ルカ・モドリッチ (Luka Modrić ; クロアチア語発音: [lûːka mǒːdrit͡ɕ] 、1985年 9月9日 - )は、ユーゴスラビア (現・クロアチア )・ザダル 出身[ 5] のサッカー選手 。レアル・マドリード 所属。クロアチア代表 。ポジションはミッドフィールダー [ 4] 。同国代表 の出場数歴代最多記録保持者。
山脈にある人口500人ほどの村で育ち[ 6] 、6歳でクロアチア紛争 とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 の泥沼化に巻き込まれ、18歳まで難民生活をしていた[ 7] 。紛争中、父はクロアチア軍の車の整備士、母は織物労働者であった[ 8] 。
地元クラブであるNKザダル のユース出身で、2002年に国内の強豪クラブであるNKディナモ・ザグレブ への移籍が転機となる。入団後すぐにクオリティーの高さを見せつけ、クラブはすぐに契約を10年延長。クラブ職員によって多くの成長補助食品も与えられ、コンプレックスであった身長もゆっくりと成長していった[ 9] 。
その後、HŠKズリニスキ・モスタル 、NKインテル・ザプレシッチ へのレンタル移籍 を経て2005年にディナモ・ザグレブのトップチームデビューした。
2008年からはプレミアリーグ に活躍の場を移し、トッテナム・ホットスパーFC ではスコット・パーカー やガレス・ベイル らとチームを牽引した[ 10] 。2012年にレアル・マドリード へ移籍、UEFAチャンピオンズリーグ 優勝などのタイトルを獲得した。
2018 FIFAワールドカップ ではクロアチアを初の準優勝に導き、大会MVPにあたるゴールデンボール を受賞した[ 11] 。
クロアチア年間最優秀選手賞 に最多となる12度選出されているほか、2015年にFIFA/FIFProワールドイレブン 、2016年にはUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー にクロアチア人で初めて選ばれた。2018年、東ヨーロッパ 出身選手で初めてUEFA欧州最優秀選手賞 、FIFA最優秀選手賞 を受賞し、クロアチア人初となるバロンドール にも選ばれた[ 12] 。
クラブ経歴
クロアチア時代
1985年、旧ユーゴスラビア のザダル 郊外にあるモドリッチという名前の村で生まれた[ 13] 。1991年、クロアチア が独立を宣言し、クロアチア紛争 が始まると故郷は戦場となり、祖父をセルビア民兵に殺害された[ 13] 。この事件に関しては「あまり話したくない」としている[ 14] 。また、名前の“ルカ”は祖父の名前から来ている[ 15] 。一家はザダルへ逃れ、難民が暮らすホテルで仮住まいを始め、6歳のモドリッチ少年はホテルの駐車場でサッカーに熱中した[ 16] 。クロアチア代表 でも活躍していたズボニミール・ボバン のファンであり、当時ボバンも所属していたACミラン でのプレーを夢見ていた[ 17] 。
10歳の頃にハイドゥク・スプリト のトライアルを受けるも、華奢で力がなさすぎるという理由から不合格となり[ 18] 、その後地元クラブのNKザダル の下部組織に入団した。16歳でディナモ・ザグレブ の下部組織に移籍する。
18歳でトップチームに昇格し10年間のプロ契約を結び、故郷にアパートを買って一家の難民生活にピリオドを打った[ 7] 。同じポジションにニコ・クラニチャール が居たため、HŠKズリニスキ・モスタル にレンタル移籍 。ここでは18歳ながらキャプテンを務め年間MVPの活躍を見せるものの、ディナモへの復帰は叶わず、翌年NKインテル・ザプレシッチ に再びレンタルに出された。ザプレシッチではタイトル争いに大きく貢献し[ 18] 、最終的にクラブをリーグ2位へ導くと年間最優秀若手選手賞を受賞した[ 19] 。
転機が訪れたのはクラニチャールがハイデュク・スプリト に移籍してから。2005年1月にディナモへ急きょ呼び戻されると、ヨジップ・クゼ 監督の下、エドゥアルド・ダ・シルヴァ 、ヴェドラン・チョルルカ 、オグニェン・ヴコイェヴィッチ らとともに、リーグ優勝を達成。モドリッチもチーム内で確固たる地位を築き、リーグ3連覇に貢献。2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出された。
トッテナム・ホットスパー
2008年5月30日にトッテナム・ホットスパーFC へ同クラブの当時史上最高額となる移籍金2300万ユーロで移籍[ 20] 。
