齊藤 信介
中日時代(2012年3月22日、ナゴヤ球場) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
香川県高松市 |
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生年月日 |
(1982-02-12) 1982年2月12日(42歳) |
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身長 体重 |
183 cm 83 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2005年 大学生・社会人ドラフト6巡目 |
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初出場 |
2006年10月16日 |
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最終出場 |
2009年5月14日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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齊藤 信介(さいとう しんすけ、1982年2月12日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
高松一高時代は、2年秋の県大会ベスト4が最高。龍谷大学時代は、関西六大学リーグ通算21試合に登板し、10勝5敗、防御率1.77、147奪三振。2003年の秋季リーグ戦では6勝を挙げて最優秀投手に選ばれた。明治神宮大会に出場し初戦から先発し14奪三振、2回戦も柳瀬明宏へリレーするが青学大に惜敗[1]。1学年上の投手に杉山直久、植大輔がいた。
大学卒業後は、社会人野球のNTT西日本に入団。オーバースロー・スリークォーター・サイドスローとフォームに試行錯誤を繰り返していたが、MAX149km/hのストレートとスライダー・フォークを操り、セットアッパーとして臨んだ2005年の第32回社会人野球日本選手権大会では、計8イニング無失点の活躍で決勝進出に導いた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で中日ドラゴンズが6巡目指名で交渉権を獲得し[2]、契約金4000万円、年俸1200万円(金額は推定)[3]で入団した。なおNTT西日本のチームメートである藤井淳志は、同年の大学生・社会人ドラフトで中日から3巡目で指名されている。
プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年はシーズン最終戦の10月16日に初登板。
2008年5月28日の対オリックス戦で1年7ヶ月ぶりに一軍出場を果たし、9月10日の対巨人戦でプロ初勝利を挙げた[4]。クライマックスシリーズには2試合登板。
2009年に初の開幕一軍入りを果たし、4月22日の対阪神戦で初ホールドを記録した。
2010年は1度も一軍登板はなく、12月2日に自由契約公示され[5]、育成選手として引き続き中日と契約した[6]。
2011年11月25日に再び支配下選手登録されることが発表されたが、2012年も1度も一軍登板はなく、11月30日に自由契約公示され[7]、その後現役を引退した。
引退後
引退後は中日の球団職員に転身した[8]。その後、2015年3月付で球団職員を退職し、4月からプルデンシャル生命保険のライフプランナーとして勤務していることが、東海ラジオのアナウンサー大澤広樹のブログの中で紹介されている[9]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2006
|
中日
|
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2008
|
17 |
1 |
2 |
0 |
0 |
1.000
|
2009
|
18 |
1 |
0 |
1 |
0 |
.500
|
通算
|
36 |
3 |
2 |
1 |
0 |
.833
|
記録
背番号
- 38 (2006年 - 2010年)
- 203 (2011年)
- 48 (2012年)
脚注
関連項目
外部リンク
野球日本代表 |
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