滝口 順平(たきぐち じゅんぺい、1931年〈昭和6年〉4月17日[2][8][9] - 2011年〈平成23年〉8月29日[10][11])は、日本の声優、俳優。千葉県船橋市出身[3]。本名および旧芸名は滝口 幸平(たきぐち こうへい)[1][2]。
来歴
生い立ち
少年時代、父は定職を持たず、あれこれ手を出しては失敗を繰り返しており、家族はいつも貧乏のどん底で悲惨な生活に強いられていた[2]。心の奥底で、「ひとつのことをコツコツ続けるのだ、いや続けなくてはならないのだ……」と叫び続けていた声があったという[2]。
中学生の頃にラジオドラマが好きだったこと、親戚に浪曲師の春日井梅鴬がいたことから、将来は芝居か浪曲のどちらかをやりたいと考えていた[5]。
1949年、千葉県立市川工業高等学校機械科卒業後は地元の工場に就職していたが、高校時代に放送部でしていた朗読をひっさげ、『のど自慢素人演芸会』(現:『NHKのど自慢』)に出場して合格[2][7]。
その後、小山源喜が主宰していたキリン座に入団して声優の修業をしていた[2]。
キャリア
「これからの時代は放送業界だろう」と決断をしていたところ戦後に発足したラジオ東京(現在、法人としてはTBSホールディングス、放送局としてはTBSラジオ・TBSテレビ)放送劇団(第1期)の募集で3千人くらいの応募総数の中から選ばれて合格し、芸能界に入った[2][5][12]。当時はトップの成績であり、男性では20歳の滝口が最年少だったという[5]。1957年2月に「己の声優として真価をもっと広い世界で問うてみたい」と退団後[2][13]、衣笠プロ[14]、グループりんどう[15]、東京俳優生活協同組合[16]、東京アクタープロ[7]を経て、フリー[3]。
数多くのラジオ・ドラマに出演しており、その後はテレビ洋画の日本語版声の吹き替えを担当し、アテレコの草分け的存在となっていた[3]。
晩年・死去
80歳近くになっても、アニメではリメイク版『ヤッターマン』(読売テレビ)や『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ)などに出演し、『堂本剛の正直しんどい』(テレビ朝日)の企画「芸能人しんどい指令」や、『スキバラ・雨上がり決死隊の決死隊 トッターマンDS』(テレビ東京)などで、ドクロベエ風の声でのバラエティ系番組のナレーターも多く務めた。
2011年8月29日午前7時33分、胃癌のため、入院先の病院で死去[10][11]。80歳没。
なお生前に収録したNTTファシリティーズのエコロじいの声は、死去後も2012年3月までCMやNTTファシリティーズ公式サイトで聞くことができた(2012年4月より別の声になっており、公式サイトも別の声に差し替えられている)。『CRヤッターマン 天才ドロンボー只今参上!』やパチスロ『新・ドロンジョにおまかせ』にも生前に収録したドクロベエの声として出演している。また同じく代表作である「浜乙女」の語り部の声は2022年10月現在も聞くことができる。
2012年、第六回声優アワード「特別功労賞」を受賞[17]。
人物
民間放送初の声優である[3]。
声種はバスバリトン[7][18]。
役柄としては、太った悪役、少しコメディがかかった敵役で知られていた[12]。
アニメでは『ヤッターマン』でのドクロベエ役をはじめとした「タイムボカンシリーズ」が代表作に挙げられることが多く、「おしおきだべ」の台詞で知られている。
『ルパン三世』ではミスターX役で最多出演している。
CMにも多数出演している。
ハンナ・バーベラ作品(外国アニメ)の吹き替え出演も多い。
若いころ、海に向かって毎日大声で叫んで喉を鍛えたそうで、喉の丈夫さには自信を持っているとコメントしている。また、独特な声のために、1日にうがいを50回するほど喉を大事にしていた。しかし、晩年まで酒とたばこはやめなかった。台本に書いたアドリブなどは盗まれないように消しゴムで全部消していく[19]。
「声優は声から視聴者に抱かれるイメージが大事であり、そのイメージを壊したくない」との理由で、テレビ番組に出演しても、顔が放送されないように番組側に依頼していたという(2007年9月30日放送、日本テレビ『行列のできる法律相談所』内での本人談)。しかし、自身がナレーターを務めた『ぶらり途中下車の旅』では、1996年 - 2002年にかけて数回、ロケーション撮影の一場面で顔出し出演をしており、そのたびに旅人を驚かせていた。また2007年の春頃に、一度だけ『ザ・ワイド』(日本テレビ・読売テレビ)の1コーナーにおいてナレーションをした際、「私、滝口順平がお送り致します」というナレーションとともに、数秒間だけナレーション中の滝口が顔出しを行なったり、2007年11月12日の深夜にテレビ朝日で放送された『快感MAP』においても、『YATTERMAN〜ヤッターマン〜』のドクロベエ役として素顔とともに出演したりした。『快感MAP』に出演した理由は、滝口が調査員役のにしおかすみこのファンでもあったため。また、2007年11月16日にテレビ朝日で放送された『報道ステーション』内の団塊の世代向けの「懐かしのアメリカ映画」のコーナーで、初めて吹き替えをした人物として、素顔とともに紹介された。
2007年11月26日に日本テレビで放送された『NNN Newsリアルタイム』のコーナー「リアルエンタメ」で、実写版『YATTERMAN〜ヤッターマン〜』の主人公ガンちゃんこと高田ガン役に嵐のメンバー櫻井翔が決まったことについてのインタビューに応じた。
松村邦洋、ホリ、コージー冨田、カール北川、山口智充、林家たい平、大泉洋、タモリ、山本剛士、古賀慶太、櫻井翔などに物真似をされている。2011年6月4日放送『ぶらり途中下車の旅』では、旅人で出演した青木隆治が滝口のナレーションつきで物真似をしている。
趣味は読書[9]。
既婚者で息子と娘がいた[6]。
エピソード
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/Question_book-4.svg/50px-Question_book-4.svg.png) | この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "滝口順平" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年5月) |
1956年、日本初の吹き替え外国テレビドラマ『カウボーイGメン』では、滝口一人で女性役も含め全ての登場人物の声を生放送で同時にあてて放送された[2][5]。生放送だったため、そのフィルムは存在していないが吹替の歴史を紹介する番組に出演して当時の再現をすることがあった。
