木崎村(きざきむら)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった村。1955年3月31日の合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧木崎村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては北区 (新潟市)#木崎地区などの記事を参照。
概要
旧新発田街道(木崎街道)と新発田川が平行して村内を通っており、木崎は新発田と沼垂や新潟を結ぶ水陸の交通の拠点として栄えた[1][2]。
沿革
行政
歴代村長
学校
小学校
中学校
交通
鉄道路線
現在は旧村域に東日本旅客鉄道(JR東日本)白新線早通駅が設置されているが、当時は未開通。
道路
- 一級国道
- 県道
- 島見浜葛塚線(現新潟市道豊栄1-765号線の一部)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『明治三十九年十月改正 新潟県市町村名全書』高橋活版所、1906年10月24日。
- 『職員録. 明治40年(乙)』印刷局、1907年8月17日。
- 『職員録. 明治41年(乙)』印刷局、1908年7月29日。
- 『職員録. 明治42年(乙)』印刷局、1909年7月23日。
- 『職員録. 明治43年(乙)』印刷局、1910年7月21日。
- 『職員録. 明治44年(乙)』印刷局、1911年7月21日。
- 『職員録. 明治45年(乙)』印刷局、1912年7月19日。
- 『職員録. 大正2年(乙)』印刷局、1913年9月27日。
- 『職員録. 大正3年(乙)』印刷局、1914年7月25日。
- 『職員録. 大正4年(乙)』印刷局、1915年7月28日。
- 『職員録. 大正5年(乙)』印刷局、1916年。
- 『職員録. 大正6年(乙)』印刷局、1917年8月15日。
- 『職員録. 大正7年』印刷局、1918年。
- 『職員録. 大正8年』印刷局、1919年11月22日。
- 『職員録. 大正9年』印刷局、1921年2月12日。
- 『職員録. 大正10年』印刷局、1921年12月15日。
- 『職員録. 大正11年』印刷局、1922年11月25日。
- 『職員録. 大正13年』印刷局、1924年10月30日。
- 『職員録. 大正14年7月1日現在』内閣印刷局、1925年9月28日。
- 『新潟県職員録. 大正15年8月1日現在』新潟県知事官房、1926年9月13日。
- 『職員録. 昭和2年7月1日現在』内閣印刷局、1927年9月26日。
|
- 『職員録. 昭和3年7月1日現在』内閣印刷局、1928年9月26日。
- 『職員録. 昭和5年7月1日現在』内閣印刷局、1930年10月10日。
- 『職員録. 昭和6年7月1日現在』内閣印刷局、1931年10月30日。
- 『職員録. 昭和7年7月1日現在』内閣印刷局、1932年10月27日。
- 『職員録. 昭和8年7月1日現在』内閣印刷局、1933年10月16日。
- 『職員録. 昭和9年8月1日現在』内閣印刷局、1934年11月7日。
- 『職員録. 昭和10年7月1日現在』内閣印刷局、1935年10月29日。
- 『新潟県年鑑(昭和八年度版)』新潟県年鑑社、1933年3月25日。
- 『新潟県年鑑(昭和九年度版)』新潟毎日新聞社、1933年12月31日。
- 『新潟県年鑑(昭和十年版)』新潟毎日新聞社、1934年12月7日。
- 『新潟県年鑑(昭和十一年版)』新潟毎日新聞社、1936年1月5日。
- 『職員録. 昭和11年7月1日現在』内閣印刷局、1936年10月23日。
- 『職員録. 昭和12年7月1日現在』内閣印刷局、1937年10月20日。
- 『職員録. 昭和13年7月1日現在』内閣印刷局、1938年10月5日。
- 『職員録. 昭和14年7月1日現在』内閣印刷局、1939年10月5日。
- 『新潟県年鑑(昭和十六年版)』新潟毎日新聞社、1940年12月1日。
- 『新潟県年鑑(昭和十七年版)』新潟日日新聞社、1941年11月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和十八年版)』新潟日報社、1942年12月10日。
- 『新潟県年鑑(昭和十九年版)』新潟日報社、1943年12月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和二十年版)』新潟日報社、1944年12月31日。
- 『新潟県職員録. 昭和16年9月1日現在』新潟県総務部人事課、1941年10月27日。
- 『新潟県職員録. 昭和18年2月1日現在』新潟県内政部人事課、1943年4月5日。
|
関連項目