8月16日のミドルスブラFC との開幕戦でプレミアリーグ デビュー[ 21] 。ファンデ・ラモス 監督の下では中盤の底で司令塔としての役割を求められたものの、プレミアリーグに適応できない中での不慣れなポジションでのプレーとあり、また膝の怪我もあり低調なパフォーマンスが続いた[ 22] [ 23] 。しかし10月末にファンデ・ラモスが解任されハリー・レドナップ が就任すると、セントラルハーフや左サイドでプレーするようになり、レギュラーに定着。2008年12月18日のUEFAカップ 、FCスパルタク・モスクワ 戦で移籍後初得点を挙げると[ 24] 、その3日後にはニューカッスル・ユナイテッドFC 戦でプレミアリーグ初得点を挙げた[ 25] 。移籍初年度から計44試合に出場し、5得点を挙げた。
2009-10シーズンもレギュラーとしてスタートしたものの、2009年8月29日のバーミンガム・シティFC 戦でリー・ボウヤー と接触し右足の腓骨 を骨折[ 26] 。当初は6週間の離脱とみられたが[ 27] 復帰は遅れ、12月にようやく戦列に復帰した[ 28] 。復帰後はトッテナム躍進の原動力となり、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ 出場権獲得に貢献した[ 22] 。シーズン終了後、トッテナムと新たに6年契約を結んだ[ 29] 。
トッテナム時代のモドリッチ(2010年)
2010-11シーズンは自身初めてチャンピオンズリーグ本戦に進んだ。2010年9月29日のグループリーグ第2節、ホームでのFCトゥウェンテ 戦でチャンピオンズリーグ初出場を果たし、ガレス・ベイル の得点を導くなど4-1の大勝に貢献[ 30] 。続く10月20日のアウェーでのインテル 戦ではゴメス の退場により前半11分で交代となるも[ 31] 、11月2日のホームでのインテル戦ではラファエル・ファン・デル・ファールト の先制点をアシストし、3-1での勝利に貢献[ 22] 。続く11月24日のヴェルダー・ブレーメン 戦ではチャンピオンズリーグ初得点を挙げた[ 32] 。チャンピオンズリーグでは8試合に出場し、グループリーグ首位通過と初のベスト8進出に貢献した。プレミアリーグでは32試合に出場し、パス成功数とインターセプト数でリーグベスト3に入る活躍をみせた[ 22] 。トッテナムは2シーズン連続のチャンピオンズリーグ出場権獲得は逃したものの5位につけ、UEFAヨーロッパリーグ 出場権を獲得した。これらの活躍により、プレミアリーグで最もクリエイティブな選手の1人という評価を得た[ 33] 。
2012年夏の移籍市場では、レアル・マドリード がモドリッチへ強い関心を示した。モドリッチ自身も移籍を希望し、練習の欠場やアメリカ 遠征を辞退した[ 34] 。プレシーズンツアーに参加しなかったモドリッチに対し、クラブは罰金を課した[ 35] 。
レアル・マドリード
2012年8月27日にレアル・マドリードへの移籍を発表した。契約は5年間で、移籍金は推定4200万ユーロ。モドリッチ移籍と同じタイミングでトッテナムとレアル・マドリードが提携契約を締結、レアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス 会長は「我々両クラブの強固で親密な関係が、長期的なパートナーシップの締結とルカ・モドリッチの移籍につながった。ルカを歓迎し、今後トッテナムと密接に協力していくことを楽しみにしている」と語り、トッテナムのダニエル・レヴィ会長は「ルカは我々にとって素晴らしい選手だった。彼を手放すのは本望ではないが、移籍先がマドリーであることに満足している。また、マドリーと長期的かつ生産的なパートナーシップを共有することを楽しみにしている」と語った[ 36] 。
8月29日、FCバルセロナ とのスーペルコパ・デ・エスパーニャ 第2戦で途中出場し、レアル・マドリードデビューした。試合は2-1でレアル・マドリードが勝利し、移籍後およそ36時間後にスペインでの初タイトルを手にした。しかし、移籍初年度はマルカ 読者によりシーズン最悪の補強に選ばれるなど、厳しい批判に晒される不本意なシーズンとなった[ 37] 。2013年にカルロ・アンチェロッティ が監督に就任すると先発の地位を確立[ 38] 、翌シーズンにはリーグ最優秀ミッドフィールダーに選ばれるなど[ 39] 重要な選手の1人となった[ 40] 。レアル・マドリードでの100試合目となるUEFAチャンピオンズリーグ のバイエルン・ミュンヘン 戦ではアシストを記録して4-0での大勝に貢献し、決勝 においてもコーナーキックからセルヒオ・ラモス の同点ゴールをアシストした。チャンピオンズリーグの優勝を祝ってトレードマークでもあった長髪を切り、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ でのセレモニーでは短髪で姿を表した[ 41] 。
