エバン・マイケル・ロンゴリア(Evan Michael Longoria, 1985年10月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ダウニー出身のプロ野球選手(三塁手)。右投右打。フリーエージェント(FA)。愛称は姓を略したロンゴ(Longo)[1]。
経歴
プロ入り前
1985年10月7日にカリフォルニア州ダウニーで生まれる。子供のころ憧れていた選手はアレックス・ロドリゲスだった[2]。高校はセントジョン・ボスコ高等学校へ、大学はリオ・ホンドコミュニティーカレッジへ進学した。1年生の時に素質が開花し、2年生からはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ特待生として編入[3]。トロイ・トゥロウィツキーが遊撃手にいたため三塁手へコンバートした[2]。2005年にはMVPを獲得[4]。
プロ入りとレイズ時代
タンパベイ・デビルレイズはロンゴリアをカール・クロフォード、B.J.アップトンに次ぐ存在になると判断し[2]、2006年のMLBドラフト1巡目(全体3番目)で指名。
2007年は、2Aで105試合で打率.307、21本塁打の記録を残し、3Aのダラム・ブルズまで順調に昇格した。マイナーでは主に三塁手を務めており、ロンゴリアが期待通り成長したことにより、ポジションを空ける為に2007年までレイズの正三塁手だった岩村明憲がセカンドへコンバートされた[3]。
2008年開幕時はマイナーで迎えたものの4月12日にそれまで三塁手を務めていたウィリー・アイバーの故障に伴いメジャー初昇格を果たした。昇格した当日のボルチモア・オリオールズ戦で三塁手として先発出場し、メジャーデビュー。3打数1安打、1四球という内容だった。4月14日のニューヨーク・ヤンキース戦ではブライアン・ブルーニーからメジャー初本塁打を放った。レイズはその素質を高く評価し、4月18日に2013年までの6年総額1750万ドル、3年のオプションを含めると9年総額4400万ドル超で契約延長をした[5][6]。オールスター選出選手の発表後、大リーグ公式サイト上で "32番目の男" を決める最終投票が開始され、ロンゴリアはジャーメイン・ダイを破り、オールスター初選出を果たした[7]。チームの5番打者に定着。死球による怪我で一時離脱したが、復帰後は4番を任され、レイズは球団初の地区優勝を果たした。シーズン終了後、アメリカンリーグの三塁手としては4人目の新人王を受賞した。満票での選出は1997年のノマー・ガルシアパーラ以来、MLB史上7人目となった[8]。
2009年はシーズン開幕前に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表には当初落選していたが、負傷したチッパー・ジョーンズの代役として追加招集された。日本戦の8回表に代打で出場したが、空振り三振に終わった。
シーズンでは、4月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞し、その間に2度のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞している[9]。オールスターゲームの投票では、三塁手としてリーグ最多の票を集めての選出となったが[10]、右手薬指の感染症のため試合を欠場した[11]。157試合の出場で打率.281、33本塁打、113打点を記録した。オフにはゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を受賞した。
2010年は、シーズン前半が終了した時点で3割を超える打率と61打点を記録[12]。この活躍から、2年連続でヤンキースのアレックス・ロドリゲスに100万票以上の大差をつけ、オールスターゲームにファン投票で選出された[12]。シーズン通じては、9月に大腿四頭筋を痛めた影響から故障者リストに入ったが[12]、打率.294、22本塁打、104打点という成績を記録。本塁打は自己最低の数字に終わったが、安打・二塁打・三塁打・四球・盗塁・出塁率など、多くの部門で自己ベストの数字を叩き出した。また、チームリーダーとして6月27日に怠慢なプレイを見せた年上のB.J.アップトンに物申し、高い評価を得た[12]。3年目のこの年、初めて盗塁死を記録した。
2011年はBABIPが前年より1割近く低い.239だったこともあり、打率は自己最低の.244だった。しかし、四球率は過去最高、三振率は過去最低と打撃の内容自体は優れていた。シーズン最終戦のヤンキース戦ではサヨナラ本塁打を放ち、ボストン・レッドソックスを大逆転で交わしてのワイルドカード獲得を決めた。
2012年は前年同様、主砲として出場していたが、4月30日に二塁にスライディングした際に、右ハムストリングを壊し、全治6週間から8週間の重症をおい、60日間のDL入りとなった。その結果74試合の出場に留まった。しかし、球団はロンゴリアの存在を不可欠の物と捉え、11月26日に2017年シーズンから2022年まで6年総額1億ドルで契約を延長した[13]。オプションとして2023年シーズンの選択権を球団側が所持し、バイアウトの際には500万ドル支払われる。
2013年は復活し、自己最多の160試合に出場。打率.269、32本塁打(自身3度目の30本以上)、88打点、1盗塁という成績を残した。一方で自己ワーストとなる162三振(リーグワースト6位)を喫した。
