蘇州市(そしゅうし、中国語: 蘇州市/苏州市、拼音: Sūzhōu、英語: Suzhou)は、中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。
古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。
蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言/蘇州話)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。ただし、学校での普通話(標準語/共通語)一辺倒による教育により、上海語の事例同様、若者は蘇州語を話せなくなってきている。その問題に対し、学校・教育側は方言の授業を設ける等を検討している。また、上海に比べ方言(蘇州語)によるTV番組が多く見られる。
中国地名の変遷
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建置
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秦代
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使用状況
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蘇州市 |
秦 | 呉県 |
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前漢 | 呉県 泰徳県 |
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後漢 | 呉県 |
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三国 | 呉県 呉郡(222年) |
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西晋 | 呉郡 |
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東晋十六国 | 呉郡 呉国(326年) |
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南北朝 | 呉国 呉郡(421年) 呉州(503年) |
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隋 | 蘇州 呉州(605年) 呉郡(607年) |
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唐 | 蘇州 呉郡(742年) 蘇州(758年) |
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五代 | 蘇州 |
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北宋/遼 | 蘇州 平江府(1113年) |
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南宋/金 | 平江府 |
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元 | 平江路 隆平府 |
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明 | 蘇州府 |
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清 | 蘇州府 |
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中華民国 | 呉県 蘇州市・呉県(1928年) 呉県(1930年) |
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現代 | 蘇州市 |
地理
長江の南側にあり、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。東北側には、上海蟹の産地として名高い陽澄湖がある。
北京から南京を経て、崑山、上海を結ぶ京滬線が通り、蘇州駅には特急が停車する。
上海を起点に蘇州市街を通って西に延びる312国道と、常熟市街を通る204国道が幹線道路としてある。また、上海から南京に向かう滬寧高速道路が通っている。滬寧高速道路は蘇州で常熟、嘉興を結ぶ南北の蘇嘉杭高速道路と交差しており、2008年には常熟から長江を渡って南通に通じる世界最大の斜張橋である蘇通長江公路大橋により長江対岸と連絡された。滬寧高速道路は交通量の増加によって渋滞が起きやすくなったため拡幅工事を進めているほか、常熟を通る沿江高速道路が常州までのバイパスとして建設された。
古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通るなど、水運もよく利用されている。北部の太倉、常熟、張家港の長江沿いの地域には、水運を生かせる大規模工場が作られている。
運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地および周辺の水郷地帯を含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、ヴェニスよりも歴史は古い。
