMO MARCONI made the first public transmission of wireless signals on 27 July 1896”
1896年9月2日にはソールズベリー平原でも、パラボラ反射鏡付き送・受信機のデモンストレーションを行ったが、英国協会(The British Association for the Advancement of Science)の9月22日のミーティングでプリースがそれについて触れた。すると翌日のタイムス紙がパラボラ反射鏡を使う無線実験家マルコーニのことを記事にしたのである[19]。ロシアのポポフはこの新聞を読んでマルコーニが自分と同じような実験をしていることを知ったという[20]。また英国の雑誌The Electrician(9月25日号)やNature(10月8日号)もマルコーニのパラボラ反射鏡実験を掲載し、全英にマルコーニの名が知られるところとなった。
さらに10月にはアメリカの科学雑誌でもマルコーニを「パラボラ反射鏡の無線実験家」として伝えた[21][22][23][24]。こうしてマルコーニの名がアメリカにまで知られるようになると、プリースは1896年12月11日にToynbee Hallで"Telegraphy without Wires"と題した講演をおこない、あらためて実験家マルコーニを紹介した。
この頃マルコーニが実験に使用していた電波は波長30センチメートル(周波数1GHz)だったと、ロンドンの王立研究所で1932年12月2日に報告している[25]。しかし1897年になるとパラボラ反射鏡よりもイタリア時代の接地型垂直アンテナを主に使うようになり、次第に到達距離を伸ばしていった。1897年3月、ソールズベリー平野で約6キロメートルの距離でモールス符号を伝送する実験に成功した。1897年5月13日、マルコーニは世界初の海を越えての無線通信に成功した。南ウェールズのラバーノック岬からブリストル海峡に浮かぶフラットホルム島までの約6キロメートルである。受信設備はすぐさま海峡の南岸に突き出た岬にあるブリーンダウン要塞 (en) に移設され、距離は16キロメートルに伸びた。このような公開実験に感銘を受けたプリースは1897年6月4日に王立研究所で"Signaling through Space without Wires"と題した講演を行った。
Proceedings of the United States Naval Institute(アメリカ海軍協会紀要)によれば、アメリカ海軍はマルコーニのシステムを1899年ごろに調査し、「コヒーラ検波器の原理は約20年前に発見されているが、全く新しいといえる電気機器はそれしかなかった」と結論している[27]。
1900年4月25日にマルコーニは海上公衆通信の商用化を目的とする、マルコーニ国際海洋通信会社MIMCC(Marconi International Marine Communication Company)を分社させた。そしてこれらのテストを担当し、1900年5月15日より電報サービスの営業を開始した。5月15日から10月30日までの5箇月半で、565通の無線電報を取扱ったと、ロンドンのthe Society of Artsにおいてマルコーニが発表している[31]。恒久施設による海上公衆通信のビジネス化はこうして19世紀最後の年に達成されたのである。
20世紀となり、1901年5月にビーバー・ライン社の客船レイク・チャンプレイン号、同年6月にキュナード・ライン社の大型客船ルカーニア号、9月にはその姉妹船カンパニア号にもマルコーニ局が置かれた。特にキュナード・ライン社は無線電信が乗客への電報サービスの提供だけでなく、船の安全航行や社内連絡にも大いに役立つことを知り、自社の船に続々とマルコーニ局を開設した。マルコーニ国際海洋通信会社MIMCCによって海上移動の公衆通信サービスは順調に発展していった。なお1924年にロンドンのRoyal Society of Artsで講演したマルコーニ氏は、1901年からのおよそ8年間、同社の海上公衆通信には波長120メートル(2.5MHz)を使っていたと語っているが[32]、実際には1912年まで国際波長300メートル(1000kHz)の補助用として短波を使っていたようである[33]。
世紀の変わり目ごろ、大西洋横断電信ケーブルに対抗すべく、マルコーニは大西洋を横断して無線で信号を伝える手段を研究し始めた。1901年、アイルランドのウェックスフォード県ロスレアに無線局を作り、コーンウォールのポルドゥーとアイルランドのゴールウェイ県クリフデンの無線局を中継する実験を開始した。1901年12月12日、凧で吊り上げた高さ152.4mのアンテナを受信用に使うことで、コーンウォールのポルドゥーから発信した信号をニューファンドランド島セントジョンズのシグナルヒルで受信することに成功したと発表。2地点の距離は約3500キロメートルである。科学技術の重大な進歩として報道されたが、受信できた信号が途切れ途切れだったこともあり、本当に成功と言えるのか疑問視する声もあった(今もある)。第三者が確認したわけではなく、単に S を表すモールス符号を繰り返し送ったということで、雑音と区別しにくかったのではないかとも言われている[34]。ポルドゥーの送信設備は2段構成になっており、25キロワットの出力だった。1段目は低電圧で駆動して2段目にエネルギーを供給し、2段目で高電圧の火花を発生させていた。大西洋横断無線通信で競っていたニコラ・テスラは、マルコーニが成功したことを聞いて「マルコーニは私の特許を17個使っている」と述べたという[35][36]。
