寺坂頼我・野々田奏・清水天規(2020年6月脱退)・浦上拓也(2020年12月脱退)・横山統威・神田陸人・髙崎寿希也(2021年6月脱退)の、BOYS AND MEN研究生「13人時代」の選抜メンバー7人により結成されたグループで、BOYS AND MEN研究生のリーダーであった寺坂がリーダーを務め、センターに就く[2]。名古屋を拠点とするグループであること、「エンターテイメント集団」を自称し、あくまでも「アイドル」と自称しないことといった点は、BOYS AND MENおよびBOYS AND MEN研究生と同じである。グループ名の由来はメンバーによって「グループを漢字一文字で表すと『祭』。『9』は所属事務所のラッキーナンバーであることと、野球の『ベストナイン』という言葉にあやかっている。その2つをくっつけて『祭nine.』になった。」と説明されている[3]。
BOYS AND MENの活動スタイルである学ラン姿を引き継ぎながら、「祭」をテーマにした陣羽織の衣装を身に着けて活動する[4]。BOYS AND MEN研究生時代に設定されたメンバーカラーを引き続き用いているが、浦上・横山・髙崎の3名は研究生時代とカラーが変わっている[注 1]。BOYS AND MEN研究生に設定されていた「テーマフラワー」は、祭nine.では公式プロフィールに取り入れておらず、ほとんどこれを用いていない。
2017年8月16日にシングル『嗚呼、夢神輿』でインペリアルレコードからメジャー・デビューした。祭nine.の公式サイトでは、これ以前にBOYS AND MEN研究生がリリースした6作のインディーズ・シングルを祭nine.のディスコグラフィに加えている。BOYS AND MEN研究生と同じく、BOYS AND MENのインディーズ時代を担ってきた音楽家のYUMIKOが音楽プロデュースを受け持っている。YUMIKOは、祭nine.は寺坂・野々田・清水の3人が歌のメインであり、特に(センターの)寺坂の声が引き立つように曲を作っていると説明したことがある[5]。2018年にオリコンチャート首位を獲得、同年に主演ドラマ『ボイメン新世紀 祭戦士ワッショイダー』が制作・放送された。2019年5月に日本武道館公演を開催した。
中学2年時の2013年、野々田自身はBOYS AND MENのことを全く知らなかったが、そのファンであった姉が「音楽ができるから」とオーディション参加を勧める[16][18]。同年12月30日に開催されたBOYS AND MEN2期生追加オーディションを通過し、北川せつら・松尾青龍らとともに2期生に加入した。翌2014年春に2期生の正規メンバーとなり、舞台『ホワイト☆タイツ』に出演。秋にBOYS AND MEN研究生のグループ始動時メンバーとなる。テーマフラワーはひまわりに設定され、「元気担当」「全力少年」というキャラクターを打ち出した。寺坂とともにフロントメンバー、メインボーカルに定着し、2016年の「BOYS AND MEN研究生 人気投票」は寺坂に次ぐ2位となった。祭nine.でも引き続きメインボーカルに就き、2020年に脱退した清水に代わってダンスリーダーに就任した。
愛称は「とーい」「といぴょん」など[21]。BOYS AND MEN研究生トウキョウの前身・BOYS AND MENトウキョウの結成時のメンバーであり、BOYS AND MEN研究生13人時代のメインメンバーの1人である。「とうい」という名前はおもちゃを表す英語「TOY」に由来しており[22]、公式サイトなどでのアルファベット表記は「TOY」である。
小学6年生のころから芸能界に入りたい思いはじめ、好きだった氣志團と同じように学ラン姿でパフォーマンスをするBOYS AND MENの存在を知り、オーディション開催を知ってこれに応募した[22][23]。中学2年時の2014年12月に事務所オーディションを通過して、松岡拳紀介らとともにBOYS AND MENトウキョウのメンバーとなる[24]。トウキョウは翌2015年2月のBOYS AND MENの日本ガイシホール公演で初披露となり、横山はここでいちばん多くステージに出演する機会を与えられた[23]。同年夏からのトウキョウがほとんど活動できない状況であった数か月間を経て、2016年6月にリリースされた研究生の4thシングル『Power Of Dream』に参加してCDデビュー、この曲でソロパートを与えられる[23]。カップリングの選抜メンバーにも選ばれ、次作『バッシャーン!!!』でフロントメンバー入りした[25]。人気投票順位は8位。