環状の堀で囲まれた旧市街は新しいビルなどは少なく、昔からの住宅が立ち並び、世界遺産の園林などが点在している。これに対し新市街は近代的なビルや高層住宅などが立ち並んでいる。郊外は工場地帯が点在している。
歴史
古くから長江の南に位置する、江南の主要都市として栄えてきた。春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、諸樊がこの地を本拠と定め、闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。秦以後には会稽郡、後には同郡から分離した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。隋代に蘇州の名が始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した唐の太宗時代以後のことになる。五代十国時代には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、元には平江路と呼ばれるようになった。この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の張士誠も呉王を称して蘇州に都した。明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。
古くから中国の先進的な絹織物産地として経済的に豊かな町であったが、南宋時代に付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになる。だが、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位をいくらか低下させた。
江蘇省の省都は現在南京に置かれているが、歴史的に清代には江蘇布政使が蘇州に駐在し、太平天国は蘇州を蘇福省の首府とした。南京に都した中国国民党時代には蘇州に江蘇都督行署を置き、日本軍占領期にも江蘇省会であった。
行政区画
5市轄区・4県級市を管轄する。
年表
この節の出典[1][2]
蘇南行署区蘇州分区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国蘇南行署区蘇州分区が成立。呉県・崑山県・常熟県・太倉県・呉江県・太湖弁事処が発足。(5県1弁事処)
- 1949年11月28日 - 太倉県・呉江県・常熟県・呉県・崑山県・太湖弁事処が蘇州専区に編入。
蘇南行署区蘇州専区
- 1949年11月28日 - 蘇州分区太倉県・呉江県・常熟県・呉県・崑山県・太湖弁事処を編入。蘇州専区が成立。(1市5県1弁事処)
- 1950年9月15日(1市5県1弁事処)
- 蘇州市が地級市の蘇州市に昇格。
- 常熟県の一部が分立し、常熟市が発足。
- 1950年11月30日 - 浙江省嘉興専区呉興県の一部が太湖弁事処に編入。(1市5県1弁事処)
- 1952年 - 太湖弁事処の一部が呉県に編入。(1市5県1弁事処)
- 1952年11月15日 - 江蘇省の成立により、江蘇省蘇州専区となる。
蘇南行署区蘇州市
- 1950年9月15日 - 蘇州専区蘇州市が地級市の蘇州市に昇格。(1市)
- 1951年11月 - 東区・南区・西区・北区・中区を設置。(5区)
- 1952年11月15日 - 江蘇省の成立により、江蘇省蘇州市となる。
江蘇省蘇州市(第1次)
- 1953年1月(5区)
- 1955年2月25日 - 蘇州専区呉県の一部が分立し、楓橋区・木瀆区・城郊区が発足。(8区)
- 1956年3月7日 - 楓橋区・木瀆区・城郊区が合併し、郊区が発足。(6区)
- 1956年6月23日 - 観前区が平江区・北塔区に分割編入。(5区)
- 1958年7月5日(3区)
- 郊区が蘇州専区呉県に編入。
- 北塔区が平江区・滄浪区・金閶区に分割編入。
- 1958年9月19日 - 蘇州市が蘇州専区に編入。
江蘇省蘇州地区
- 1953年2月6日 - 常州専区江陰県・宜興県、無錫市無錫県を編入。(1市8県1弁事処)
- 1953年3月25日(1市9県)
- 太湖弁事処が県制施行し、震沢県となる。
- 崑山県の一部が常熟県に編入。
- 常熟県の一部が江陰県に編入。
- 1953年3月27日 - 無錫県の一部が無錫市六区・七区に分割編入。(1市9県)
- 1953年5月26日 - 呉県、鎮江専区武進県の各一部が震沢県に編入。(1市9県)
- 1953年8月 - 無錫県の一部が常熟県に編入。(1市9県)
- 1953年9月23日(1市9県)
- 鎮江専区武進県の一部(剣湖区景華郷の一部)が無錫県に編入。
- 無錫県の一部(玉祁区黄泥壩郷の一部)が鎮江専区武進県に編入。
- 1954年5月 - 震沢県の一部が無錫県に編入。(1市9県)
- 1954年6月2日 - 無錫県の一部が無錫市六区に編入。(1市9県)
- 1954年8月 - 江陰県の一部が無錫県に編入。(1市9県)
- 1954年10月 - 常熟県の一部が無錫県に編入。(1市9県)
- 1955年2月25日 - 呉県の一部が分立し、蘇州市楓橋区・木瀆区・城郊区となる。(1市9県)
- 1955年6月 - 鎮江専区武進県の一部が江陰県に編入。(1市9県)
- 1955年9月2日 - 松江専区嘉定県の一部が太倉県に編入。(1市9県)
- 1955年9月23日 - 松江専区嘉定県の一部が太倉県に編入。(1市9県)
- 1955年11月 - 鎮江専区武進県の一部が江陰県に編入。(1市9県)
- 1956年2月23日(1市9県)
- 1956年3月 - 無錫県の一部が江陰県に編入。(1市9県)
- 1956年8月 - 松江専区青浦県の一部が崑山県に編入。(1市9県)