1924年12月11日、ロンドンの王立技芸協会(Royal Society of Arts)で、マルコーニは1901年より8年間ほどの間、自社の船舶無線では波長120メートル(2.5MHz)を使っていたと語っている[32]。その当時よりときおり超遠方まで短波が届くことに気付いていたが、それについては追求しないまま、第一回ベルリン国際無線電信会議で採択され、1908年7月1日に発効した船舶無線用の波長600メートル(500kHz)、300メートル(1MHz)に移ってしまった。こうして短波は一時期忘れられていったのである。
短波への回帰
1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。母国イタリアが1915年春に参戦すると、マルコーニはイタリア軍に入隊し、軍の秘密通信の必要から"ビーム通信"の研究をはじめた。無線は四方に伝播するため、敵にも傍受されるという大きな欠点があるからである。マルコーニは1896年にロンドンやソールズベリー平原で使ったパラボラアンテナのことを頭に想い浮かべていた。1916年3月、イタリアのジェノバで最初の試験を行いイタリア海軍に報告書を提出した[60]。そして英国よりフランクリン技師(C. S. Franklin)を呼び寄せて、イタリアのリヴォルノでパラボラビームの実験に本格着手したのが1916年8月だった[61]。こうしてマルコーニの短波の開拓(回帰)がはじまった。
マルコーニは1899年3月、英国の電気学会で電波灯台の考えを発表している。パラボラ反射器による受信機を搭載した船が、電波灯台のサービスエリア内を航行するときに、パラボラ反射器を電波灯台に向けたとき、電波をキャッチしベルが鳴るシステムである[64]。それからおよそ20年が過ぎた1920年、マルコーニとC. S. フランクリン技師はスコットランドのフォース湾にあるインチケイス島に電波灯台の実験施設を建設した。当初のアイデアとは違って、電波灯台側に回転するパラボラアンテナを置き、方位ごとに定められたモールス符号を送信する方式で、船の受信アンテナを無指向性の垂直ダイポールで済まそうとするものである[65]。
なお無線学会(IRE)はフランクリン技師に対し、短波パラボラアンテナの使用周波数に対する開口長とビームパターンの関係などを明らかにした功績を称え、1922年度のモーリス・リーブマン記念賞(Morris Liebmann Memorial Prize)を、『For his investigations of short wave directional transmission and reception.』として贈っている。
しかし第一次世界大戦で海底ケーブルだと敵国に切断されることが実証されて以来、世界は有線から大電力長波無線へ舵を切ったばかりで、マルコーニが熱弁を振るった「短波」が研究機関、無線機メーカ、そして電波主管庁の関係者たちの心を動かすまでには至らなかった。同じく米国のアマチュア無線家も「短波」には反応しなかった。1922年2月27日から3月2日、フーバー商務長官が召集した第一回国内無線会議(First United States National Radio Conference)において、アマチュア用に1,091kHzから2,000kHzの周波数帯域を分配する勧告[83]が採択された直後だったからだ[注釈 8]。念願の低い周波数が手に入る可能性が出てきたため、アマチュアの関心事は1,500kHz未満の周波数に集っていたのである[注釈 9]。
1924年7月2日、マルコーニはロンドンの王立技芸協会(Royal Society of Arts)で、ポルドゥー2YTから発した3MHzの短波による、イベリア半島の遮蔽試験およびカーボベルデへの遠距離ビーム試験、セドリック号での大西洋横断試験、オーストラリアとアルゼンチンへの長距離通信の成功について講演した[103][104]。
1924年10月、2YTから発射された波長32mの信号は北米のモントリオールとニューヨーク、南米のリオデジャネイロとブエノスアイレス、南アフリカのケープタウン、インドのボンベイとカラチ、オーストラリアのシドニーで昼間に受信された[4]。1924年12月11日、マルコーニはロンドンの王立技芸協会(Royal Society of Arts)で、「昼間波」を求めてエレットラ号でベイルートまで航海し、それを発見したことや、10月に実施した世界的規模の検証実験の成果を発表した[106]。特に地球の裏側のシドニーにて23.5時間/日も受信できたことは、全世界の公衆通信関係者に大きな衝撃を与えた[注釈 10]。マルコーニは電波界の常識を覆し、日中でも遠距離通信が可能な「昼間波」を発見したのである。
