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ロックンロールの起源(ロックンロールのきげん、英: Origins of rock and roll)では、1950年代初頭から半ばにおけるアメリカ合衆国の音楽様式と定義されるロックンロールの複雑な発祥について記述する。
1881年4月25日、カナダではコメディアンのジョン・W・モートンが黒人を真似て、コミックソングの一環で「Rock and Roll」という曲を演奏した。 1886年にはジョニー・ガードナーのオーストラリア公演でコミックソング「Rock and Roll Me」が披露され、ある新聞評論家はガードナーを「とても彼がおどけていて、大勢の観客が笑い声で縦横に揺れた(rocked and rolled)」と記した[14]。
「ロッキング・アンド・ローリング」のフレーズで知られている最古の録音が「The Camp Meeting Jubilee」で、1896年から1900年にかけて録音されたエジソン・メール・カルテットとコロンビア・カルテット双方の盤が存在する[15]。そこには"Keep on rockin' an' rolling in your arms(お前の腕を縦横に振り続けろ)/rockin' an' rolling in your arms"という歌詞が入っている。また「ロッキング」は、特定の宗教儀式で礼拝者が感じた精神的携挙を説明するのに使われており、その伴奏音楽によく出てくるリズムに言及する際にも使用されていた[4]。
同じ頃、この用語は世俗的な文脈でも例えば鉄道列車の動きを説明するのに使われていた。それはまた鉄道を敷設する男達によって、作業ペースを維持する目的で岩に穴を開けるハンマーを振り下ろす際などに歌っていたことが示唆されている[16]。そのほか性的な文脈でも「ロッキング」と「ローリング」は個別又は一緒に使用されていた。英語圏の作家達は数百年にわたり"They had a roll in the hay"や"I rolled her in the clover"[注釈 3]というフレーズを使っていた[18]。
1922年、ブルース歌手トリクシー・スミスが世俗的な文脈で初めて2つの単語が登場する「My Man Rocks Me (With One Steady Roll)」を録音した[21]。それはバックビート (音楽用語)つきで演奏されたものだが、この遅い短音階調ブルースは後年の感覚でいう「ロックンロール」を意味するものではなかった[22]。
1927年、ブルース歌手のブラインド・ブレイクは「West Coast Blues」にて"Now we gonna do the old country rock (今俺達がやりたいのは古いカントリー・ロックだ)/ First thing we do, swing your partners"という二行連を使い、これが翌年のワイルド・ビル・ムーアによる「Old Country Rock」の基盤を形成した[26]。また1927年には、伝統的なカントリー歌手のアンクル・デイブ・メイコンが彼の楽団と共に"Don't she rock, daddy-o"の繰り返しがある「Sail Away Ladies」や「Rock About My Saro Jane」を録音した[27]。デューク・エリントンは1928年に「Rockin' in Rhythm」を録音し、ロビンソンズ・ナイツ・オブ・レストは1930年に「Rocking and Rolling」を録音した[4]。
1932年、ハル・ローチの映画『Asleep in the Feet』ではロックンロールという台詞が聞かれた[要出典]。1934年、ボズウェル・シスターズは映画『薔薇色遊覧船(Transatlantic Merry-Go-Round)』の挿入曲「Rock and Roll」でポップヒットを飛ばし[28]、そこではこの用語が海洋での船の動きを表すのに使われた[29]。1935年、ヘンリー・レッド・アレンが「Get Rhythm in Your Feet and Music in Your Soul」を録音し、そこには"If Satan starts to hound you, commence to rock and roll(もし悪魔がお前に付きまとってきたら、ロックンロールを始めるんだ) / Get rhythm in your feet..."という歌詞があった。アレンの録音は黒人音楽のレコードだったが、この曲はすぐに白人ミュージシャンによってカバーされ、ベニー・グッドマン(で歌手がヘレン・ウォード)のものが著名である[要出典]。