- 1956年9月8日 - 武進県の一部が無錫県に編入。(1市9県)
- 1956年9月 - 崑山県の一部が松江専区松江県に編入。(1市9県)
- 1956年11月27日 - 無錫県の一部が震沢県に編入。(1市9県)
- 1956年12月14日 - 武進県の一部が鎮江専区丹陽県に編入。(1市9県)
- 1956年12月 - 鎮江専区丹陽県の一部が武進県に編入。(1市9県)
- 1957年3月15日 - 震沢県の一部が無錫市郊区に編入。(1市9県)
- 1957年7月 - 崑山県の一部が松江専区青浦県に編入。(1市9県)
- 1957年11月2日 - 常熟県の一部が江陰県に編入。(1市9県)
- 1957年11月29日 - 江陰県・常熟県の各一部が合併し、沙洲県が発足。(1市10県)
- 1958年3月26日 - 松江専区松江県・川沙県・青浦県・南匯県・奉賢県・金山県を編入。(1市16県)
- 1958年4月4日 - 常熟市が常熟県に編入。(16県)
- 1958年4月28日(16県)
- 1958年5月28日 - 浙江省嘉興専区嘉善県の一部が青浦県に編入。(16県)
- 1958年7月5日 - 蘇州市郊区が呉県に編入。(16県)
- 1958年7月6日(14県)
- 1958年7月19日 - 川沙県の一部が上海市宝山県に編入。(14県)
- 1958年8月 - 常州専区武進県の一部が江陰県に編入。(14県)
- 1958年8月31日 - 沙洲県が江陰県・常熟県に分割編入。(13県)
- 1958年9月19日 - 蘇州市を編入。蘇州市が県級市に降格。(1市13県)
- 1958年10月(1市13県)
- 常州専区武進県の一部が江陰県に編入。
- 常熟県の一部が無錫市無錫県に編入。
- 1958年11月21日 - 松江県・川沙県・青浦県・南匯県・奉賢県・金山県が上海市に編入。(1市7県)
- 1959年1月 - 呉県の一部が蘇州市に編入。(1市7県)
- 1959年8月10日 - 呉県の一部が蘇州市に編入。(1市7県)
- 1960年1月7日 - 震沢県が呉江県に編入。(1市6県)
- 1961年4月20日 - 呉県の一部が蘇州市に編入。(1市6県)
- 1961年10月25日 - 江陰県・常熟県の各一部が合併し、沙洲県が発足。(1市7県)
- 1962年6月25日 - 蘇州市が地級市の蘇州市に昇格。(7県)
- 1962年8月21日 - 蘇州市郊区の一部が呉県に編入。(7県)
- 1962年9月25日 - 無錫市無錫県を編入。(8県)
- 1963年5月9日 - 蘇州市郊区の一部が呉県に編入。(8県)
- 1963年7月 - 蘇州市郊区が呉県に編入。(8県)
- 1970年 - 蘇州専区が蘇州地区に改称。(8県)
- 1983年1月18日
- 呉県・呉江県・崑山県・太倉県・沙洲県・常熟県が蘇州市に編入。
- 江陰県・無錫県が無錫市に編入。
江蘇省蘇州市(第2次)
- 1962年6月25日 - 蘇州専区蘇州市が地級市の蘇州市に昇格。平江区・滄浪区・金閶区・北塔区・胥江区・桃塢区・郊区が発足。(7区)
- 1962年8月21日 - 郊区の一部が蘇州専区呉県に編入。(7区)
- 1963年2月22日(4区)
- 北塔区が平江区に編入。
- 胥江区が滄浪区に編入。
- 桃塢区が金閶区に編入。
- 1963年5月9日 - 郊区の一部が蘇州専区呉県に編入。(4区)
- 1963年7月 - 郊区が蘇州専区呉県に編入。(3区)
- 1966年11月(3区)
- 平江区が東風区に改称。
- 滄浪区が紅旗区に改称。
- 金閶区が延安区に改称。
- 1980年6月9日(3区)
- 東風区が平江区に改称。
- 紅旗区が滄浪区に改称。
- 延安区が金閶区に改称。
- 1983年1月18日 - 蘇州地区呉県・呉江県・崑山県・太倉県・沙洲県・常熟県を編入。(3区1市5県)
- 1983年6月14日 - 呉県の一部が呉江県に編入。(3区1市5県)
- 1983年11月24日 - 呉県・金閶区の各一部が合併し、郊区が発足。(4区1市5県)
- 1986年9月16日 - 沙洲県が市制施行し、張家港市となる。(4区2市4県)
- 1989年7月27日 - 崑山県が市制施行し、崑山市となる。(4区3市3県)
- 1992年2月17日 - 呉江県が市制施行し、呉江市となる。(4区4市2県)
- 1993年1月8日 - 太倉県が市制施行し、太倉市となる。(4区5市1県)
- 1995年6月8日 - 呉県が市制施行し、呉県市となる。(4区6市)
- 2000年1月5日 - 郊区が虎丘区に改称。(4区6市)
- 2000年12月31日 - 呉県市が分割され、呉中区・相城区が発足。(6区5市)
- 2002年9月 (6区5市)
- 虎丘区の一部が金閶区に編入。
- 相城区・呉中区の各一部が虎丘区に編入。
- 2012年8月17日 (5区4市)
- 滄浪区・平江区・金閶区が合併し、姑蘇区が発足。
- 呉江市が区制施行し、呉江区となる。
経済
2012年の統計によると、蘇州の市内総生産は1兆500億人民元である[3]。これは中国の都市で第6位であり、省都南京を大きく上回り、華東では上海に次ぐ第2位である。
上海から高速道路で1時間の距離にあり、上海の国際マーケットと国内マーケットをつなぐ要所である。シンガポールの協力で建設された蘇州工業園区を始め、蘇州高新技術産業開発区、崑山経済技術開発区、張家港保税区などの投資区域を有する。繊維製品、精密化学工業、製紙工業、電子工業、機械工業などの産業があり、2003年の市内生産総額は2,802億人民元、一人当たり国内生産は47,700人民元、輸出総額は326億米ドルに達する。
蘇州の東北に位置する陽澄湖は、上海蟹の産地・養殖地として著名であり、淡水漁業も盛んである。