『ぶらり途中下車の旅』などのナレーターを務める番組で、出演者が食事をするシーンが多くあることから、滝口自身も旅人と一緒に旅をして食べ物を口にしていると、一部の視聴者に誤解されていた。『ぶらり途中下車の旅』については、滝口自身がロケに参加した回が存在する。
かつて、ゴキブリ捕獲器のCMにおいてゴキブリのキャラクターに扮した際、「ワシのマークの大正の」という独特のナレーションを行った。キャッチコピーの「バカとれ」という言葉は、当時の流行語にもなった。
2008年5月と2011年8月、一時休養をとった[20]。その間『ぶらり途中下車の旅』のナレーションはえなりかずきや近石真介、神谷明、増岡弘が代役を務めた後、2011年10月1日放送分からは藤村俊二が滝口の後任ナレーターに就任した。
死去直後である2011年9月3日放送の『ぶらり途中下車の旅』では「さようなら滝口順平さん」という副題の追悼番組が放送され、次週の沿線場所予告含めナレーションの大部分は滝口のものを使用し、最後に本人の顔写真が起用された。一部は増岡弘が新録で担当。そして番組の最後に阿藤快、舞の海、太川陽介が画面に登場して追悼の言葉を述べたあと、「滝口さん 天国でもいい旅を続けてくださいね」という追悼テロップが挿入された。
代役・後任
滝口の死後、代役を務めたり、持ち役・ナレーションを引き継いだりした人物は以下の通り。
出演
※太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
- 1963年
-
- 1965年
-
- 1966年
-
- 1967年
-
- 1968年
-
- 1969年
-
- 1970年
-
- 1971年
-
- 1972年
-
- 1973年
-
- 1974年
-
- 1975年
-
- 1976年
-
- 1977年
-
- 恐竜大戦争アイゼンボーグ(神原五郎[29]、帝王ウルル)
- ヤッターマン(1977年 - 1979年、ドクロベエ[30]、呼び出し、チョロ吉、ドクロック、ゲスダー、スッテン童子、コショウダユウ、チン皇帝、王様、ナランダ国国王、玉置ドクロ、ラッキー、パン屋の親方、ノダイコン、ボヤッキトン長官、キナコウズケノスケ)
- ルパン三世(第2作)(1977年 - 1978年、ミスターX、ヘス、ファントマ・マークIII)
- 1978年
-
- 1979年
-
- 1980年
-
- 1981年
-
- 1982年
-
- 1983年
-
- 1984年
-
- 1985年
-
- 1986年
-
- 1987年
-
- 1988年
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- 1989年
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- 1990年
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- 1991年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 1997年
-
- 1998年
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- 1999年
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- 2000年
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- 2001年
-
- 2003年
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- 2004年
-
- 2005年
-
- 2006年
-
- 2007年
-
- 2008年
-
- 2009年
-
- 2010年
-
劇場アニメ
- 1962年
-
- 1970年
-
- 1971年
-
- 1974年
-
- 1976年
-
- 1980年
-
- 1982年
-
- 1983年
-
- 1985年
-
- 1986年
-
- 1987年
-
- 1989年
-
- 1990年
-
- 1991年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- 1998年
-
- 2001年
-
- 2006年
-
- 2008年
-
- 2009年
-
OVA
- 1979年
-
- 1986年
-
- 1987年
-
- 1990年
-
- 1991年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 2002年
-
ゲーム
- 1996年
-
- 1997年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
-
- 2001年
-
- 2002年
-
- 2003年
-
- 2004年
-
- 2005年
-
- 2006年
-
- 2007年
-
- 2008年
-
- 2009年
-
- 2010年
-
- 2015年
-
吹き替え
俳優
- クリフトン・ジェームズ
-
- ゲルト・フレーベ
-
- フェルナンド・サンチョ
-
映画
ドラマ
海外人形劇
アニメ
特撮
人形劇
ラジオドラマ
テレビドラマ
映画
ラジオ
ナレーション
CM
歌曲・レコード・CD・LPドラマ
その他のコンテンツ
脚注
注釈
- ^ 2011年9月3日放送分の新録部分および2011年9月17日・9月24日放送分では増岡弘、2011年9月10日放送分では林家たい平が代役を担当し、2011年10月1日放送分以降は正式に藤村が後任となった。しかし、藤村も2015年10月に降板。後任は小日向文世。
- ^ 滝口の存命時に『ボカンと一発!ドロンボー』で一時的にドクロベエの代役をしていた。
- ^ 滝口の死去直後の2011年から2013年までは代役を立てず、台詞無しでの登場となり、2014年から森が演じることになった。
- ^ 佐藤は滝口の生前より、『ドラゴンボールZ』第100話から第105話まで一時的に最長老役を担当したことがある。
- ^ 滝口の存命時に『ライオン・キング3 ハクナ・マタタ』でごきげん役で代役を担当したことがある。
- ^ 『スーパーロボット大戦F』(1997年)、『完結編』(1998年)
- ^ 『ビックリドッキリ大作戦だコロン』(2008年)、『2 ビックリドッキリアニマル大冒険』(2009年)
出典
外部リンク