2014年夏の移籍市場では中盤で共にプレーをしていたアンヘル・ディ・マリア とシャビ・アロンソ が揃って移籍し、入れ替わるようにトニ・クロース が加入。アンチェロッティは10番タイプであるモドリッチとクロースを中盤の底で併用した[ 42] 。前シーズンにチャンピオンズリーグ優勝の立役者の一人となったモドリッチだが、11月に行われたEURO予選 のイタリア 戦で大腿部 を負傷したことによってFIFAクラブワールドカップ に参加することは出来なかった。2015年3月10日、チャンピオンズリーグ のシャルケ04 戦で戦線復帰[ 43] 。チャンピオンズリーグ準々決勝となったアトレティコ・マドリード 戦前、アトレティコのディエゴ・シメオネ 監督は「モドリッチの復帰によりチームの中盤はアグレッシブかつダイナミックになる。彼はレアル・マドリードの物凄いポテンシャルを一段と高めることができる」と影響力の高さに言及した[ 44] 。しかし、4月18日のマラガCF 戦で靭帯を損傷 したことにより再び長期離脱を強いられた[ 45] 。チャンピオンズリーグ決勝に向けての復帰を目指していたが、チームはベスト4で敗退しシーズン中の復帰は叶わなかった。
レアル・マドリードでのモドリッチ(2015年)
2015-16シーズンは2年ぶりとなるチャンピオンズリーグ 優勝を手にした。自身2度目となるリーグ最優秀MFに選ばれたほか、FIFPro からは2015年のベストイレブンに選出された。また、成績不振によりシーズン途中に解任されたラファエル・ベニテス に代わり監督に就任したジネディーヌ・ジダン の初陣でデポルティーボ・ラ・コルーニャ に大勝した後、「監督交代は良いものだった」とのコメントを残した[ 46] 。
2016年10月18日、レアル・マドリードとの契約を2020年まで契約を延長したことが発表された[ 47] 。
FIFAクラブワールドカップ でも2試合連続で先発出場し、大会シルバーボールに選ばれた[ 48] 。2016年には2年連続となるFIFProベストイレブンに選ばれたほか、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー にも初選出された。2016-17シーズンはプリメーラ・ディビシオン 制覇、前年に続きチャンピオンズリーグ連覇に貢献した。その活躍により、チャンピオンズリーグの大会最優秀MF に選ばれた。
2017年7月、ハメス・ロドリゲス の後を継ぎ、ルイス・フィーゴ 以降着用した選手が期待外れもしくは不本意な形で退団していることから呪われた番号とも呼ばれている10番を着用することが決定した[ 49] 。モドリッチは19番へ愛着を持ちながらも「10番が空くことが分かった時、このチャンスを逃す訳にはいかないと思った。なぜなら、自分が最も好きな番号だからだ」と語った[ 50] 。
チャンピオンズリーグ優勝後、アルムデナ大聖堂 で称賛を受けるモドリッチ(2018年)
8月13日に行われたスーペルコパ第1戦は、3年前の同大会でレッドカードを受けたことから出場することができなかった[ 51] 。シーズン途中に発表されたザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ では6位、バロンドール では5位に入り、それぞれ自己最高位且つミッドフィールダー最高位となった。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ においても優勝、チームメイトのクリスティアーノ・ロナウド 、クロース、ラモス、マルセロ らとともに3年連続で優秀選手に選ばれるなどレアル・マドリードのUEFAチャンピオンズリーグ 3連覇に貢献した。
UEFAチャンピオンズリーグ3連覇やFIFAワールドカップ 準優勝が評価され、同年のUEFA欧州最優秀選手賞 、FIFA最優秀選手賞 を受賞したほか、長年ロナウドとリオネル・メッシ の独占状態にあったバロンドール においても、2007年のカカ 以来11年ぶりとなる2選手以外の受賞者となった[ 52] 。授賞式にてモドリッチもそのことに触れ、シャビ・エルナンデス やアンドレス・イニエスタ 、ヴェスレイ・スナイデル らも本来バロンドールを獲れる選手であったと語った[ 53] 。その他、クロアチアのスポーツ記者によるクロアチア年間最優秀アスリートや、ブルガリア通信社が主催するバルカン半島 年間最優秀スポーツ選手にも選ばれた[ 54] [ 55] 。
2019年3月6日史上初の4連覇を目指して臨んだUEFAチャンピオンズリーグ ではラウンド16のアヤックス 戦で敗退し、ベスト16に終わる[ 56] 。2018-19シーズンの獲得タイトルはFIFAクラブワールドカップ のみに終わり、モドリッチ自身も不調に陥った[ 57] 。翌2019-20シーズン には、フェデリコ・バルベルデ のブレイクもあり一時出場機会が減少したが[ 58] [ 59] [ 60] 、新型コロナウイルス の流行に伴う中断後は再び高いパフォーマンスを披露、シーズン5得点、リーグ7アシストと共にレアル・マドリード加入以降でキャリアハイとなる数字を記録し[ 61] 、ラ・リーガ 優勝に貢献した[ 62] 。
