垂井町(たるいちょう)は、岐阜県西部(西濃)の不破郡に属する町。
美濃国の国府趾、一宮などの所在地として有名であり、古代から美濃国の中心として栄えた。中世には中山道の宿場町、美濃路の分岐点、南宮大社の門前町として栄えた。戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛所縁の地としても有名であり菩提山城跡やその一族の竹中氏陣屋などがある。また、関ヶ原の戦いをはじめ承久の乱や南北朝動乱など天下を分かつ合戦の舞台でもあり、古代から近世までそれぞれの時代にゆかりの史跡がある。
地理
地目別面積比 [平成28年10月1日現在]
森林原野 32.61㎢ (57.2%)
農用地 10.47㎢ (18.3%)
宅地 7.28㎢ (12.8%)
道路 3.33㎢ (5.8%)
その他 3.39㎢ (5.9%)
揖斐川水系の相川とその支流による扇状地が、町の中央から東部や南東部にかけて広がり濃尾平野につながっている[1]。山地として北部から北西部に池田山地、南西部に南宮山地がある[1]。
- 山:南宮山、池田山、朝倉山、菩提山
- 峠:岩手峠
- 河川:相川、泥川、薬師川、大滝川、岩手川、梅谷川
- 湖沼:明神湖、大谷池、平尾1号・2号ダム
気候
- 夏は高温多湿で蒸し暑く38℃を越えることがある。一方、冬は積雪量が世界山岳気象観測史上1位(ギネス世界記録登録)となった伊吹山から「伊吹おろし」と呼ばれる風が福井県沿岸などの日本海側にも近いことから猛烈な吹雪となり吹き下ろしてくる。
方言(アクセント)
大垣市西部(旧不破郡)から垂井町、関ヶ原町、滋賀県米原市にかけての人々は、垂井式アクセントという、京阪式アクセントの変種を方言として使う。方言学者の服部四郎が初めて垂井町で発見して命名した。
垂井の地名由来
- 垂井(たるい)
古くから垂井の泉で歌枕(たるいの水)として多くの歌人に詠まれていたことに由来。
- 宮代(みやしろ)
「御屋(神社や御所)+代(場所)」であり、南宮大社や聖武天皇が行幸した場所(不破頓宮など)に由来。
- 府中(ふちゅう)
美濃国府があったことに由来。
- 綾戸(あやど)
渡来人の漢(あや)氏と呼ばれる綾を織る人々が集住したことに由来。
- 表佐(おさ)
渡来人の日佐(おさ)氏と呼ばれる古代の通訳が集住したことに由来。
- 栗原(くりはら)
呉国からの渡来人である呉原(くれはら)氏が集住したことに由来。
- 岩手(いわで)
岩手氏がこの地を治めていたことに由来。もしくは岩の出っ張ったところに由来。
隣接している自治体
歴史
先史
- 縄文時代 ‐ 大滝野遺跡(府中地区)、長尾遺跡(岩手地区)、南森下遺跡 / 小黒見遺跡(南宮山塊東部)、朝倉遺跡 / 北野遺跡 / 日守遺跡(朝倉山麓北斜面)など縄文中期~晩期の遺跡が見つかっている。草創期~前期の遺跡は発見されていない。
- 弥生時代 ‐ 日守遺跡、朝倉遺跡、境野遺跡などの遺跡が知られており表佐地区では土器・石器が出土している事や隣接地の大垣市からもそれらが出土している事から大規模な農耕集団がこの付近に存在していたと考えられている。
- 4世紀後半 ‐ 親ヶ谷古墳が造営。
- 7世紀前半 ‐ 南大塚古墳が造営。
※現在150基ほどの古墳が見つかっている。
古代
中世
(襲撃情報のため一時的に揖斐小島の頓宮へ移動)
近世
近代
現代
人口
- 町制当時から増加し続け、特に1960年代に行った工場誘致の影響により人口が激増し、その後も継続して増加していたが、2000年実施の国勢調査から減少している。
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垂井町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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垂井町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 垂井町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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垂井町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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23,240人
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1975年(昭和50年)
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24,794人
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1980年(昭和55年)
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26,404人
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1985年(昭和60年)
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27,899人
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1990年(平成2年)
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28,605人
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1995年(平成7年)
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28,736人
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2000年(平成12年)
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28,935人
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2005年(平成17年)