2014年は全162試合にフル出場した。打率.253、22本塁打、91打点(3年ぶりの90打点以上)、5盗塁という成績を記録したが、長打と四球が減少した事で長打率及び出塁率も低下。OPSが0.800に届かなかったのは、規定打席到達/未達にかかわらず、ロンゴリアにとって初めての事であった。オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[14]。同月11日の対阪神・巨人連合戦では5回表に江柄子裕樹から満塁本塁打を記録した[15]。
2015年9月2日のボルチモア・オリオールズ戦、通算200本塁打を達成した(同じ日にライアン・ジマーマンも同じ記録を達成)。最終的には3年連続160試合以上に出場したが、本塁打と打点は前年から更に低下し、それぞれ20本塁打と70打点をクリアするのがやっとだった。
2016年は160試合に出場し、BB/Kの値は自己最低ながらもキャリアハイとなる36本塁打を記録。二塁打も6年ぶりに40本をクリアした。2015年にかけて打撃成績が低下傾向にあり、主砲としての役割低下が懸念されていた[16]が、汚名返上した恰好となった。
2017年8月1日のアストロズ戦でB.J.アップトンに次いで球団史上2人目のサイクル安打を達成した[17]。オフにゴールドグラブ賞を7年ぶりに受賞した。
ジャイアンツ時代
2017年12月20日にデナード・スパン、クリスチャン・アローヨ、スティーブン・ウッズ、マット・クルックとのトレードで、金銭1450万ドルとともにサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した[18]。レイズと残り5年総額8697万ドルを残していたが、ジャイアンツ側が7150万ドル肩代わりすることで合意された。
2018年6月14日のマイアミ・マーリンズ戦でダン・ストレイリーから死球を受け、左の第5中手骨(英語版)を骨折[19]し、その後1ヶ月余り(34試合)を欠場した。この年は主に打順3番や5番として125試合に出場し、打率.244、16本塁打(チーム1位)、54打点(同2位タイ)、OPS.694と自身ワーストの成績に終わった。
2019年は129試合に出場し、打率.254、20本塁打、69打点だった。
2022年オフにチームオプションを破棄され、フリーエージェント(FA)となった[20]。
ダイヤモンドバックス時代
2023年1月5日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと400万ドルの単年契約を結んだ[21][22]。
オフの11月3日にFAとなった[23]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2008
|
TB
|
122 |
508 |
448 |
67 |
122 |
31 |
2 |
27 |
238 |
85 |
7 |
0 |
0 |
8 |
46 |
4 |
6 |
122 |
8 |
.272 |
.343 |
.531 |
.874
|
2009
|
157 |
671 |
584 |
100 |
164 |
44 |
0 |
33 |
307 |
113 |
9 |
0 |
0 |
7 |
72 |
11 |
8 |
140 |
27 |
.281 |
.364 |
.526 |
.889
|
2010
|
151 |
661 |
574 |
96 |
169 |
46 |
5 |
22 |
291 |
104 |
15 |
5 |
0 |
10 |
72 |
12 |
5 |
124 |
15 |
.294 |
.372 |
.507 |
.879
|
2011
|
133 |
574 |
483 |
78 |
118 |
26 |
1 |
31 |
239 |
99 |
3 |
2 |
0 |
5 |
80 |
6 |
6 |
93 |
11 |
.244 |
.355 |
.495 |
.850
|
2012
|
74 |
312 |
273 |
39 |
79 |
14 |
0 |
17 |
144 |
55 |
2 |
3 |
0 |
3 |
33 |
6 |
3 |
61 |
14 |
.289 |
.369 |
.527 |
.896
|
2013
|
160 |
693 |
614 |
91 |
165 |
39 |
3 |
32 |
306 |
88 |
1 |
0 |
0 |
6 |
70 |
10 |
3 |
162 |
16 |
.269 |
.343 |
.498 |
.842
|
2014
|
162 |
700 |
624 |
83 |
158 |
26 |
1 |
22 |
252 |
91 |
5 |
0 |
1 |
9 |
57 |
11 |
9 |
133 |
15 |
.253 |
.320 |
.404 |
.724
|
2015
|
160 |
670 |
604 |
74 |
163 |
35 |
1 |
21 |
263 |
73 |
3 |
1 |
0 |
9 |
51 |
8 |
6 |
132 |
11 |
.270 |
.328 |
.435 |
.768
|
2016
|
160 |
685 |
633 |
81 |
173 |
41 |
4 |
36 |
330 |
98 |
0 |
3 |
0 |
7 |
42 |
6 |
3 |
144 |
13 |
.273 |
.318 |
.521 |
.840
|
2017
|
156 |
677 |
613 |
71 |
160 |
36 |
2 |
20 |
260 |
86 |
6 |
1 |
0 |
12 |
46 |
3 |
6 |
109 |
18 |
.261 |
.313 |
.424 |
.737
|
2018
|
SF
|
125 |
