義州(ぎしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から北宋にかけて、現在の広西チワン族自治区岑渓市一帯に設置された。
概要
622年(武徳5年)、唐により隋の永熙郡永業県の地に南義州が立てられ、4県を管轄した。627年(貞観元年)、南義州は廃止され、その属県は南建州に編入された。628年(貞観2年)、義州が置かれた。631年(貞観5年)、義州は廃止された。632年(貞観6年)、再び義州が置かれた。742年(天宝元年)、義州は連城郡と改称された。758年(乾元元年)、連城郡は義州の称にもどされた。義州は嶺南道に属し、岑渓・永業・連城の3県を管轄した[1]。
971年(開宝4年)、北宋により義州は南義州と改められた。972年(開宝5年)、南義州は廃止され、その属県3県は竇州に転属した。973年(開宝6年)、再び南義州が置かれた。連城県と永業県が廃止され、岑渓県に併合された。977年(太平興国2年)、南義州は南儀州と改称された。1071年(熙寧4年)、南儀州は廃止され、その属県の岑渓県は藤州に転属した[2]。
脚注
- ^ 『旧唐書』地理志四
- ^ 『宋会要輯稿』方域七