岐阜県大垣市出身[28]。愛称は「りっくん」[12]。BOYS AND MEN研究生の初期メンバーである。
姉2人と妹がおり、次姉がアイドルユニット・お掃除ユニット名古屋CLEAR'Sに所属していた神田理保である[29]。子供の頃から勉強好き、特に化学が好きで将来は薬剤師になりたいと思っていた[30]。高校では陸上部で短距離走をやっていたが怪我をして走れなくなり、理保から芸能活動の楽しさを聞かされていたこと、もうひとりの姉が本田剛文からBOYS AND MEN2期生募集のチラシをもらったことをきっかけに家族から芸能活動を勧められ、俳優に興味を持ってそのオーディション参加を決めた[31]。高校1年時の2013年9月1日にBOYS AND MEN2期生の最初のメンバーとなり、2014年に野々田と同様に2期生正規メンバーを経てBOYS AND MEN研究生グループ始動時のメンバーとなる。テーマフラワーはチューリップ、初期のカラーはピンクでも「薄ピンク」であった[注 2]。研究生時代の神田のポジションは「選抜メンバーの後列」で、選抜には選ばれるがメインメンバーではない、という位置であった[32]。人気投票は6位。
9thシングル『轟け、獅子太鼓』まで参加。愛称は「うらぽん」「ぽんちゃん」など[35]。BOYS AND MEN研究生トウキョウ出身で、BOYS AND MEN研究生に最後に加入したメンバーである[注 3]。
子供の頃からアイドルが好きで、中学3年生のときにYouTubeで偶然目にした「常夏オーライ!!!」のミュージックビデオを見てBOYS AND MENに興味を持ち、そこからBOYS AND MEN研究生の存在も知る[36]。BOYS AND MENでは勇翔、研究生では中原聡太のファンになった[37]。学生時代は福祉関係の仕事に興味を持っていたが[35]、「何か変わったことがしたい」と思い立って研究生のオーディションに応募する。オーディションに3回落ち続けたが、高校2年時の2016年に4回目の応募でオーディションを受けることができた[36]。トウキョウのメンバーはすべて加入日が明らかにされていないが、浦上は2016年6月18日が始めて客前に出た「お披露目日」である[38]。京都府出身で東海地方にも東京にも属していなかったため、「研究生トウキョウ(仮)」という立場になった[39]。浦上の加入はトウキョウが研究生に合流した後であり、すぐにBOYS AND MEN研究生としてシングル『バッシャーン!!!』と夏のツアーに参加した。人気投票は14位となった。高校在学中は京都から名古屋に通い、研究生トウキョウのメンバーでありながら東京での活動に参加できないことが多かった[36][24]。
10thシングル『やったれ我が人生』まで参加。愛称は「じゅっきー」[12]。愛知県名古屋市出身[28]。祭nine.で唯一の愛知県出身者であり、BOYS AND MEN研究生13人時代から唯一の名古屋市出身者であった。神田と同じく研究生の初期メンバーである。研究生時代は「高﨑寿希也」という表記であった[12]。
幼少期は「やんちゃなサッカー少年」であった[42]。姉がBOYS AND MEN2期生の募集を知って髙崎をオーディションに参加させ、中学1年時、12歳のときに神田らとともに2期生の最初のメンバーとなる。それまでBOYS AND MENのことは全く知らなかった[43]。2014年春に2期生の正規メンバー、秋にBOYS AND MEN研究生のグループ始動時のメンバーとなり、テーマフラワーはアジサイ、テーマカラーは水色になる。研究生時代は選抜外の扱いが続いていた。人気投票は9位。祭nine.になり、テーマカラーが水色から青に変わる。髙崎はグループ内のムードメーカーと称されていた[40][44]。
2013年9月に始動したBOYS AND MEN研究生は、2016年秋に、その後「13人時代」と呼ばれるきっかけになった13人の編成になる。BOYS AND MEN研究生は2017年2月、センチュリーホールでグループ初のホール会場での単独ライブ『BOYS AND MEN 研究生ライブ 2017 羽ばたきの章』を開催した。このステージ上で所属事務所社長の谷口誠治から、「選抜メンバーでテイチクエンタテインメントよりメジャーデビュー、その詳細は後日発表」と発表された[46][47]。