全米放送事業者協会はNAB Marconi Radio Awardsを毎年優れたラジオ番組に授与している。イタリアではユーロ導入まで流通していた旧2000リラ紙幣の肖像に採用されていた。2001年、イギリスではマルコーニの世界初の無線通信から100周年を記念して2ポンド記念硬貨を発行した。また、マルコーニのノーベル物理学賞受賞100周年を記念して、2009年にイタリアが5ユーロ記念硬貨を発行した。
^ abマルコーニが1895年末に達成した距離は約1マイル(1.6km)であり、テスラが同年前半に達成した50マイルに比べればずっと短距離だった。詳しくは "Nikola Tesla On His Work with Alternating Currents and Their Application to Wireless Telegraphy, Telephony, and Transmission of Power", Leland I. Anderson, Twenty First Century Books, 2002, pp. 26-27.
^カーナボンでの試験中にひとつの空中線で同時送受信する方法を発見した C. S. Franklin "Short-Wave Directional Wireless Telegraphy" The Wireless World and radio review May 20,1922 The official organ of the wireless society of London 223ページ
^ ab"Pope to Open New Radio Unit Today: World's First Ultra Short Wave Plant Made by Marconi" The Washington Post Feb.11,1933 p14
^"MARCONI HARNESSES ULTRA-SHORT WAVES: ‘Bending’ of Currents Surmounts Earth’s Curvature, Formerly Bar to Such Transmission." The New York Times Aug.14,1933 p1
^FundingUniverse, "Marconi plc History", saying, "The British company Marconi plc had been known as The General Electric Co. Ltd. (GEC) for more than 100 years before changing its name and focus in 1999.", "In 1968 GEC merged with English Electric, which included Elliott Bros., The Marconi Co., Ruston and Hornsby, Stephenson, Hawthorn & Vulcan Foundry, Willans and Robinson, and Dick Kerr. These companies were primarily electronics and electrical equipment manufacturers.", "Following an announcement in early 1999 of a proposed merger of GEC's defense electronics business, Marconi Electronic Systems, with British Aerospace, GEC sold Marconi Electronic Systems to British Aerospace for $12 billion, mostly in stock.", Source: International Directory of Company Histories, Vol. 33. St. James Press, 2000.
^Imperial Wireless and Cable Conference, 1928, Chairman Sir John Gilmour, Report, in Parliamentary Papers 1928 Vol. 10. Cmd. 3163.
^Bedfordshire Times. 23 July 1937, p. 9 (Marconi's obituary)
^Robert McHenry, "Guglielmo Marconi," in Encyclopaedia Britannica, 1993.
^Margaret Cheney, Tesla, Man Out of Time, New Jersey : Prentice-Hall, Inc., 1981
^Margaret Cheney and Robert Uth, Tesla: Master of Lightning, Barnes & Noble, 1999.
^“The Clifden Station of the Marconi Wireless Telegraph System”. Scientific American. (23 November 1907).
