1969年オランダグランプリ (1969 Dutch Grand Prix) は、1969年のF1世界選手権第4戦として、1969年6月21日にザントフォールト・サーキットで開催された。
レースは90周で行われ、マトラのジャッキー・スチュワートが2番グリッドから優勝し、ロブ・ウォーカーのロータスを駆るジョー・シフェールが2位、フェラーリのクリス・エイモンが3位となった。
背景
本レースの前に開催される予定であったベルギーGPは、安全性の問題でレース主催者とグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の間で論争となりキャンセルされた。このため、前戦モナコGPから5週間空くことになった[1]。
深刻な財政難に陥っていたフェラーリは、6月18日にフィアットとの交渉がまとまり、フィアットの傘下に入ることになった。これにより、ロードカー部門はフィアットの管轄下となったが、モータースポーツ部門の「スクーデリア・フェラーリ」は引き続きエンツォ・フェラーリの存命中まで彼の手に委ねられることになった[2]。
エントリー
前戦モナコGPでハイウィングが禁止され、各チームともできる限りのダウンフォースを得るために様々な形状の小型ウィング、スポイラー、エアダムなどのエアロパーツをトライしていく中[3]、ロータスやマトラは四輪駆動F1マシンの開発に取り組み[注 1]、そのプロトタイプを持ち込んだ。グラハム・ヒルはロータス・63を、ジャッキー・スチュワートはマトラ・MS84を走らせた[1]。
BRMはジョン・サーティースに新車P139を用意したが、どちらかと言えば期待外れだった。アンティーク・オートモビルズ(英語版)は、前戦モナコGPで走らせた古いクーパー・T86Bに代わり、現代的なマクラーレン・M7Bに置き換えた[1]。このM7Bは従来型のM7Aとは異なり、燃料タンクがマシン側面にマウントされているのが特徴であった[4]。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - アンドレッティは他のレースに出場したため欠場[6]
- ^2 - ロドリゲスはエントリーを拒否された[6]
予選
ロータスのヨッヘン・リントがポールポジションを獲得し、ジャッキー・スチュワートはレースカーのマトラ・MS80で2番手、グラハム・ヒルもレースカーのロータス・49Bで3番手となり、この3人がフロントローを占めた[注 2]。クリス・エイモン(フェラーリ)とジャッキー・イクス(ブラバム)が2列目を占め、3列目はブルース・マクラーレンとデニス・ハルムのマクラーレン勢、ジャック・ブラバム(ブラバム)のオセアニア出身者が占めた[1]。
予選結果
決勝
グラハム・ヒルがスタートでヨッヘン・リントからリードを奪い、ジャッキー・スチュワートはクリス・エイモンと好スタートを切ったデニス・ハルムを従えて3位となった。3周目にリントはヒルを抜いて首位に立ち、2周以内にスチュワートもヒルを抜き、ヒルは3位に後退した。その後、リントはスチュワートを引き離していったが、17周目にドライブシャフトが壊れてリタイアに終わり、スチュワートが首位に立った。この間にジョー・シフェール(ロブ・ウォーカーのロータス)は3位まで順位を上げ、リントがリタイアして2位に浮上した。ヒルはハンドリングに不満を抱いてピットインし、ハルム、エイモン、ジャッキー・イクス、ジャック・ブラバムが3位を争うことになった。この3位争いは最終ラップまで続き[1]、エイモンが大接戦を制して3位表彰台を獲得したが[9]、エイモンがフェラーリでフィニッシュしたのは結果的にこれが最後となった[10]。
スチュワートは2位のシフェールに24秒差を付ける独走で[1]、早くも今季3勝目を挙げた[11]。
レース結果
- ファステストラップ[13]
- ラップリーダー[14]
- 太字は最多ラップリーダー
第4戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
注釈
- ^ 両チームの他、マクラーレンとコスワースもこの年四輪駆動F1マシンを開発し、コスワース以外は実戦に出場している。
- ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
出典
参照文献
外部リンク