この言葉を使った他の著名な楽曲はいずれも1938年に発売されたものだが、チック・ウェッブ楽団によるエラ・フィッツジェラルドの歌うスイング曲「Rock It for Me」には"... Won't you satisfy my soul, With the rock and roll?(私の魂を満足させてくれないか、そのロックンロールで)"という歌詞が登場する。もう一つがシスター・ロゼッタ・サープの「Rock Me」で、これは元々トーマス・ドーシーによって「Hide Me in Thy Bosom」として書かれたゴスペル曲である。サープはこの曲をシティ・ブルース様式で[注釈 4]、世俗的な歌詞、恍惚とした声音、エレキギターを使って演奏した[32]。彼女はドーシーの歌詞"singing"を "swinging"に変更しており、また"rock me"の"R"を巻き舌で発音する方法は、そのフレーズが宗教的または性的な解釈を有するダブル・ミーニングだと受け取られることにつながった[33]。
翌年、バディ・ジョーンズ (ウェスタン・スウィング・ミュージシャン)は「Rockin' Rollin' Mama」を録音した。ここでは用語本来の(波が縦横に揺れる)意味で"Waves on the ocean, waves in the sea/ But that gal of mine rolls just right for me/ Rockin' rollin' mama, I love the way you rock and roll"と描写されている。1939年8月、アイリーン・キャッスルが考案した新しい踊り「キャッスル・ロックンロール」は「簡単なスイングステップ」と評され、彼女はこれを米国のダンシング・マスターズ大会で披露した[34][注釈 5]。1941年のマルクス兄弟の映画『マルクス兄弟デパート騒動 (The Big Store) 』では、女優のバージニア・オブライエンが伝統的な子守唄の出だしで歌い、それが次第に"Rock, rock, rock it, baby ..."といった歌詞があるロック調のブギウギへと変わっていく。この歌は短いコミックソングに過ぎなかったが、その当時までに幅広く一般聴衆に理解されていたであろう言及を含むものだった。
オックスフォード英語辞典によると、音楽様式を説明する際における「ロック」という単語の初期の使用は『Metronome』誌における1938年7月21日の批評で「ハリー・ジェイムスの「Lullaby in Rhythm」が実にロックである」と書かれていた[37]。1939年には、アンドリューズ・シスターズとビング・クロスビー共演による「Ciribiribin」と「Yodelin' Jive」への批評が『The Musician』誌に掲載され、この曲たちが「厳格な4分の4拍子で進行される、留まることを知らない熱意を孕んだロックンロール」だと書かれていた[38]。
皮肉めいた二重の意味が一般に知られるようになったのは、最初のロックンロール・レコード候補の1つであるロイ・ブラウン (ブルース歌手)の「Good Rocking Tonight」(1947)である[43]。これは1948年にワイノニー・ハリスによって荒々しい感じでカバーされ、そこでの「ロッキング」とは表向きダンスに関するものだったが、実際には性行為を薄いベールで覆った隠喩だった。こうしたダブル・ミーニングの言葉はブルース音楽で十分に確立されていたが、ラジオ放送では新しいものだった。「Good Rocking Tonight」の成功後、ほか大勢のR&Bアーティストが1940年代後半に似たような題名を使用した。この時期に「Rock and Roll」という題名の曲が少なくとも2曲(1947年のポール・バスコムと1948年のワイルド・ビル・ムーア)録音されている[44]。1948年5月、サヴォイ・レコードはブラウニー・マクギーの「Robbie-Dobey Boogie」を"It jumps, it's made, it rocks, it rolls"というキャッチコピーで宣伝した[45]。曲を通して例のフレーズが繰り返されたもう一つのレコード「Rock and Roll Blues」は、アーリン・ハリスによって1949年に録音された。これらの曲は一般に黒人音楽(race music)に分類され、1940年代後半からはR&Bとされ、白人の聴衆に知られることは稀だった[46]。
ボストン・グローブ紙によると、大半のロック史研究者が「Rocket 88」を最初として挙げており[68]、一方で『The New Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll(ロックンロールの新ローリングストーン百科事典)』とロックの殿堂ウェブサイトでは、その曲がそれぞれ「頻繁に挙げられている」「最初だと広く考えられている」と書かれている[65]。音楽業界の人達は、別の曲を幾つか最初だと称している[69]。もちろん「Rocket 88」は、その力強いバックビートと洗練されていないディストーション (音響機器)を掛けたエレキギターを理由に挙げられている[70]。対照的に、作家でミュージシャンのマイケル・キャンベルは「我々の視点からだと」と前置きしたうえで、チャック・ベリーやリトル・リチャードの曲にある基本的特徴はロックのリズムではなくシャッフルビートなので最初のロックンロール・レコードではない、との持論を記した(とはいえ「Rocket 88」にはギターやディストーションを重視するなどロック音楽の基本的特徴があるとも彼は付記している)[71]。ロックンロールやR&B楽曲の特徴は議論され続けている。ナイジェル・ウィリアムソンは「異常に速くて重低音のエイトビートなブギのリズム、そして車と酒と女性に関する大きな歌詞の」それが本当にR&Bの曲だったのかを疑問視している[72]。
