クーパー・T81
![ヨアキム・ボニエのクーパー・T81](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cd/Cooper_T81_Anglo-Suisse.jpg/250px-Cooper_T81_Anglo-Suisse.jpg) |
カテゴリー |
F1 |
---|
コンストラクター |
クーパー・カー・カンパニー |
---|
デザイナー |
デリック・ホワイト |
---|
主要諸元 |
---|
シャシー |
アルミニウム製モノコック. |
---|
エンジン |
マセラティ 2,989 cc (182.4 cu in) V12 NA ミッドエンジン, 縦置き |
---|
トランスミッション |
T81: ZF 5DS25 T81B: ヒューランド DG300 5速 MT, |
---|
燃料 |
BP |
---|
タイヤ |
ワークス:ダンロップ (1966), ファイアストン (1966/7) |
---|
主要成績 |
---|
チーム |
クーパー, ロブ・ウォーカー |
---|
ドライバー |
クリス・エイモン,
ヨアキム・ボニエ,
リッチー・ギンサー,
ヨッヘン・リント,
ペドロ・ロドリゲス,
ジョー・シフェール,
ジョン・サーティース,
ジャッキー・イクス |
---|
コンストラクターズタイトル |
0 |
---|
ドライバーズタイトル |
0 |
---|
初戦 |
1966年シラクサグランプリ |
---|
|
テンプレートを表示 |
クーパー・T81 (Cooper T81) は、クーパーによって開発されたフォーミュラ1カー。
概要
T81はクーパー・カー・カンパニーが製造した最後のF1レーシングカーの1つである。1966年シーズンに先立って、同年施行された新しい3リッターエンジンのレギュレーション内で設計された。以前のレギュレーションで使用された1.5リッター、コヴェントリークライマックスの代わりに、T81は3.0リッターのマセラティ・ティーポ9 2.5リッターV型12気筒エンジンを搭載した。このエンジンはイギリスにおけるマセラティのディストリビューターであり、前年4月にクーパーを買収したチップステッド・グループによって供給された。
リアエンジン、フロントラジエーター、インボードフロントサスペンション、モノコックシャシーなど多くの点でこの車は当時の典型であった。実際、T81はクーパー初のモノコックシャシーであったが、この時期までに、フォーミュラ1ではすでにこのような取り決めが標準となっていた。これは4年前にロータス・25によって開拓されたものであった。T81は1966年シラクサグランプリでレースデビューを果たした[1]。
1966年序盤の競争力を持つ3.0リッターF1マシンが不足している間にT81は人気を博したが、クーパーはその能力を過度に拡張し、結果としてマシンの供給に苦しむこととなった。しかし、フェラーリに移籍したギンサーに代わって加入したジョン・サーティースが、シーズン最終戦のメキシコでT81初の優勝を達成した。翌1967年の開幕戦南アフリカでは、サーティースに代わって加入したペドロ・ロドリゲスが優勝を遂げる。改良型のT81Bは1967年モナコグランプリでリントが初めてドライブした。
T81の最後のレースは、1968年開幕戦の南アフリカグランプリで、プライベーターのシフェールとボニエがドライブした。ワークスチームはすでに新型のT86に移行していた。結局クーパーは1968年でF1から撤退したため、T81は世界選手権で優勝した最後のクーパーのマシンとなった。
すべてのT81(およびT81B)は21戦で85回出走、2勝を挙げ1度のポールポジション、6度の表彰台、23回のポイント圏内フィニッシュで、合計74ポイントを獲得した。
F1における全成績
(key)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
参照
外部リンク
|
---|
創設者 | |
---|
主なチーム関係者 | |
---|
主なドライバー |
|
※太字はクーパーにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
|
---|
F1車両 (世界選手権) |
|
---|
F1車両 (タスマンシリーズ) | |
---|
F3車両 | |
---|
その他のシングルシーター | |
---|
レーシングスポーツカー | |
---|
その他 | |
---|