植場 平(うえば はかる、安政2年3月2日[1](1855年4月18日) – 昭和4年(1929年)8月17日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)。
経歴
讃岐国香川郡百相村(現在の香川県高松市)出身。1882年(明治15年)、大阪府警部補に任じられた[1]。1887年(明治20年)、島上・島下両郡連合会議員となり、淀川改良工事の請願に取り組んだ[1]。1897年(明治30年)、自由党大阪支部幹事となり、大阪府会議員に当選した[1]。その後、憲政党・立憲政友会の創設に参加し、幹事となった[1]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は8回を数えた。その間、高槻町長、大冠村長を務めた[2]。
その他に高槻銀行取締役を務めた[2]。
親族
脚注
- ^ a b c d e 『新選代議士列伝』p.30
- ^ a b c 『衆議院議員略歴』
- ^ 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
参考文献
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
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