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28,895人
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2010年(平成22年)
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28,505人
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2015年(平成27年)
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27,556人
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2020年(令和2年)
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26,402人
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総務省統計局 国勢調査より
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行政
- 歴代町長
- 1代:多賀多門(1954年10月4日~1958年10月3日)
- 2代:国枝利一(1958年10月3日~1962年9月21日)
- 3代:矢木野辨二(1962年9月22日~1974年9月21日)
- 4代:早野光二郎(1974年9月22日~1986年9月21日)
- 5代:松井修(1986年9月22日~1991年3月21日)※
- 6代:田中幸雄(1991年4月22日~2003年4月26日)
- 7代:中川満也(2003年4月27日~2019年4月26日)
- 8代:早野博文(2019年4月27日~在任中)
※松井修が、脳内出血で急逝したため町長不在期間がある。
交通
鉄道
- 東海旅客鉄道(JR東海)
町内を東海道本線が通過しているが、上下線で離れている。町域北部を通る下り本線(登坂迂回線)は現在では貨物列車や特急列車のみが通行し、普通列車は町域南部の上り本線に平行して敷かれた「垂井線」を通って垂井駅に至る。かつては下り本線の町域内に新垂井駅が設置されており同線を通行する普通列車も運行されていたが、新垂井駅は1986年11月1日のダイヤ改正時に廃止された。
このほか、東海道新幹線が岐阜羽島駅 - 米原駅間で町域南部を通過しているが駅はない。
バス
- 名阪近鉄バス
- 稲葉線 <定期運行>
- 不破高校スクール線<運行日:不破高校の登校日>
- 大垣宮代線 <運行日:正月三が日>
- 大垣伊吹山線 <季節運行>
- 垂井町巡回バス <運行日:平日>
- 垂井・岩手線
- 府中・東線
- 垂井・宮代・表佐線
- 栗原・表佐・東線
- 池田温泉福祉バス(垂井駅 - 池田温泉)<運行日:火・金・土・日・祝日>
道路
教育・子育て
高校
中学校
小学校
保育園・幼稚園・認定こども園
- 認定こども園
- 垂井こども園
- 垂井東こども園
- 宮代こども園
- 表佐こども園
- 府中こども園
- 岩手こども園
- ハチスチルドレンズセンター <私立>
経済
特産品
産業
- 主な企業
- 電力
金融機関
- 十六銀行
- 垂井支店
- 垂井町役場ATM(大垣共立銀行との共同設置)
- 大垣共立銀行
- 垂井支店
- ミニストップ垂井町店ATM
- ヨシヅヤスーパー・センター垂井ATM
- バロー垂井店ATM
- 垂井追分ATM
- 垂井町役場ATM(十六銀行との共同設置)
- 大垣西濃信用金庫
- 垂井支店
- ヨシヅヤスーパー・センター垂井ATM
- バロー垂井店ATM
- 東海労働金庫
- 新大垣証券垂井営業所
- 日本郵便株式会社
- 垂井郵便局
- 表佐郵便局
- 岩手郵便局
- 垂井府中簡易郵便局
- 垂井宮代簡易郵便局
- 栗原簡易郵便局
- 西美濃農業協同組合(JAにしみの)垂井支店
- よりそいプラザ宮代店
- よりそいプラザ表佐店
- よりそいプラザ合原店
- よりそいプラザ府中店
- よりそいプラザ岩手店
- よりそいプラザ垂井東店
- マックスバリュ垂井ショッピングセンターATM
- ヨシヅヤ垂井店ATM
公共施設
- 役所
- 警察
- 消防
- スポーツ施設
- 文化施設
- 病院
- その他
通信
姉妹都市・友好都市
海外
姉妹都市
国内
提携都市(災害時相互応援協定)
名所・旧跡・観光スポット
神社
国府・寺院
近世の交通
城郭
墓
自然
主な祭典・芸能・催事
登場作品
著名な出身者
名誉町民
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
垂井町に関連するカテゴリがあります。
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垂井地区 | |
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東地区 |
垂井町(直接番地)[4] | 綾戸 | 表佐[5] | 地蔵 | 平尾
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宮代地区 | |
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表佐地区 | |
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栗原地区 | |
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府中地区 |
新井 | 市之尾 | 梅谷 | 大滝 | 敷原 | 清水 | 府中 | 南新井
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岩手地区 | |
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註 |
- ^ 字灯明の一部。
- ^ 字野庵の一部、字清水の一部、字葉生の一部。
- ^ 字多々目木の一部。及び国道21号、県道養老垂井線、町道宮代12号線に囲まれた地域。
- ^ 字地蔵、字駒引、字杢録、字永長の一部、字流の一部、字追分の一部、字山之前の一部。
- ^ 字東小柳の一部。
- ^ 字堤の一部
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