清水 市太郎(しみず いちたろう、慶応元年9月26日[1](1865年11月14日) - 昭和9年(1934年)12月19日[1])は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)、弁護士。
経歴
尾張国知多郡鬼崎村(現在の愛知県常滑市)出身。1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、イギリスのミドル・テンプルに留学した。帰国後、判事試補、海軍大学校教官、東京帝国大学法科大学講師を歴任し、日清戦争の際には捕獲審検所評定官を務めた。その後、法制局参事官を兼ね[2]、退官後は弁護士を開業した。
1908年の第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、6回の当選回数を数えた。
脚注
参考文献
衆議院請願委員長 |
---|
|