現代の大学の源流にあたる中世ヨーロッパの大学(中世大学)では、神学部・法学部・医学部と並ぶ、第四の学部として「哲学部」があった。ただし、ここでいう中世の「哲学部」は、現代でいう哲学科とは必ずしも対応せず、むしろ「教養学部」「教養課程」、または「Ph.D.」(Doctor of Philosophy)というときの「Philosophy」に対応する。つまり、「リベラル・アーツ」または「神学・法学・医学以外のその他の学問」を教育研究する学部だった。そのような中世の哲学部をめぐっては、カントが『諸学部の争い』で主題的に論じている[1]。