音楽史家のロバート・パーマーは、もっと昔の曲に大音量のエレキギター作品が存在することを主な理由として、より頻繁に挙げられる「Rocket 88」よりもゴリー・カーターの1949年の曲「Rock Awhile」のほうが「はるかに適切な候補」だと書いた[73]。「Rocket 88」についてはその騒々しいサックス、ブギウギのビート、ファズ (音響機器)を掛けたアンプギター、そして自動車を称える歌詞を理由に挙げられている、とパーマーは書いている[74]。しかし、彼は「Rock Awhile」を「最初のロックンロール・レコード」のより適切な候補だと見なしており、なぜならそちらのほうが2年早く録音されていることや、カーターのギター作品がチャック・ベリー後期のギター作品と著しく類似していながらもオーバードライブ (音響機器)の掛かるアンプを使っていることを、ブギベースのリズムや歌詞の主題といった裏付けと共に挙げた[73]。ロジャー・ウッドやジョン・ノヴァ・ローマックスもまた、最初のロックンロールレコードとして「Rock Awhile」を挙げた[75][76]。他には、ロイ・ブラウンの「Good Rocking Tonight」またはワイニー・ハリスの同1948年盤が最初という見解がある(この曲は1954年にエルヴィス・プレスリーがカバーした際により大きく世に広まった)[77]。シスター・ロゼッタ・サープの1944年の曲「Strange Things Happening Every Day」もまた最初の曲だと見なされている[78]。
ジム・ドーソンとスティーブ・プロペスによる1992年の著書『What Was the First Rock'n'Roll Record?(最初のロックンロール・レコードは何だったのか?)』[82]は、イリノイ・ジャケーの「Blues, Part 2」(1944)からエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」(1956)に至るまで、50人の候補者について決定的な結論に達することなく議論を行なっている。その序文で、ロックンロールの現代的な定義がDJアラン・フリードが1954年後半に放送した『The Rock and Roll Show』という彼の画期的番組のほか1955年1月に行われた彼のコンサート『Rock and Roll Jubilee Balls』でこの用語を使用したことによって設定されたと著者らは主張しており、彼らはフリードが注目した音楽に基づいて、候補者となるR&Bのコンボ(少人数の楽団)、黒人のボーカルグループ、ホンキングサックス奏者、ブルースの優秀演奏者、そして真正のR&Bスタイルで演奏する数人の白人アーティスト(ビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリー)を厳選した。フリードの番組初期に登場したアーティストには、楽団のリーダーであるバディ・ジョンソン、ザ・クローバーズ、ファッツ・ドミノ、ビッグ・ジョー・ターナー、ザ・ムーングロウズ、クライド・マクファター&ドリフターズ、ザ・ハープトンズなどがいた。著者達が言うには、この用語が米国じゅうを席巻したその短い期間にロックンロールと呼ばれる音楽の最初が存在したとされる。「ホンキング」テナーサックスがこれら番組の原動力でありフリードの演奏するレコードの多くに出てくるとの理由から、著者達の候補リストは1944年代半ばのコンサート『Jazz at the Philharmonic』でのイリノイ・ジャケーによる生演奏より始まっている。その生演奏レコード「Blues, Part 2」は現在でもVerveレーベルのCDとして発行されている。著名なジャズの偉人が数名この「Blues」でジャケーの伴奏をしている[注釈 12]。