512 |
480 |
51 |
117 |
25 |
4 |
16 |
198 |
54 |
3 |
1 |
0 |
5 |
22 |
3 |
5 |
101 |
11 |
.244 |
.281 |
.413 |
.694
|
2019
|
129 |
508 |
453 |
59 |
115 |
19 |
2 |
20 |
198 |
69 |
3 |
1 |
0 |
5 |
43 |
1 |
7 |
112 |
14 |
.254 |
.325 |
.437 |
.762
|
2020
|
53 |
209 |
193 |
26 |
49 |
10 |
1 |
7 |
82 |
28 |
0 |
1 |
0 |
3 |
11 |
0 |
2 |
39 |
10 |
.254 |
.297 |
.425 |
.722
|
2021
|
81 |
291 |
253 |
45 |
66 |
17 |
0 |
13 |
122 |
46 |
1 |
1 |
0 |
2 |
35 |
4 |
1 |
68 |
9 |
.261 |
.351 |
.482 |
.833
|
2022
|
89 |
298 |
266 |
31 |
65 |
13 |
0 |
14 |
120 |
42 |
0 |
0 |
0 |
3 |
27 |
2 |
2 |
83 |
6 |
.244 |
.315 |
.451 |
.767
|
2023
|
ARI
|
74 |
237 |
211 |
25 |
47 |
9 |
0 |
11 |
89 |
28 |
0 |
0 |
0 |
3 |
23 |
0 |
0 |
73 |
8 |
.223 |
.295 |
.422 |
.717
|
MLB:16年
|
1986 |
8206 |
7306 |
1017 |
1930 |
431 |
26 |
342 |
3439 |
1159 |
58 |
19 |
1 |
97 |
730 |
87 |
72 |
1696 |
206 |
.264 |
.333 |
.471 |
.804
|
- 2023年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの打撃成績
年
度 |
代
表 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率
|
2009[24]
|
アメリカ合衆国
|
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.000 |
.000
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
三塁(3B) |
遊撃(SS)
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2008
|
TB
|
119 |
86 |
230 |
12 |
26 |
.963 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
2009
|
151 |
112 |
302 |
13 |
43 |
.970 |
-
|
2010
|
151 |
127 |
276 |
14 |
46 |
.966 |
-
|
2011
|
130 |
124 |
229 |
14 |
35 |
.962 |
-
|
2012
|
50 |
37 |
81 |
8 |
7 |
.937 |
-
|
2013
|
147 |
96 |
279 |
11 |
27 |
.972 |
-
|
2014
|
155 |
121 |
262 |
13 |
27 |
.967 |
-
|
2015
|
148 |
109 |
259 |
9 |
29 |
.976 |
-
|
2016
|
152 |
103 |
254 |
9 |
30 |
.975 |
-
|
2017
|
142 |
96 |
267 |
12 |
33 |
.968 |
-
|
2018
|
SF
|
123 |
72 |
213 |
15 |
25 |
.950 |
-
|
2019
|
119 |
69 |
233 |
15 |
27 |
.953 |
-
|
2020
|
52 |
41 |
84 |
2 |
9 |
.984 |
-
|
2021
|
78 |
47 |
139 |
5 |
11 |
.974 |
-
|
2022
|
68 |
40 |
129 |
6 |
11 |
.966 |
-
|
2023
|
ARI
|
41 |
25 |
60 |
2 |
4 |
.977 |
-
|
MLB
|
1826 |
1305 |
3297 |
160 |
390 |
.966 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
- 2023年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞年
表彰
記録
背番号
- 3(2008年 - 2017年)
- 10(2018年 - 2023年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
業績 |
---|
|
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1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
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