1967年アメリカグランプリ (1967 United States Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第10戦として、1967年10月1日にワトキンズ・グレン・グランプリレースコースで開催された。
108周で行われたレースは、ロータスのジム・クラークが2番手スタートから優勝し、チームメイトのグラハム・ヒルが2位、ブラバムのデニス・ハルムが3位となった。
レース概要
ジム・クラークは最後の2周でマシンを労りながら走り、チームメイトのグラハム・ヒルに6秒差を付けてフィニッシュし、アメリカGP3勝目(そして最後となる)を挙げた。これはクラークにとって今シーズン3勝目で、そして通算23勝目であった。クラークは翌年4月にドイツでのF2レースで事故死したが、それまでにさらに2勝(次戦の最終戦メキシコGPと翌年の開幕戦南アフリカGP)を挙げて通算勝利数を25まで伸ばし、ファン・マヌエル・ファンジオを1勝上回りF1史上最多勝利を挙げた[1]。
コーリン・チャップマンのロータス・49が第3戦オランダGPに登場して以来、出走した7戦全てでポールポジションを獲得し、トラック上で最速のマシンであった。しかし、ロータス・49は信頼性に問題があり、シーズンの残り2戦の北米ラウンドを迎えた時点でドライバーズチャンピオンを争うのは、ディフェンディングチャンピオンのジャック・ブラバムとデニス・ハルムのブラバム勢のみだった。
金曜日の予選は雲と霧に覆われて薄暗い中で始まったが、天気がゆっくりと回復するにつれて、ロータスのマシンは再びはクラークとともに最速タイムをグラハム・ヒルの前に出した。土曜日ははるかにコンディションが上昇し、ほぼ全員が前日からタイムを縮めた。クラークはセッション後半に1分06秒07を出し、平均時速125 mph (201 km/h)の壁を破りポールポジションを決めたかに見えた。しかし、ヒルはポールポジションの賞金1,000ドルを獲得することを諦めず、クラークがフルタンクでマシンのハンドリングをチェックしていた時に、彼は1分05秒48を出してチームメイトのクラークからポールポジションを奪い取った。ベルギーGPで自身のアメリカ車イーグル・ウェスレイク(英語版)を初優勝に導いたダン・ガーニーは3番手、唯一のフェラーリを走らせるクリス・エイモンが4番手となった。
レース当日は8万人の観客が美しく明るい太陽に迎えられた。その前日の夜、フォード・コスワース・DFVエンジンの開発に75,000ポンドを投じたダゲナムのイギリス・フォードで広報を務めるウォルター・ヘイズ(英語版)は、レースの最後にロータス・フォードの2人のドライバーによる優勝争いが行われていた場合、コイントスで勝者を決めるべきだと提案し、2人のドライバーの好成績に自信を示した。ドライバーたちは、メキシコで取り決めが覆される可能性があると判断して合意し、ヒルはコイントスに勝った。
レースが始まるとロータス勢が先行し、1周目が終わるとヒルはクラーク、ダン・ガーニー、ブラバム、クリス・エイモン、ハルム、ブルース・マクラーレンをリードした。2周目にガーニーがクラークを抜いて2位に上がり、その後すぐにハルムはエイモンとブラバムの前に出た。10周目にはクラークがガーニーを抜き返して2位に戻り、エイモンのフェラーリがペースを上げ始めた。彼はまずブラバムを抜き、21周目にハルムとガーニーを抜いて3位に浮上した。ガーニーはサスペンションが壊れて後退した。
エイモンは誰もが驚いたことに、ロータス勢との差を縮めたが、ヨアキム・ボニエのクーパーを周回遅れにしようとして4秒を失った。彼は再びインを閉め、曲がったセクションまで先行したが、速いコーナーで追い抜かれた。ロータス勢とエイモンの上位3台は周回遅れのジョー・シフェールとジョン・サーティースを抜いたが、サーティースはエイモンの手信号に異議を唱え、3周遅れにもかかわらずブレーキングを遅らせてエイモンの前に出たが、サーティースは61周目に失火を起こし、エイモンは再びロータス勢への追撃体制に入った。前戦イタリアGPでホンダ・RA300にデビューウィンをもたらしたサーティースだったが、本レースは予選から燃料バッグのバリ[注 1]によってエンストを起こして11番手に終わり、決勝も6位まで浮上したが同様のトラブルによって2回のピットインを強いられ、最後はバッテリーが上がってリタイアした[2]。
ヒルはクラッチが固まってしばらくギアを変更することができず、クラークに首位を明け渡した。クラークが先頭に立つと、エイモンは65周目にヒルを捉えた。ヒルがギアチェンジに苦労する間に、エイモンは2位に浮上した。しかし、エイモンが76周目に突然油圧が下がって2位に戻った。8周後、ヒルが再びギアチェンジ不能になると、エイモンは96周目まで2位をキープしたが、エンジンのオイルが切れて破損しリタイアした[3]。
ヒルは前夜「勝った」と主張していたが、その主張を受け入れるにはあまりにも遅れていたため、クラークは帰ってしまった。その後、106周目の途中でクラークの右リアサスペンションの上部支持材が壊れ、ホイールが内側にたるんでしまった。クラークはダメージを評価するために首をかがめ、特に左カーブで細心の注意を払いながら、ゴールに向かってマシンを動かし始めた! ヒルとの差は残り2周の時点で45秒あったが、最終ラップに入ると23秒まで縮まった。緑と黄色のロータスのマシンは両方ともトラブルを抱えながら、最後の1周をゆっくりと走行した。最終的にクラークはヒルに6秒差でフィニッシュした。
ハルムは最後にロータス勢に仕掛けることができたかもしれなかったが、彼のエンジンは燃料不足によりスパッタリングしていたため3位に終わった。クラークが勝ったことにより、ブラバムとハルムのブラバム勢によるドライバーズチャンピオンの決定は、3週間後の最終戦メキシコGPに持ち越しとなった。
エントリーリスト
- 追記
結果
予選
- 追記
決勝
- ファステストラップ[9]
- ラップリーダー[10]
- 追記
第10戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
|
- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
|
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
注釈
- ^ ホンダはRA273まで横浜ゴム製の米軍規格に合った高級な燃料バックを使用していたが、ローラとの合作であるRA300は、英国製の安いレーシングカー用の燃料バッグに変更されていた。
出典
参照文献
外部リンク