このほかロックンロール・サウンドを形成したのがリトル・リチャードとチャック・ベリーだとされている[87]。1950年代初頭よりリトル・リチャードはゴスペルにニュー・オーリンズのR&B、重いバックビート、叩きつけるようなピアノ、哀調のこもったボーカルを組み合わせた[88][89]。レイ・チャールズはリトル・リチャードのことを新種の音楽を始めたアーティストと呼び、これは1955年に「Tutti Frutti」としてレコードに登場する前の数年間ステージ上で演奏していたロックンロールのファンキースタイルを指していた[90][91][92]。チャック・ベリーと彼の楽曲「Maybellene」(1955年録音、R&Bチャート1位でUSポップチャート5位)、「ロール・オーバー・ベートーヴェン」(1956)、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」(1957)、「ジョニー・B.グッド」(1958)は、ロックンロールを特徴づける主な要素を洗練および発展させ、ティーン世代の暮らしに焦点を当てたり後のロック音楽に大きな影響を与えるギターのイントロやリードブレイク[注釈 14]を導入した[92]。初期のロックンロールは12バー・ブルースの和音進行を使い、1小節4ビート(通常ロックンロールは8分音符8個のエイトビートになる)なブギウギと共通点があった。しかし、ロックンロールはブギウギよりもバックビート (音楽用語)に重点を置いている[93]。ボ・ディドリーの1955年のヒット曲「Bo Diddley」およびB面の「I'm a Man」は新たなビートと独自のギタースタイルを導入し、これは 12バーのパターンを使用して多くのアーティストに感銘を与えた[94]。彼の主張、リズム進攻、エッジを効かせた(hard-edged)エレキギター音、アフリカのリズム、特徴のあるクラーベ・ビート(単純な5アクセントのリズム)は、ロックおよびポップ音楽の土台として残っている[95][96][97]。
早くも1946年にアーサー・クルーダップやファッツ・ドミノといった演奏家が後世のロックンロールと区別できないブルース曲を録音していた、と指摘する人達もおり、これらのブルース曲はその数十年前にさかのぼるテーマ、コード変更、リズムを下敷きにしていた[65][出典無効]。1947年ロイ・ブラウンの「Good Rocking Tonight」のワイノニー・ハリスによるカバー盤もまた、そのレコード人気が1940年代後半から1950年代初頭にかけて主に黒人アーティストによる同様のロックビートでの多くのアンサーソングをもたらしたため、最初のロックンロール・レコードの候補だとされている[4]。ビッグ・ジョー・ターナーの1939年の楽曲「ロール・エム・ピート」は1950年代のロックンロールと非常に近い[98]。シスター・ロゼッタ・サープもまた1930年代から1940年代に「Strange Things Happening Every Day」(1944)などの叫んだり足を踏み鳴らす音楽を録音しており、それは1950年代半ばのロックンロールの主な要素を幾つか含むものだった[78]。年代をさらに昔に遡るなら、ブルース研究家ゲイル・ディーン・ウォードローはブラインド・ルーズベルト・グレイブスと彼の兄弟による1929年録音の「Crazy About My Baby」が「最初のロックンロール録音と考えられる」と主張している[99]。
「Way Down in Egypt Land」-1926年にゴスペル楽団Biddleville Quintetteが録音。「一貫したバックビートを特徴とする[中略]最も古い楽曲」と評されている[105]。
「Sail Away Ladies」「Rock About My Saro Jane」-1927年5月7日にアンクル・デイブ・メイコンと彼の楽団によって録音された[27]。「Sail Away Ladies」は伝統的なスクウェアダンス曲で、"Don't she rock, daddy-o"を繰り返す箇所がある。メイコンは「Rock About My Saro Janeを1880年代に黒人の港湾労働者から教わったと考えられている(アラン・ローマックスによれば、曲自体は19世紀半ばに遡るとされる)[106]。
「It's Tight Like That」-1928年10月24日にタンパ・レッドがピアノ奏者のジョージア・トム(トーマス・A・ドーシー)と一緒に録音。初期ホーカム (ブルース)の非常に成功したレコードで、レッドは後に自分の楽団と共にシカゴ音楽の先駆者となり、ドーシーは「ゴスペル音楽の父」になった。
「Pine Top's Boogie Woogie」-1928年12月29日にパイントップ・スミスが録音。ブギウギ最初のヒット楽曲の一つで、"the girl with the red dress on(赤いドレスを着た少女)"に言及する古典的ロックンロールの最初だとされている。曲調は1925年のジミー・ブライスの楽曲「Jimmy's Blues」から派生したもの[107]。
「Crazy About My Baby」-1929年にブラインド・ルーズヴェルト・グレイヴズ兄弟が録音した、少人数による伴奏つきのリズミカルなカントリー・ブルース。研究者のゲイル・ディーン・ワードロウは、これが「最初のロックンロール楽曲と考えられる」と主張している[99][109]。また同兄弟が1936年に録音した器楽曲(「Skippy Whippy」「Barbecue Bust」「Hittin'the Bottle Stomp」など)について、作家ロバート・パーマーが「完全に形成されたロックンロールギターのリフと生き生きとしたロックンロール・ビートが特徴」と評している[54][110]