^ abW.J. Baker A History of the Marconi Company:1874-1965 2013 Routledge 170-171ページ
^"Warship for Marconi Test" New York Times Mar.2,1914
^"Marconi Telephony a Success" New York Tribune Mar.14,1914 1ページ
^R.N. Vyvyan Over Thirty Years 1933 George Routledge & Sons 202ページ
^Marc Raboy Marconi: The Man Who Networked the World 2016 Oxford University Press
^C. S. Franklin "Short-Wave Directional Wireless Telegraphy" The Wireless World and radio review May 20,1922 The official organ of the wireless society of London 221ページ
^ ab"Some BBC dates" BBC HANDBOOK 1970 British Broadcasting Corporation pp246-247
^ ab"5SW, CHEILMSFORD: Twenty- kilowatt Experimental Shortwave Transmitter" Wireless World and Radio Review Nov.30,1927 ILIFFE & SONS LTD., pp727-738
^ abPaul Schubert The Electric Word: The Rise of Radio New York, 1928, p.265. p.273; Krishnalal J. Shridharani Story of the Indian Telegraphs: A Century of Progress New Delhi, 1956, pp.126-127; Leslie B. Tribolet The International Aspects of Electrical Communications in the Pacific Area Baltimore, 1929, p.216; Baker pp.201-202. p.224.
^Giancarlo Morolli, Giuliano Nanni “The Experiments with the Italian Navy” Guglielmo Marconi, Space Explorer 2004 Advanced Broadcasting Electronics 137ページ
^Marc Raboy Marconi: The Man Who Networked the World 2016 Oxford University Press 412ページ
^ abC. S. Franklin "Short-Wave Directional Wireless Telegraphy" The Wireless World and radio review May 20,1922 The official organ of the wireless society of London p220
^"Marconi, With New Device, Guides Radio in Chosen Direction" The New York Times June 21,1922 1ページ
^"Marconi Says Radio Wave Can Be Aimed Like A Searchlight" New York Herald June 21,1922 1ページ
^"Marconi Aim Radio Wave Like A SEARCHLIGHT" Washington Post June23,1922 11ページ
^"The Greatest of All Amateurs" QST Sep.1922 ARRL 30-31ページ
^"Marconi Demonstrates Directional Radio" Wireless Age July 1922 WIRELESS PRESS 55-57ページ
^"Marconi Presented With RacHo Instigate Medal of Honor:Demonstrates New Device for Uni-Directional Transmission" Radio News Aug.1922 EXPERIMENTER PUBLISHING 231ページ
^Department Of Commerce Radio Division "Allocation of wave bands for radio telephony" Radio Service Bulletin Vol.61 May.1, 1922 Goverment Printing Office 24-27ページ
^R.N. Vyvyan Over Thirty Years 1933 George Routledge & Sons LTD. 78-79ページ
^"Clifden Replaces Poldhu" Wireless Age Aug.1922 WIRELESS PRESS 58ページ
^Guglielmo Marconi "Results obtained over very long distances by short wave directional wireless telegraphy, more generally referred to as the beam system" Journal of the Royal Society of Arts Vol.72 - No.3740 July 25,1924 611ページ
^Guglielmo Marconi "Results obtained over very long distances by short wave directional wireless telegraphy, more generally referred to as the beam system" Journal of the Royal Society of Arts Vol.72 - No.3740 July 25,1924 611-612ページ
^ abGuglielmo Marconi "Will “Beam” Stations Revolutionize Radio?" Radio Broadcast Vol.7-No.3 July 1925 Doubleday Page & Company 326ページ
^Guglielmo Marconi "Results obtained over very long distances by short wave directional wireless telegraphy, more generally referred to as the beam system" Journal of the Royal Society of Arts Vol.72 - No.3740 July 25,1924 612ページ
^Hugh G. J. Aitken the Continueous Wave: Technology and American Radio 1900-1932 Princeton, 1985, p.512; Vice Admiral Arthur R. Hezlet The Electron and Sea Power London, 1975, pp.157-159; W. J. Baker A History of the Marconi Company London, 1970, pp.217-219; W. P. Jolly Marconi New York, 1972, pp.239-245.