2020-21シーズン にはモドリッチの後継者候補と目されていたマルティン・ウーデゴール がレアル・ソシエダ から復帰し、バルベルデも含めた若手選手とのポジション争いや世代交代にも注目が集まった。しかし、モドリッチはドリブル、パス、守備など様々なスタッツで昨季を上回るパフォーマンスを見せて出場機会を確保した[ 63] [ 64] [ 65] 。シーズン終了後、2021年6月末までとなっていたレアル・マドリードとの契約を一年延長した[ 66] 。
2021-22シーズンは、フェデリコ・バルベルデの台頭やフランスの新星エドゥアルド・カマヴィンガ の加入、チームのハイプレス戦術により、ベテランのモドリッチはシーズン序盤は出場機会が限られた。しかし、シーズン途中からカゼミーロ、モドリッチ、クロースのUEFAチャンピオンズリーグ3連覇メンバーが中盤に固定化されたことで、例年同様出場機会を増やした。シーズンを通して36歳ながら高いパフォーマンスを披露し、チームの35度目のリーグ優勝、14度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝の2冠に大きく貢献した。とりわけ、UEFAチャンピオンズリーグでは、ラウンド16パリ・サンジェルマン 戦2ndレグでのドリブルからの2点目のアシスト、準々決勝チェルシー戦2ndレグでは得意のアウトサイドパスでロドリゴ の同点ゴールをアシストするなど、大逆転が続いたチームで決定的な活躍を見せ、UEFAチャンピオンズリーグ制覇の立役者の一人となった。大会終了後、UEFA公式のチャンピオンズリーグベスト11に選出された。シーズン終了後には2022年6月末までとなっていたレアル・マドリードとの契約を再び1年延長したことが発表された。このシーズン36歳にしてこれまでのキャリアで最高のシーズン10アシストを決めた[ 67] 。
2022-23シーズン、チャンピオンズリーグ グループステージ、セルティックFC 戦でレアル・マドリードの選手として大会100試合出場を果たし、その試合で得点も挙げた[ 68] 。
2023-24シーズンは開幕戦から3試合ベンチスタートとなった[ 69] 。10月28日に行われたバルセロナ戦では決勝点をお膳立て、この試合でレアル・マドリードの選手として通算500試合出場を果たした[ 70] 。2024年5月4日のカディスCF 戦で先発出場し、38歳238日での出場はフェレンツ・プスカシュ の持つクラブ最年長出場記録を更新した[ 71] 。本年も主力としてリーグ戦32試合に出場して、リーグ優勝に貢献した。また自身6度目となるチャンピオンズリーグも優勝したことで長らくフランシスコ・ヘント のみが持っていた6度の欧州制覇という記録にナチョ 、ダニエル・カルバハル 、トニ・クロース とともに並び、ナチョとともにクラブ歴代最多となる26個目のタイトルを獲得した選手となった[ 72] 。
2024年夏、前シーズンは自身の加齢やジュード・ベリンガム の加入で先発から外れることも多くなったことから退団や現役引退も報じられていたが、2024年7月17日、1年間の契約延長に合意したことが発表され、レアル・マドリードで13シーズン目を迎えることになった[ 73] 。またキャプテンを務めていたナチョが退団したことから、2022-2023シーズンのカリム・ベンゼマ 以来となる史上4人目のスペイン国外選手としてレアル・マドリード主将に就任した。
代表経歴
代表でのモドリッチ(2013年)
各世代の代表 に選出後、2006年3月1日のアルゼンチン との親善試合でフル代表デビュー。ドイツワールドカップ のメンバーにも選出されるが、同じポジションのニコ・クラニチャール も選出されたため、グループリーグの日本 戦とオーストラリア 戦に途中出場したのみに終わった。
監督がスラヴェン・ビリッチ に交代すると、それまでより1列下がったポジションを任され、代表のレギュラーに定着。ニコ・クラニチャールとの共存にも成功する。ワールドカップ後最初の試合となった、世界王者のイタリア との親善試合で代表初得点を記録。EURO2008予選 で全試合に出場し、アウェーでのイングランド 戦ではドリブルで数々のチャンスを作り出しクロアチアの本戦出場に貢献するとともに、イングランドを予選敗退に追い込んだ[ 19] 。
