1965年アメリカグランプリ (1965 United States Grand Prix) は、1965年のF1世界選手権第9戦として、1965年10月3日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。
レースは110周で行われ、BRMのグラハム・ヒルがポール・トゥ・ウィン、ブラバムのダン・ガーニーが2位、彼のチームメイトのジャック・ブラバムが3位となった。
レース概要
1.5リッターF1の最後の年、各チームがシーズンの最後の2戦のために北アメリカ大陸へ到着する前に、ジム・クラークは2度目のドライバーズチャンピオン(ならびにインディ500で優勝)を決めていた。しかし、本レースはBRMのグラハム・ヒルが3年連続で優勝し、グレンに君臨した。ヒルはポールポジションと勝利、そしてファステストラップを獲得し、ダン・ガーニーとジャック・ブラバムのブラバム勢に12秒の差を付けてフィニッシュした。
週末は寒く(45 °F (7 °C))て風が強く(30 mph (13 m/s))、そして多くの場合ウエット状態だった。実際に、クラークは予選でレーシングスーツの上にセーターを着ていた。フェラーリは、前年のドライバーズチャンピオンのジョン・サーティースが前週にカナダのモスポート・パークでローラ・T70(英語版)-シボレー(Can-Amカー)をドライブした際に事故を起こして重症を負い、本年の残り2戦を欠場せざるを得なくなった[1]。BRMのヒルの新しいチームメイトで、3週間前のイタリアGPでクラークの連勝を5[注 1]でストップして初優勝を挙げたジャッキー・スチュワートは、ヨッヘン・リントと同様にグレンで初めて走行した。地元出身のボブ・ボンデュラント(英語版)はF1デビューを果たした。
金曜日はトラックが霧で覆われた。クラークは自身の32バルブクライマックスエンジン仕様のマシンと、チームメイトのマイク・スペンス(英語版)の16バルブクライマックスエンジン仕様のマシンを乗り換えながら走行したが、「ザ・90」(ターン8)でクラッシュしてスペンス車のサスペンションを曲げた後、自身のマシンに戻って1分12秒7と、ヒルが0.2秒差で上回るまでの最速タイムを出した。
土曜日は晴れたがまだ寒かった。この日もクラークとヒルのバトルが続いた。ヒルは1分11秒25を出した。クラークはタイミングギアの2つの歯を剪断する前に1分11秒35を出すが、ヒルには及ばなかった。クラークは再びスペンスの16バルブ車に乗り換え、1分11秒16という注目すべきタイムを出した。しかし、一晩で32バルブエンジンは修理され、クラークが決勝でそれを使うことに決めたため、彼はヒルに次ぐ2番手からのスタートとなる。ホンダは強力なV12エンジンによって直線では最速のマシンであり、地元出身のリッチー・ギンサーはスペアカーで3番手スタートをつかんだ。グリッドのトップ6はヒル、クラーク、ギンサー、スペンス、ロレンツォ・バンディーニ(フェラーリ)、スチュワートの順となった。
日曜日の朝は雨が降ったが、決勝のスタートを前に強い風がトラックを乾かし、6万人の観衆はさらなる状況の変化を見込んでフードとパーカーを着用した。ヒルがリードし、クラークとギンサーが続く。スチュワートは3列目からエセス(当時はバックストレート)でギンサーのインに飛び込むが、ギンサーはインを閉めてスチュワートをカーブへ追いやり、スチュワートのサスペンションは曲がってしまった。スチュワートはレースを続け、ギンサーは8位に後退した。しかし、スチュワートはスロットルケーブルの損傷によりピットインし、彼がコースに戻るまでに雨が再び降り始め、曲がったサスペンションが大きなハンデとなりリタイアした。
クラークは2周目にヒルからリードを奪い、2人はバンディーニ、スペンス、ガーニー、ブラバムを引き離していく。3周後、ヒルはリードを取り戻し、2人のイギリス人チャンピオンのバトルは、クラークのピストンが壊れてピットインする12周目まで続いた。その後方でも4人の激しいバトルが展開され、スペンスはバンディーニに2度コース外に追いやられ、タイミングチェーンが壊れたため6周目にリタイアした。ヒルはガーニーに14秒リードし、続いてバンディーニとブラバムが続いた。
24周目までにヒルはほぼ半周のリードを築いた。ところが、37周目に突然の大雨がコースを濡らした。バックストレートの最後の「ザ・ループ」で、ヒルは滑りやすい路面に足をすくわれ、そのまま200ヤード (180 m)の間跳ね上がった。コースに戻るまでに、ヒルのダンロップタイヤはブラバム勢のグッドイヤータイヤよりも1周2秒遅かった。そしてコースアウトしたことで、ガーニーとブラバムは一気に差を縮めることができた。ガーニーはヒルの背後に迫ったがコーナーで行き過ぎてしまい、チームメイトのブラバムに2位を明け渡した。これでチームリーダーのブラバムがヒルへの挑戦権を手に入れたが、ピット手前の「ザ・90」でヒルのアウトで前に出るが、ヒルは一貫してインコースを走り、ターン出口はアウトコースでマシンをパワースライドさせた。ヒルのコース幅を利用した走りは、ブラバムをコースの左端に追いやり、コース外の濡れた芝生の向こうまで飛び出していった。これで再びガーニーが2位、ブラバムは3位に戻った。ガーニーは再びヒルに挑もうとしたが、クラッチの滑りにより断念した。
レース終盤までにコースはほぼ乾き、ヒルは105周目にファステストラップを出し、2位のガーニーに12秒差を付け、本年2回目の勝利とグレンでの3連勝を手にした。シーズン終了後、ワトキンス・グレン・グランプリ・コーポレーションは、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)から「ベストオーガナイズドレース賞」を授賞された。
ホンダは創設者の本田宗一郎社長が珍しく観戦に訪れたが、ギンサーは序盤の出遅れが響き2周遅れの7位、ロニー・バックナムは13位と初めて2台とも完走したものの振るわなかった[2]。なお、本田宗一郎が1964年から1968年の第1期参戦時に自身の目でレースを観戦したのはこの1戦のみである[3]。
エントリーリスト
- 追記
結果
予選
決勝
- ラップリーダー[7]
- 1=ヒル、2-4=クラーク、5-110=ヒル
- 周回数合計: ヒル - 107周、クラーク - 3周
第9戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
注釈
- ^ インディ500に出場したため欠場したモナコGPを除くと6連勝
脚注
参照文献
外部リンク