「Good Lord (Run Old Jeremiah)」-(1934年以降はオースティン・コールマンとジョー・ワシントン・ブラウンによるものだが、)父ジョン・ローマックスと息子アラン・ローマックスが録音した熱狂的で騒々しいリング・シャウト[注釈 17] で、歌い手が"I'm going to rock, you gonna rock ... I sit there and rock, I sit there and rock, yeah yeah yeah."と演説調に語る[4][114]。音楽史家のロバート・パーマーは「リズミカルな歌唱、激しくなるビート、ブルース調のメロディー、即興にして意識の流れの言葉、[中略]約20年後に出現するロックンロールのあらゆる重要な先駆け要素がある」と評した[54]。
「Down the Road a Piece」-1940年8月にウィル・ブラッドリー楽団が録音した、ロック・ブギの曲。後にロックンロールの定番曲スタンダードになった。ドラム奏者レイ・マッキンリーには「エイトビート・マック」のあだ名があり、これはジャズの1小節4ビートからロックンロールの特徴である1小節8ビート(eight to the bar)の使用に移行したためである。
「Open the Door, Richard」-喜劇演目に基づいて作られたR&Bレコード。1946年9月にジャック・マクヴィーによって初めて録音され、フレッチャー、カウント・ベイシー、ザ・スリー・フレイムス、ルイ・ジョーダンほか多くのアーティストによって即座にカバーされた。類似する販促型R&Bレコードの先駆けで、ザ・コースターズなどのグループ録音では初期ロックンロールの主軸曲となった[82]。
「Rock and Roll」-1948年にワイルド・ビル・ムーアが録音して1949年にリリース。これはムーアが曲を通して"We're going to rock and roll, we're going to roll and rock”を繰り返し、"Look out mamma, we're going to roll and rock.”の歌詞で曲が終わるロック・ブギ。この曲の別バージョン(作詞作曲がムーア名義)は1949年にドーレス・ディケンズによって録音された[136]。
「 Work with Me, Annie」-1954年1月14日にハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズが録音。その猥褻な歌詞にもかかわらずR&Bチャートで7週間1位となり、幾つかの続編も生まれた。ラジオで放送禁止となり、ロックンロールの禁止要請につながったが、歌詞はすぐに保守的な白人聴衆向けに書き直され、ジョージア・ギブスは自身で直した「Dance with Me, Henry」で1955年にポップチャート1位となった[82]。
「Shake, Rattle and Roll」-1954年2月15日にビッグ・ジョー・ターナーが録音、6月にビルボードR&Bチャートの1位になった。カバーとはいえ歌詞と編曲が大きく異なるヘイリー盤[165]は8月末にポップチャートで7位になり、同年の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」による大成功を予兆させた。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」-1954年4月12日にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが録音。この曲はアメリカのポップ・チャートで初めて1位になったロックンロール・レコードで、その後38週にわたってTop100位以内に留まった。このレコードは多くの場合、ロックを主流(少なくともティーン世代の主流)に押し上げたものと言われている。当初は売上が今一つだったが、彼の他の楽曲「Shake Rattle and Roll」「Dim, Dim the Lights」が好評だったこともあり、翌年の『暴力教室 (1955年の映画)』に挿入されたことでより多くの観客に視聴され、1955年に世界的な成功を収めた[166]。最終的には600万枚を売り上げた[158]。曲自体は、1953年後半にソニー・ダエ&ヒズ・ナイツが録音したもので、ヘイリーが自身の盤を録音した時にこの斬新な楽曲は控えめなローカルヒット曲だった[82]。
ジェームズ・コットンの「Cotton Crop Blues」とパット・ヘアの「I'm Gonna Murder My Baby」-いずれも1954年5月に録音。ヘヴィメタルの音楽要素を予期させるような、重いディストーションを掛けたパワーコード運びのエレキギターソロを特徴とするエレクトリック・ブルースのレコード[54]。
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