EURO2008 ではグループリーグ初戦の開催国オーストリア 戦でPKにより決勝点を記録[ 74] 。グループリーグ第2戦のドイツ 戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍で金星に貢献。準々決勝のトルコ 戦では延長後半14分にイヴァン・クラスニッチ の先制点をアシストしたものの直後に同点とされ、PK戦では最初のキッカーとして失敗し、チームはベスト8で敗退した[ 75] 。しかし「EURO2008最大の収穫」と評される活躍により、自身はUEFA選定大会優秀選手に選ばれた[ 76] 。
UEFA EURO 2012予選 では全ての試合に出場し、本大会 出場権を獲得する。グループリーグ初戦のアイルランド 戦では勝利するも、第2戦イタリア 戦で引き分け、最終戦であるスペイン 戦で敗れた。その結果、イタリアと勝ち点1差でグループリーグ敗退となった。2年後のワールドカップ においても、開幕戦でブラジル に敗れるなど1勝2敗となり、グループリーグ突破はならなかった。
EURO2016 では、初戦となるトルコ戦でボレーシュートを決め、スペイン戦ではセルヒオ・ラモス のキックの癖をダニエル・スバシッチ に伝えPK阻止に導くなど[ 77] グループステージ突破に貢献。しかし、決勝トーナメントでは延長の末ポルトガル に敗れた。大会終了後に代表を引退したダリヨ・スルナ に代わって、2016年以降はクロアチア代表のキャプテンに就任した[ 78] 。
2017年10月6日、2018年W杯予選 のフィンランド 戦にて代表100試合出場を達成した。
ワールドカップでプレーするモドリッチ(2018年)
2018年W杯本戦 では、グループリーグ初戦ナイジェリア 戦、2戦目のアルゼンチン戦と2試合連続で得点を奪うなど勝利に貢献し、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。決勝トーナメント第1戦となるデンマーク 戦では1-1で迎えた延長線終盤にアンテ・レビッチ へのスルーパスからPKを獲得するも、カスパー・シュマイケル に阻まれた。その後のPK戦では3人目のキッカーを務めると、ゴール正面へのシュートを決めて成功させた[ 79] 。出場した7試合中3試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなどクロアチア代表を牽引し、代表を史上最高位となる準優勝に導くとともに大会最優秀選手 にも選ばれた。
UEFAネーションズリーグ 第1回大会となる2018-19シーズン でも引き続きキャプテンを務めた。初戦のスペイン戦では6-0と敗戦を喫すると、4戦で1勝2敗1分でリーグBに降格となった。
2021年3月27日に行われた2022年W杯予選 のキプロス 戦で、クロアチア代表最多となる135試合目の出場を達成した[ 80] 。2021年、ユーロ2020 ではグループリーグ第3戦のスコットランド 戦では決勝ゴールとなったミドルシュートで得点を奪うと、CKからペリシッチのゴールをアシスト、決勝トーナメント進出に貢献した[ 81] 。
2022年カタールワールドカップ のクロアチア代表のメンバーとして選ばれた。グループを2位で通過、日本 戦、ブラジル 戦とPK戦の末、勝ち進んだが、準決勝でアルゼンチン に敗れ、2大会連続となる決勝進出とはならなかった。3位決定戦でモロッコ に2-1で勝利し、大会を3位で終えた。また、ブロンズボールを受賞した。
2022-23シーズンのネーションズリーグ ではクロアチアを決勝 まで導くも、2018年ワールドカップに続き準優勝に終わった。
2024年、ユーロ2024 のグループリーグ最終節のイタリア との対戦でゴールを決め、この38歳289日でのゴールは大会最年長ゴールとなった[ 82] 。
人物
プレースタイル
10代の頃は典型的な10番の攻撃的MFとして年代別代表 でプレーしていたが、ディナモ・ザグレブ 時代の2度のレンタル移籍を経てハードワーカーとしての資質も身につけ、20代半ばよりボランチやサイドハーフもこなす攻守万能のプレーヤーとして新境地を開拓した[ 7] 。
高いボールテクニックを持ち両足で精度の高いボールコントロールが可能で、長短織り交ぜたパスでボールを散らしたりFWへの楔のパスなど鮮やかなキックを持つ。特にコントロールは難しいがタイミングや軌道を相手に読まれにくいアウトサイドでのパス技術は際立ち、試合でも多用している[ 83] [ 84] [ 85] 。高いパス成功率もさることながら運ぶドリブルにも優れ、ボールを確実に前に動かしてチームに有利な状況を生み出す中盤の羅針盤 の役割を果たす[ 86] [ 87] [ 88] 。その他にも強烈なミドルシュートを備えており、得点の多くはペナルティエリア外からのものである[ 89] 。
また、オフ・ザ・ボールの動きにも優れ[ 22] 、その優れた戦術眼や戦略プランによるゲーム作りは、オーケストラ の指揮者 [ 90] や傀儡子 [ 91] 、魔法使い [ 92] などにたとえられる。
