近藤 英次郎(こんどう えいじろう、旧字体:近󠄁藤󠄁英次󠄁郞、1887年(明治20年)9月12日 - 1955年(昭和30年)12月27日[1])は、日本の海軍軍人。階級は海軍中将。衆議院議員。
経歴
山形県米沢市出身[2]。1908年(明治41年)、海軍兵学校を卒業し、1910年(明治43年)に少尉に任官した[3]。第一次世界大戦では第2特務艦隊に属して、地中海に派遣された。1921年(大正10年)、海軍大学校を卒業[3]。
その後、アメリカ合衆国駐在を経て、能登呂特務艦長、鳳翔艦長、館山海軍航空隊司令、赤城艦長、加賀艦長、第三艦隊参謀長、上海海軍特別陸戦隊司令官を歴任した[3]。日中戦争発生後は、第11戦隊を率いて揚子江遡江作戦に従軍し、南京攻略戦、武漢作戦に参加した[3]。
1939年(昭和14年)、予備役に編入された後は、東亜海運株式会社顧問を務めた[3]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1945年(昭和20年)12月1日に衆議院議員を辞職し[4]、その後、公職追放となった[5]。
栄典・授章・授賞
脚注
- ^ 読売新聞社『昭和三十二年度版 読売年鑑』、1957年
- ^ 『衆議院要覧』
- ^ a b c d e 『人事興信録』
- ^ 『官報』第5671号、昭和20年12月6日。
- ^ 公職追放の該当事項は「皇国運動同盟総裁、勤皇護国会会長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、279頁。NDLJP:1276156。 )
- ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
- ^ 『官報』第757号「叙任及辞令」1915年2月12日。
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
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