特産・名菜
交通
教育
大学
日本人学校
観光
世界遺産
- 蘇州古典園林
- 拙政園 - 蘇州の数ある庭園の中でも最大で、留園とともに中国四大名園の一つに数えられている。明代の中央の高級官僚だった王献臣が造営したといわれる。40,000m²の広い敷地の半分以上を池や堀が占める。
- 留園 - 明代に創園された庭園であるが清代の1875年〜1909年に改築されてから留園と呼ばれるようになった。総面積は約20,000m²で東園と中園、西園と北園の4つに主に分けられる。
- 獅子林 - 元代末期の庭園様式を伝える、1342年造営の古園。太湖石で埋め尽くされた迷路のように回廊がめぐっている。石が獅子の形に見えるということから、獅子林と呼ばれるようになった。
- 滄浪亭 - 蘇州で最も古い庭園で、唐の時代の末期、956年に造営され、11世紀に改築された。
- 網師園
- 環秀山荘
- 芸圃
- 退思園
- 耦園
- 大運河
その他の観光地
- 盤門 - 蘇州市街の南西部にある外城河に囲まれた蘇州城に唯一残る城門。創建されたのは紀元前514年だが、元代の1351年に改修されたものが現存している。龍脈の影響が弱く商売など適していないと思われていた。従って、周辺は余り発達しておらず、昔の状態がかなり保存されている。
- 虎丘 - 春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来。呉越国の頃、961年に建立された八角七層の虎丘塔(雲岩寺塔)は、現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比されることもある。全国重点文物保護単位となっている。また1940年代まで、風水で龍脈の源と考えられ、城市内に流れ込む運河の市内への門は、ショウ門とよばれ、その近辺から繁栄した(古蘇繁栄図)
また、1940年まで北寺塔から南下する道は、臥龍街と呼ばれていた。(蘇州古城地図)
- 寒山寺 - 唐代に建立された名刹。唐代の詩人張継の「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」で始まる漢詩「楓橋夜泊」に登場することで有名である。
- 宝帯橋 - 大運河に架かる石橋。
- 羅漢院双塔 - 北宋時代に建てられたレンガ造りの双塔。
- 玄妙観 - 道観。本殿は南宋時代の建築。
- 北寺塔 - 報恩寺塔とも。南宋時代に建てられた塔。
- 周荘、甪直、同里 - 明代・清代の建築物も残る、古い水郷の街として人気がある。
- 平江路 - 2010年 第1回「中国歴史文化名街」の1つに選定される[4]。
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蘇州古典園林
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拙政園
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留園
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獅子林
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滄浪亭
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盤門
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寒山寺
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宝帯橋
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北寺塔
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玄妙観
姉妹都市・提携都市
石川県金沢市および大阪府池田市と姉妹都市、東京都東村山市および京都府亀岡市、三重県名張市と友好交流都市として提携している。
蘇州を舞台にした作品
Category:蘇州を舞台とした作品を参照。
脚注
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
蘇州市に関連する
メディアおよび
カテゴリがあります。
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第1回指定 (1982年) | |
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第2回指定 (1986年) | |
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第3回指定 (1994年) | |
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増補 | |
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指定時の地名のため、現在の行政区画の変更により一部に変化がある: 江陵→荊州区、襄樊→襄陽市、商丘(県)→睢陽区、日喀則→桑珠孜区、海康→雷州市、吐魯番市→高昌区、蓬萊市→蓬萊区、会理県→会理市、庫車県→庫車市 |
座標: 北緯31度19分0秒 東経120度36分00秒 / 北緯31.31667度 東経120.60000度 / 31.31667; 120.60000 (蘇州市)