小柄で線は細いが的確な読みと激しい寄せで守備にも貢献できる。2010-11シーズンのプレミアリーグでパス成功数とインターセプト数の両方でベスト3に入り、スペインリーグでもトップクラスのインターセプト数を記録するなど、巧さとしぶとさを兼ね備え攻守に高いレベルでプレーができる[ 22] [ 38] [ 93] 。2016-17シーズン 、カンプ・ノウ でのエル・クラシコ において中盤の底のポジションで起用されたモドリッチは、守備の名手で知られるエンゴロ・カンテ 以上とも称えられるプレーを披露した[ 94] 。
HŠKズリニスキ・モスタル 時代にプレミイェル・リーガ 特有の激しくダーティなプレーの中で、心身の強さを培った[ 19] 。モドリッチ自身も「ボスニアでプレーしたなら世界のどこでもプレーできる」と語っている[ 22] 。
人となり
日頃は寡黙であり、チームメイトによれば、モドリッチは鋭い観察眼の持ち主で、普段はいたって無口だと言われる。ロッカールームではフクロウ のように静かに鋭い視線を送って、周囲で起こっているありとあらゆる出来事を観察しているという[ 88] 。しかしながらピッチ上では言動やプレーで周囲を引っ張るリーダーであり[ 88] 、2018年W杯 の際にはクロアチアサッカー連盟 の会長を務めるダヴォール・シューケル から「延長戦でもあらゆるボールに飛び込んでいく。ルカは我々のリーダーであり、こういう選手がいるのは大きい」と常にファイトする姿勢を称賛された[ 95] 。
自分のことを話すのを得意としないためインタビュアー泣かせの選手と言われるが、一方でピッチ上では激情の持ち主であり、レアル・マドリード のチームメイトからはスペイン語で「怒りっぽい人」「不機嫌な人」を意味するビネガー と揶揄されている。モドリッチ自身、「自分はおとなしい性格だけど、ピッチに立つと不思議と臆病さが消える。たぶん、サッカーが僕の心を熱くして、”変身”することができるのさ。日々の練習も、試合も、ボールを蹴るのは楽しくて仕方ない。負けるのは嫌いだけどね」と語っている[ 96] 。
評価
ワールドカップ最優秀選手賞を受け取ったモドリッチ(左)と最優秀若手選手賞を受け取ったキリアン・エムバペ (右)
ダレン・アンダートン はモドリッチがトッププレーヤーであり、ポール・スコールズ の完璧な後継者となり得ると賞賛[ 97] 。ライアン・ギグス もまた、スコールズの真の後継者としてモドリッチを指名した[ 98] 。スコールズ本人も自身に近い選手としてモドリッチの名前を挙げているが、ゲームをコントロールする部分には同じ特徴を感じながらもスピードや突破力での違いを指摘しており、レアル・マドリード のチームメイトであるトニ・クロース をより近い存在として語っている[ 99] 。ジョン・テリー はモドリッチを「対戦するのが難しいワールドクラスのプレイヤーで、機敏な素晴らしいフィニッシャー」と賞賛した[ 100] 。
歳も近く、小柄でありながら同時期にレアル・マドリードとFCバルセロナ の中盤に君臨していたアンドレス・イニエスタ とは度々比較されている[ 101] [ 102] 。トッテナム 時代の恩師であるハリー・レドナップ はモドリッチを「模範的で、違うレベルのプレーヤー」と表現し[ 22] 、そのプレーやサッカーへの真面目な姿勢、プロ意識を高く評価するなどベイルらとともに「代えの利かない売却不可能な選手」であるとしている[ 103] [ 104] [ 105] 。息子のジェイミー・レドナップ もモドリッチを世界最高のミッドフィールダーであるとし、シャビ・エルナンデス やイニエスタによって狭いスペースでもボールをさばける確かなテクニック、ドリブル、パスとあらゆる要素が求められ世界最高のミッドフィールダーのハードルが高くなったが、モドリッチはそれらの要素に加えクロアチア代表時の決定力などにより再びそのハードルを上げたと語った[ 106] 。
トッテナム・ホットスパー で同僚だったディミタール・ベルバトフ はモドリッチを「イニエスタやシャビと同等の領域におり、過去10年間における最高のMFを3人挙げるとすれば、彼はその中に間違いなく入ってくるだろう」と語っている[ 107] 。クロアチア代表 でモドリッチと、FCバルセロナでイニエスタと共にプレーしたイヴァン・ラキティッチ は「彼らはどちらともそのポジションにおけるベストな選手であり、別の惑星から来た選手たち」と評している[ 108] 。イニエスタ自身も「僕たちは異なる特徴を持つ選手だが、フィールド上のポジション、ゲームの考え方、ボールの扱い方などは似ていると思う。彼は現存する、そしてこれからも最高のミッドフィルダーの1人だ。マドリーのようなクラブで何年も活躍するのは簡単ではないよ」と評価している[ 109] 。
