■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
金本 明博(かねもと あきひろ、1987年12月5日[1] - )は、元プロ野球選手(内野手、投手)。大阪府大東市出身。右投右打。
山形・酒田南高校時代は2年の夏、3年の夏でそれぞれ甲子園に出場し共に3回戦敗退。
2005年高校生ドラフトで中日ドラゴンズに指名され入団。
中日入団時、野手転向を勧められたが金本本人の意向から投手登録となった。その1年目は二軍(ウエスタン・リーグ)で1試合の登板、0回1/3を投げて3失点、防御率81.00という成績だった。
2007年のキャンプ終了後、球団首脳陣からの野手転向の勧告を受諾し、野手として再スタートを切ることとなった。同年シーズン途中、球団がウェイバー公示のうえ育成選手として再契約することを発表した[2]が、後に撤回される(後述)。同年6月28日、正式に登録を投手から内野手へと変更された。
同年10月29日、球団から来季の支配下選手契約を結ばない旨の通告を受けた。球団側は金本を育成選手として再契約することを打診したが、金本がこれを固辞したため現役引退となった[3]。なお、同様に退団する三澤興一と共にシーズン終了後に長野県の昼神温泉で行われたドラゴンズ選手会納会を欠席した。退団選手に思い出を尋ねる「惜別球人」でも「いい思い出はなかった」と語っている[4]。11月30日付で自由契約公示された。引退後は会社員になった[4]。
{{cite news}}
|archivedate=