イーライ・ホワイトサイド
Eli Whiteside
![]() サンフランシスコ・ジャイアンツでの現役時代 (2010年5月9日) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ミシシッピ州ニューアルバーニー |
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生年月日 |
(1979-10-22) 1979年10月22日(44歳) |
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身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 220 lb =約99.8 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手 |
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プロ入り |
2001年 MLBドラフト6巡目(全体173位) |
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初出場 |
2005年7月5日 |
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最終出場 |
2014年6月21日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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ダスティン・イーライ・ホワイトサイド(Dustin Eli Whiteside, 1979年10月22日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ニューアルバーニー出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
WPダニエル高校を卒業し、デルタ大学に進学した。
オリオールズ時代
2001年のMLBドラフト6巡目(全体173位)でボルチモア・オリオールズから指名され、入団[1]。
2005年7月4日にジェロニモ・ギルの離脱にともないメジャーに昇格し[2]、翌5日には、メジャーデビューを果たした[3]。一度、マイナーに戻り、9月に再度昇格を果たした[4]。
2007年にFAになり、退団した。オリオールズには6年間在籍したが、メジャーでプレーしたのはたったの9試合だけだった[5]。
ツインズ傘下時代
2008年の開幕前にミネソタ・ツインズと契約した。しかし、AAA級ロチェスター・レッドウイングスで8試合に出場しただけで4月30日に放出された[6]。
ジャイアンツ時代
ツインズ退団の5日後にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約し、AAA級フレズノ・グリズリーズでプレーした。2008年は一度もメジャーでプレーする事は無かった。
2009年は開幕をAAA級フレズノで迎えたが。5月24日に離脱したパブロ・サンドバルの代わりに昇格し、ベンジー・モリーナの控えとなった[7]。これによって、イーライは4年ぶりにメジャーでプレーする事となり、また、初めてナショナル・リーグでプレーする事となった。8月5日にはヒューストン・アストロズ戦でブライアン・モーラーからメジャー初本塁打となる満塁本塁打を放った[8]。
2010年には、チームがサンフランシスコに移転後初めてのワールドシリーズ優勝を果たし、ホワイトサイドはバスター・ポージーのバックアップとして初の優勝を経験した[5][9]。
2011年は5月25日にバスター・ポージーがクロスプレーで負傷し、シーズン中の復帰となったため、クリス・スチュワートと併用される形で出番が増えた。
2012年は開幕をAAA級フレズノで迎えた。7月18日にヘクター・サンチェスが故障者リスト入りしたため昇格した[10]。
レンジャーズ傘下時代
2012年11月5日にウェーバーでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。11月28日にDFAとなる[1]。12月3日に再度ウェーバーでトロント・ブルージェイズに移籍した[11]。12月12日にまたもウェーバーでテキサス・レンジャーズに移籍した[12]。
2013年1月3日にDFAとなり[1]、1月4日にAAA級ラウンドロック・エクスプレスに降格[1]。オフの10月1日にFAとなった[1]。
カブス時代
2013年11月15日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。[13]
2014年6月3日に2年ぶりにメジャー昇格した[1]。6月22日にDFAとなり[1]、25日にAAA級アイオワ・カブスに降格した[1]。9月29日にFAとなった[1]。
引退後
2014年11月1日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだが[1]、2015年1月26日に現役引退を表明[14][1]。
その後、ジャイアンツのブルペン捕手に就任した。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2005
|
BAL
|
9 |
12 |
12 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
.250 |
.250 |
.250 |
.500
|
2009
|
SF
|
49 |
134 |
127 |
15 |
29 |
6 |
1 |
2 |
43 |
13 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
3 |
30 |
4 |
.228 |
.269 |
.339 |
.607
|
2010
|
56 |
141 |
126 |
19 |
30 |
6 |
1 |
4 |
50 |
10 |
1 |
2 |
3 |
0 |
8 |
0 |
3 |
35 |
4 |
.238 |
.299 |
.397 |
.696
|
2011
|
82 |
236 |
213 |
14 |
42 |
8 |
2 |
4 |
66 |
17 |
2 |
1 |
1 |
2 |
18 |
3 |
2 |
59 |
8 |
.197 |
.264 |
.310 |
.574
|
2012
|
12 |
14 |
11 |
3 |
1 |
1 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
1 |
4 |
0 |
.091 |
.214 |
.182 |
.396
|
2014
|
CHC
|
8 |
26 |
25 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0 |
.120 |
.115 |
.160 |
.275
|
通算:6年
|
216 |
563 |
514 |
52 |
108 |
22 |
4 |
10 |
168 |
45 |
4 |
3 |
4 |
4 |
31 |
4 |
9 |
138 |
17 |
.210 |
.265 |
.327 |
.592
|
- 2006年 - 2008年、2013年は試合出場なし。
背番号
- 15 (2005年 - 同年途中)
- 77 (2005年途中 - 同年)
- 22 (2009年 - 2012年)
- 32 (2014年)
脚注
関連項目
外部リンク