かつてNKディナモ・ザグレブ やレアル・マドリードでプレーした同郷のロベルト・プロシネチキ は「テクニックと判断力を兼ね備えたうえ、強い意志を持った本物のミッドフィルダー」と評し[ 110] 、歴代最高のクロアチア人選手と主張している[ 111] 。同じく同郷のズボニミール・ボバン はEURO 2012 でのイタリア 戦前に「イタリアにおけるピルロ のように極めて重要な選手であり、モドリッチ抜きのクロアチアは想像できない。試合を読む力が素晴らしく、チームリーダーとしての自覚も高い」と語った[ 112] 。
フロレンティーノ・ペレス からの信頼も厚く、同じくクロアチア代表マテオ・コヴァチッチ の獲得もモドリッチによる進言から実現した[ 88] 。
スペイン紙マルカ は37歳ながらトップレベルを維持しているモドリッチにスポットを当て、2022年に41歳で現役を引退したテニス のロジャー・フェデラー と重ねて「数十年に一度しか現れないフットボール界のフェデラー」であるとした[ 113] 。
バロンドール投票
エピソード
そのプレーや容姿からヨハン・クライフ と比較され、モドリッチもトッテナム・ホットスパーやクロアチア代表 ではクライフの代名詞でもある背番号14番を背負ってプレーしたほか、クライフが亡くなった2016年3月にはSNS にてクライフの名前が入ったオランダ代表 の14番ユニフォームと共に写った写真を投稿し哀悼の意を表わした[ 19] [ 114] 。憧れの選手として、クライフや母国の選手であるボバンのほかフランチェスコ・トッティ の名を挙げている[ 115] 。
ズドラヴコ・マミッチ 副会長を中心としたクロアチアサッカー連盟 の腐敗によりサポーターがクロアチア代表へ強い不信感を持っていた時期があり、NKディナモ・ザグレブ の経営にも参画していたマミッチは売却時の50%の移籍金を選手側に分割する条項を契約に盛り込んだ上で選手には全額拒否の宣言書を書かせることでマミッチが横領する詐欺行為を行っていたことで懲役6年半の判決が下った。その選手の中にはモドリッチも含まれており、サポーターの中にはモドリッチの名前に拒否反応を示す者もあらわれた。しかし、マミッチとの騒動に巻き込まれる中で迎えた2018年のFIFAワールドカップ ではクロアチアを決勝に導いたことで母国凱旋時には数千人のサポーターがモドリッチを称え、クロアチアの英雄としての地位を確立した[ 116] [ 117] 。
試合に臨むときには必ず左足からスパイク を履き、18歳のときに父からもらい受けた十字架 のネックレス を外すことをルーティーン としている[ 96] 。
モドリッチはスペインの税務局から、ルクセンブルク に妻ヴァンニャ名義で設立したペーパーカンパニー を通じて、2013年から2014年にかけて合計87万728ユーロを脱税したと告発されていた。モドリッチは禁錮8カ月の罪を認めて、脱税額の40%となる34万8291ユーロの罰金を支払うことで検察当局と合意した。また、ほかの選手と同様に禁固1日につき250ユーロ、合計6万ユーロを支払うことで収監を免れた[ 118] 。
ロドリゴ のレアル・マドリード 加入時、ロドリゴの父親が自分の1歳上と知ったモドリッチは驚きつつも「じゃあ、僕に敬意を払いなよ。僕は君の父親くらい年上なんだから」と話した。それ以来ロドリゴのことを息子と呼んで親子のような関係を築いている[ 119] 。
個人成績
クラブ
2024年6月1日現在
クラブ
シーズン
リーグ
リーグ戦
カップ戦
国際大会
その他
合計
出場
得点
出場
得点
出場
得点
出場
得点
出場
得点
HŠKズリニスキ・モスタル
2003-04
プレミイェル
25
8
–
–
0
0
25
8
通算
25
8
-
-
0
0
25
8
NKインテル・ザプレシッチ
2004-05
プルヴァHNL
18
4
–
–
0
0
18
4
通算
18
4
-
-
0
0
18
4
ディナモ・ザグレブ
2004-05
プルヴァHNL
7
0
1
0
–
0
0
8
0
2005-06
32
7
1
0
–
0
0
33
7
2006-07
30
6
8
2
6
0
0
0
44
8
2007-08
25
13
8
1
10
3
0
0
43
17
通算
94
26
18
3
16
3
0
0
128
32
トッテナム・ホットスパーFC
2008-09
プレミアリーグ
34
3
6
1
4
1
0
0
44
5
2009-10
25
3
7
0
-
0
0
32
3
2010-11
32
3
2
0
9
1
0
0
43
4
2011-12
36
4
2
0
2
1
0
0
40
5
通算
127
13
17
1
15
3
0
0
159
17
レアル・マドリード
2012-13
プリメーラ
33
3
9
0
11
1
0
0
53
4
2013-14
34
1
6
0
11
1
0
0
51
2
2014-15
16
1
2
0
7
0
