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人間将棋()は、人間を将棋の駒に見立てて行われる将棋の催しである[1]。山形県天童市の「天童桜まつり」で毎年4月に催される人間将棋が嚆矢であり最も有名だが、近年では他の地域でも開催されている。
概要
人間を駒に見立てて将棋を指すという発想は、豊臣秀吉が伏見城で小姓や腰元を将棋の駒に見立て、「将棋野試合」を行ったという故事がきっかけとなっている[2][3]。
現代では将棋を戦国時代の戦に見立て、戦国時代の兵士や腰元に扮した人間が巨大な将棋の駒となり、将棋盤を模した「戦場」で将棋を指すという舞台設定が多く、指揮者(将棋の指し手)は主に招待されたプロ棋士・女流棋士が務める事が多い。ルールは通常の将棋と違いはないが、人間将棋では全ての駒を一度は動かす事が暗黙の了解となっている[注 1][注 2]。
山形県天童市
山形県天童市で行われる天童桜まつり内で開催。「人間将棋」の嚆矢である。
天童は江戸時代(天童藩織田家2万石)から将棋駒の生産で知られ、織田信美が文政年間に財政再建に成功した米沢藩上杉家から駒師を招き、家老である吉田大八の指揮のもと藩士に学ばせた[4]。近年でも将棋駒の約95%がこの地域で生産されている[5][6][7][8][9]。
1956年から天童市で桜まつりが開催されるようになり、その目玉イベントとして人間将棋(「将棋野試合」)が行われるようになった[10]。
1971年までは舞鶴山の西側にある公園で、1972年以降は舞鶴山山頂に整備された会場で対局が行われている。天候不良の場合は会場を天童市市民文化会館に代替して開催される。
開催当初は地元の名士や市長などが指揮をとって対局していたが、イベントが有名になるにつれて1972年からはプロ棋士をゲストとして招待するようになり、1992年からは実際にプロ棋士が対局者として指揮をとるようになった。
駒となる人間は一般から公募されている[注 3]。先手・後手で衣装が色分けされており[注 4]、歩兵は女性しかつとめることが出来ない。
2018年4月22日の第63回天童人間将棋では山崎隆之と屋敷伸之が戦い、山崎の勝利。ゲストは加藤一二三[11][12][13]。
イタリアのマロースティカ市では人間チェスのイベントが1923年より行われており、この縁で1989年に天童市とマロースティカは姉妹都市の提携を結んだ。
2011年は東日本大震災、2020年及び2021年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け中止[14][15][16]。
藤井聡太五冠(竜王・王位・叡王・王将・棋聖)が対局者として出演した2022年の第67回天童人間将棋は、観覧者600人の応募枠に1万人超の応募が殺到した[17]。
対戦結果
表凡例:下線付きが先手(○=先手勝ち・○=後手勝ち・●=先手負け・●=後手負け)
青森県おいらせ町
青森県おいらせ町で行われる全国将棋まつり内で開催される「子ども人間将棋」。
大山康晴と親交のあった中戸俊洋・(合併前の旧百石町町民)が大山の協力を得て昭和50年代に「将棋の町」として将棋の普及・地域振興を目指した活動にがきっかけ。[72][73]。昭和61年7月に第1回全国将棋まつりを開催する。その後、平成19年から「子ども人間将棋」が併催され以後、継続開催している。毎年8月下旬開催、駒役は小学生から公募。
兵庫県姫路市
兵庫県姫路市で行われる「人間将棋 姫路の陣」。
姫路城の平成の修理を記念して、2015年11月28日・29日に姫路城の大手前公園で、西日本では初めての人間将棋が開催された[74][75][76][77][78]。28日は村田智穂対長谷川優貴で村田の勝利、29日は久保利明対山崎隆之で山崎の勝利となった。また、翌年以降も毎年11月に開催されている[77]。第2回以降は姫路城三の丸広場で開催されている。駒役は市内外問わず中学生から公募[79]。
表凡例:下線付きが先手(○=先手勝ち・○=後手勝ち・●=先手負け・●=後手負け)
岐阜県関ケ原町
岐阜県関ケ原町で行われる「天下分け目の関ケ原 東西人間将棋」。
2017年10月15日に第1回が佐藤天彦と山崎隆之を招いて開催された[80][81]。
表凡例:下線付きが先手(○=先手勝ち・○=後手勝ち・●=先手負け・●=後手負け)
開催年月日
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対局者(段位は当時のもの)
西軍|東軍
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会場
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備考
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平成29年10月15日
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●山崎隆之(八段)
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○佐藤天彦(名人)
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笹尾山特設会場
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平成30年5月27日
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●里見咲紀(女流初段)
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○山口恵梨子(女流二段)
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陣場野公園
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○都成竜馬(五段)
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●渡辺明(棋王)
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令和元年5月25日
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○石本さくら(女流初段)
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●和田あき(女流初段)
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笹尾山特設会場
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○久保利明(九段)
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●広瀬章人(竜王)
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令和6年10月20日
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●徳田拳士(四段)
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○高見泰地(七段)
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陣場野公園
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単発開催
- 明治末期または大正期に、骨董商どうしが商品の落札を巡って、当時の歌舞伎座を利用して芸者を駒にしたてて「人間将棋」の勝負を行ったという記述が、平山蘆江の著書『東京おぼえ帳』にある。
- 1948年10月には甲子園球場で松田辰雄八段 - 大山康晴八段の公開対局が行われ、3万5千人の観客が詰めかけた。グラウンドに白線を引いて作った大将棋盤を使用し、人を駒の代わりに移動させることで、対局の様子を観客に伝えたという[82]。
人間将棋を扱った作品
脚注
注釈
- ^ 一般的な将棋の対局では、採用される戦法や戦型、手数などによって終局まで一度も動かさない駒がある場合も少なくない。
- ^ なお、一回も動いていない駒が敵に取られた場合でも、一回動かされたとみなす。
- ^ 天童市では二日目の対局のみ。なお、一日目の対局では、山形県立天童高等学校及び創学館高等学校の生徒が担当する。
- ^ 相手の持ち駒となっても衣装の色はそのままである。
出典
関連項目
外部リンク
将棋類 |
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古将棋 | |
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本将棋亜種 | |
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その他将棋類 | |
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異種遊戯 | |
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遊び方 | |
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書籍 | |
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関連項目 | |
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