^"Marconi Finds Way to Direct Radio: Returns to England From a Two Months' Cruise and Tells of a New System" New York Times June 15,1923 10ページ
^"New Wave is Secret of Marconi Results: Radio Message is Sent 2,500 Miles Easier and Cheaper than from London to Paris" New York Times June 16,1923 3ページ
^A.H.Morse "History of Radio inventions" Radio News Sep.1925 Experimenter Publishing Company 296-297ページ
^"Marconi Extends Radio Control System To Fix Direction of 2,000-Mile Messages" New York Times Dec.4,1923 1ページ
^"Radio Waves Sent As Beam" Washington Post Dec.4,1923 6ページ
^R.N. Vyvyan Over Thirty Years 1933 George Routledge & Sons LTD. 81ページ
^"WIRELESS TELEPHONY FROM ENGLAND TO AUSTRALIA" The Brisbane Courier June 4,1924 p7
^"ENGLAND TO SYDNEY. HUMAN VOICE TRANSMITTED. BY BEAM SYSTEM." The Daily News June 4,1924 p8
^"Marconi Talks with Argentina by Direct Beam from England" New York Times June 15,1924 E1ページ
^"Marconi Beam Ray on 94-meter wave Heard 6,333 Miles" Washington Post June 15,1924 1ページ
^Hugh Baity-King Girdle Round the Earth: The Story of Cable and Wireless and its Predecessors to Mark the Group's Jubilee 1929-1979 London, 1979, pp.192-193; Baker pp.219-222; Hezlet p.157.
^Guglielmo Marconi "Results Obtained Over Very Long Distances by Short-wave Directional Wireless Telegraphy, More Generally Referred to as the Beam System" Journal of the Royal Society of Arts vol.72 July 25.1925 pp607-621
^Gianni Isola, "Italian radio: History and Historiography"; Special Issue: Italian Media Since World War II. Historical Journal of Film, Radio and Television, August, 1995
^ abWireless Telegraph co. of America v. United States.
^U.S. Supreme Court, "Marconi Wireless Telegraph co. of America v. United States". 320 U.S. 1. Nos. 369, 373. Argued 9?12 April 1943. Decided 21 June 1943.
Marconi, Degna, My Father, Marconi, James Lorimer & Co, 1982. ISBN 0-919511-14-7 - (Italian version): Marconi, mio padre, Di Renzo Editore, 2008, ISBN 8883232062
Marconi's Wireless Telegraph Company, Year book of wireless telegraphy and telephony, London: Published for the Marconi Press Agency Ltd., by the St. Catherine Press / Wireless Press. LCCN 14017875 sn 86035439
その他
Ahern, Steve (ed), Making Radio (2nd Edition) Allen & Unwin, Sydney, 2006.
Aitken, Hugh G. J., Syntony and Spark: The Origins of Radio, New York: John Wiley & Sons, 1976. ISBN 0-471-01816-3
Baker, W. J., A History of the Marconi Company, 1970.
Brodsky, Ira. "The History of Wireless: How Creative Minds Produced Technology for the Masses" (Telescope Books, 2008)
Cheney, Margaret, "Tesla: Man Out Of Time" Laurel Publishing, 1981. Chapter 7, esp pp 69, re: published lectures of Tesla in 1893, copied by Marconi.
Clark, Paddy, "Marconi's Irish Connections Recalled," published in ";100 Years of Radio," IEE Conference Publication 411, 1995.
Coe, Douglas and Kreigh Collins (ills), Marconi, pioneer of radio, New York, J. Messner, Inc., 1943. LCCN 43010048
Garratt, G. R. M., The early history of radio: from Faraday to Marconi, London, Institution of Electrical Engineers in association with the Science Museum, History of technology series, 1994. ISBN 0-85296-845-0 LCCN gb 94011611
Geddes, Keith, Guglielmo Marconi, 1874-1937, London : H.M.S.O., A Science Museum booklet, 1974. ISBN 0-11-290198-0 LCCN 75329825 (ed. Obtainable in the U.S.A. from Pendragon House Inc., Palo Alto, California.)
Hancock, Harry Edgar, Wireless at sea; the first fifty years: A history of the progress and development of marine wireless communications written to commemorate the jubilee of the Marconi International Marine Communication Company, Limited, Chelmsford, Eng., Marconi International Marine Communication Co., 1950. LCCN 51040529 /L
Hong, Sungook, Wireless: From Marconi’s Black-Box to the Audio, Cambridge, Mass.: MIT Press, 2001. ISBN 0-262-08298-5.
Janniello, Maria Grace, Monteleone, Franco and Paoloni, Giovanni (eds) (1996), One hundred years of radio: From Marconi to the future of the telecommunications. Catalogue of the extension, Venice: Marsilio.
Weightman, Gavin, Signor Marconi's magic box: the most remarkable invention of the 19th century & the amateur inventor whose genius sparked a revolution, 1st Da Capo Press ed., Cambridge, MA : Da Capo Press, 2003. ISBN 0-306-81275-4