祭nine.は2017年3月9日に結成された。選抜メンバーは谷口からのメールで知らされといい、各々が選ばれた(選ばれなかった)基準、理由については知らされていないという[48]。当面は情報を公開せずに、デビューシングルの制作を進めた。同月20日、BOYS AND MEN研究生としてPRキャラクターを務める名古屋テレビ塔下の特設ステージでフリーライブが開催され、ユニット名「祭nine.」とメンバー7名がはじめて公にされた[49][50]。
4月から冠番組『踊り!彩り!祭nine.』(メ〜テレ・ダンスチャンネル)ほか、複数のテレビ・ラジオのレギュラー番組を持つ。同月、8月9日にメジャー・デビューすることが発表され[51]、このリリースイベントが始まる前日の5月9日をもって7人はBOYS AND MEN研究生としての活動を終了した。5月10よりグループは本格始動となり[3]、祭nine.の公式サイトと公式ブログが開設され、メンバーのプロフィールやブログはBOYS AND MEN研究生から独立[52]。祭nine.と(後のBMKの基盤となる)BOYS AND MEN研究生の残留組はそれぞれ別のグループとして分岐し、それまでBOYS AND MEN研究生が行ってきたミッドランドスクエアシネマ2での定期イベント『ボイメンワールド』やイオンモール名古屋みなと内の常設劇場「BM STUDIO」での定期公演なども別々に行うようになった。
デビュー後
デビュー日は当初予定の8月9日から「制作上の都合」という理由により1週間遅れ[53]、8月16日にシングル『嗚呼、夢神輿』でデビュー[54][55]。この曲はオリコン2位、ゴールドディスク認定などの成果を上げた。CDデビュー以後、BOYS AND MEN研究生と活動をともにすることは減っていった。10月21日、東京・中野サンプラザで初のホール会場でのワンマン・ライブを開催した[56]。
2018年2月、名古屋・矢場町のビル「BECOME SAKAE」内に所属事務所運営の劇場「BM THEATER」がオープン[57]。このビルの別階にはかつて研究生時代に出演し、2014年に閉鎖されたBOYS AND MENの常設劇場「NDP STUDIO」があり、これも再オープンした。以降この2つの劇場をホームとする。3月リリースのセカンド・シングル『HARE晴れカーニバル』で初のオリコン週間1位を獲得。日本レコード協会が選出する「第32回ゴールドディスク大賞」において「ベスト5ニューアーティスト」を受賞した[58]。4月から初主演作の特撮テレビドラマ『ボイメン新世紀 祭戦士ワッショイダー』が放送された[59]。
2020年3月、主演映画『祭りの後は祭りの前』が公開された[62][63]。同月にBOYS AND MEN、BOYS AND MEN研究生らとともに、舞台『ボイメンステージ 諦めが悪い男たち 〜NEVER SAY NEVER〜』を上演[64]。
6月20日、清水天規が「自分の音楽、様々なことをやっていきたい。そのために沢山勉強して吸収したい。」といった理由により、グループから脱退すると発表した[65][66][67]。27日に常設劇場・BMシアターにおいて7人体制で最後のライブ『祭nine.のお祭りライブ』を配信で開催[68]。清水は30日で脱退し、翌日に「TENKI」と改名してソロ歌手として活動を始めた。清水がグループでの活動を終えた6月28日、6人組として、名古屋で開催される『にっぽんど真ん中祭り』の応援団に就任して、その総踊り曲として制作された楽曲「祭花 -MATSURIBANA-」を発表[69]。これは9月に自社レーベルFortune Recordsの流れをくむインディーズレーベル・NDRから同タイトルのシングルとしてリリースされた。8月に、寺坂・野々田・神田および事務所の社員2名、その後に浦上が新型コロナウイルスに感染したことを発表[70][71]。感染したメンバーが休養に入ったほか、BOYS AND MENほかフォーチュンエンターテイメント所属のタレント全般が1週間ほど活動を自粛した[72]。
2022年3月、4月30日をもって解散することを発表する。将来について考える中で野々田と横山から事務所退所の申し出があり、メンバー同士で話し合いを重ねた結果、それぞれが自分の夢に向かって進むためにグループ解散の決断が下されたという[79]。野々田・横山・神田はフォーチュンエンターテイメントを退所し、寺坂は事務所へ残って俳優活動を続ける[7]。4月30日に「BM THEATER」でラストライブ「No Matsuri No Life」を公演し、グループとしての活動を終了した[8]。
作品
祭nine.結成(2017年3月)以前のBOYS AND MEN研究生としての作品については、BMK (音楽グループ)#作品を参照。