0
0
25
1
2015-16
32
2
-
12
1
0
0
44
3
2016-17
25
1
2
0
14
0
0
0
41
1
2017-18
26
1
3
0
14
1
0
0
43
2
2018-19
34
3
3
0
9
1
0
0
46
4
2019-20
31
3
3
1
6
1
0
0
40
5
2020-21
35
5
1
0
12
1
0
0
48
6
2021-22
28
2
4
1
13
0
0
0
45
3
2022-23
33
4
4
0
10
2
5
0
52
6
2023-24
32
2
1
0
11
0
2
0
46
2
通算
359
28
29
0
120
8
26
3
534
39
総通算
623
79
60
3
153
14
27
4
867
100
代表
国際Aマッチ 178試合26得点(2006年- )
クロアチア代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2006
12
2
2007
10
1
2008
11
3
2009
3
1
2010
8
0
2011
9
1
2012
9
0
2013
10
0
2014
11
2
2015
4
0
2016
8
1
2017
8
1
2018
15
2
2019
9
2
2020
6
0
2021
13
4
2022
16
3
2023
10
1
2023
6
2
通算
178
26
得点数
獲得タイトル
クラブタイトル
UEFAチャンピオンズリーグ優勝を祝福するモドリッチとガレス・ベイル (2018年)
ディナモ・ザグレブ
プルヴァHNL :3回 (2005-06, 2006-07, 2007-08)
クロアチアカップ:2回 (2007, 2008)
クロアチアスーパーカップ:1回 (2006)
レアル・マドリード
プリメーラ・ディビシオン :4回(2016-17 , 2019-20 , 2021-22 , 2023-24 )
コパ・デル・レイ :2回: (2013-14, 2022-23)
スーペルコパ・デ・エスパーニャ :5回 (2012, 2017, 2019-20, 2021-22, 2023-24)
UEFAチャンピオンズリーグ :6回 (2013-14 , 2015-16 , 2016-17 , 2017-18 , 2021-22 , 2023-24)
UEFAスーパーカップ :4回 (2014 , 2016 , 2017 , 2022 )
FIFAクラブワールドカップ :5回 (2014 , 2016 , 2017 , 2018 , 2022 )
個人タイトル
ワールドカップ決勝後、最優秀選手に選ばれたモドリッチはプーチン 大統領からゴールデンボールのトロフィーを受け取った(2018年)
プレミイェル・リーガ 最優秀選手:2003
クロアチア年間最優秀若手選手:2004
プルヴァHNL 年間最優秀選手:2007
クロアチア年間最優秀選手 :2007, 2008, 2011, 2014, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022, 2023
UEFA欧州選手権 大会優秀選手:2008
トッテナム・ホットスパーFC シーズン最優秀選手:2010-11
リーガ最優秀ミッドフィールダー:2013-14, 2015-16
UEFAチャンピオンズリーグ チーム・オブ・ザ・シーズン:2013-14, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2021-22
FIFA/FIFProワールドイレブン :2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2022
UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー :2016, 2017, 2018
FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール:2017
FIFAクラブワールドカップ シルバーボール:2016
UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF :2016-17, 2017-18
FIFAワールドカップ ゴールデンボール :2018
FIFAワールドカップ ドリームチーム:2018 [ 120]
UEFA欧州最優秀選手賞 :2018
ザ・ベストFIFA男子選手 :2018
バロンドール :2018
ゴールデンフット賞 :2019
FIFAワールドカップ ブロンズボール:2022
その他
クロアチア年間最優秀アスリート:2018
バルカン半島年間最優秀スポーツ選手:2018
脚注
関連項目
外部リンク