藤原 道信(ふじわら の みちのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。
一条朝初頭の寛和2年(986年)摂政になったばかりの伯父・藤原兼家の養子として淑景舎にて元服して、従五位上に直叙され、同年侍従に任ぜられる。寛和3年(987年)正五位下・右兵衛佐、永延2年(988年)従四位下・左近衛少将、正暦2年(991年)左近衛中将に叙任されるなど武官を歴任。この間の永祚2年(990年)養父・兼家を、正暦3年(992年)実父・為光を相次いで喪っている。
正暦5年(994年)正月には従四位上に叙されたが、同年7月11日卒去。享年23。
非常に和歌に秀で、奥ゆかしい性格と評されたという[2]。懸想し恋文を贈った婉子女王(為平親王の娘)が藤原実資に嫁してしまった後に詠んだ和歌が『大鏡』に伝わる[3]。また、藤原公任・藤原実方・藤原信方らと親しかった。『拾遺和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に49首が入首している[4]。家集に『道信朝臣集』がある。
「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな」 — 『後拾遺和歌集』恋二672、小倉百人一首52番
『中古歌仙三十六人伝』による。
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