阿野 鉱二基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
大阪府堺市 |
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生年月日 |
(1948-01-01) 1948年1月1日(77歳) |
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身長 体重 |
177 cm 77 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手 |
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プロ入り |
1969年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1970年 |
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最終出場 |
1976年 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
コーチ歴 |
|
|
阿野 鉱二(あの こうじ、1948年1月1日 - )は、大阪府堺市[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
経歴
浜寺中学時代に捕手になる。明星高等学校では真田重蔵監督の指導を受け、1年生の1963年夏の甲子園に控え捕手として出場。堀川浩伸(法大)の好投もあって決勝に進み、下関商の池永正明との投手戦を2-1で制し、全国制覇を経験[1]する。この時の四番打者、正捕手は、中学の先輩である和田徹だった。2年生からレギュラー捕手になり、五番打者として1964年夏の甲子園に連続出場[1]するが、1回戦で大府高に敗れる。同年の秋季大阪大会では準決勝でPL学園に惜敗。1965年夏は府予選準決勝で興國高の谷博信投手らに抑えられ敗退した。高校同期に堀井和人中堅手がいる。
1966年4月に早稲田大学教育学部教育学専修に進学。東京六大学野球リーグでは在学中に2度の優勝を経験した。入学当時の正捕手は同年秋季ベストナインの長倉春生であったが、その壁を越え、2年生から出場機会が増える。3年生の時には同期の小坂敏彦とバッテリーを組み、1968年秋季リーグに優勝。自身も首位打者となりベストナインに選出された[1]。リーグ通算57試合出場し184打数52安打、8本塁打、24打点、打率.283。1970年3月、早稲田大学教育学部教育学科専修卒業、学士(教育)(早稲田大学)。他の大学同期に谷沢健一外野手、荒川尭遊撃手、小田義人一塁手らがおり、自身も含め7人がプロ入りしている。
1969年のプロ野球ドラフト会議ドラフトで読売ジャイアンツから2位指名を受け入団。1970年にはジュニアオールスターゲームにも選出される。1971年には49試合に出場、うち28試合に先発マスクを被った。1974年にはイースタン・リーグで首位打者を獲得[1]。衰えの見える森昌彦の後継を吉田孝司と争うが、1973年以降は出場機会が減少。1975年の巨人ベロビーチキャンプで腹膜炎を起こし、その後は一軍に定着できず1976年限りで現役引退[1]。
引退後は巨人バッテリー兼トレーニングコーチに就任、1985年よりトレーニングコーチ専任となり1991年退団。その後は東京都中央区にある建設業スチールエンジ株式会社取締役会長[1]。
人物
トレーニングコーチとしての手腕は非常に高く、「巨人軍のストレッチング」という本を出版するほどの研究家であり、トレーニングコーチの草分け的存在だった[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1970
|
巨人
|
10 |
11 |
11 |
2 |
2 |
0 |
0 |
1 |
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.182 |
.182 |
.455 |
.636
|
1971
|
49 |
112 |
101 |
7 |
22 |
1 |
0 |
3 |
32 |
12 |
1 |
0 |
0 |
1 |
7 |
1 |
3 |
13 |
1 |
.218 |
.286 |
.317 |
.603
|
1972
|
17 |
27 |
25 |
3 |
6 |
0 |
0 |
1 |
9 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.240 |
.296 |
.360 |
.656
|
1973
|
4 |
5 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
1 |
.250 |
.400 |
.250 |
.650
|
1974
|
7 |
7 |
6 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.333 |
.429 |
.333 |
.762
|
1976
|
2 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
通算:6年
|
89 |
163 |
148 |
12 |
33 |
1 |
0 |
5 |
49 |
14 |
1 |
0 |
0 |
1 |
11 |
1 |
3 |
18 |
2 |
.223 |
.288 |
.331 |
.619
|
年度別守備成績
年度 |
試合 |
企図数 |
許盗塁 |
盗塁刺 |
阻止率
|
1970 |
9 |
5 |
3 |
2 |
.400
|
1971 |
46 |
26 |
15 |
11 |
.423
|
1972 |
16 |
8 |
5 |
3 |
.375
|
1973 |
2 |
3 |
3 |
0 |
.000
|
1974 |
1 |
0 |
0 |
0 |
-
|
1976 |
1 |
0 |
0 |
0 |
-
|
通算 |
75 |
42 |
26 |
16 |
.381
|
背番号
- 33 (1970年)
- 10 (1971年 - 1975年)
- 32 (1976年)
- 82 (1977年 - 1988年)
- 100 (1989年 - 1991年)
脚注
- ^ a b c d e f g h プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、15ページ
関連項目
外部リンク