福永 裕基中日ドラゴンズ #68 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
滋賀県八日市市(現:東近江市) |
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生年月日 |
(1996-09-16) 1996年9月16日(27歳) |
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身長 体重 |
180 cm 85 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
内野手 |
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プロ入り |
2022年 ドラフト7位 |
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初出場 |
2023年3月31日 |
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年俸 |
1440万円(2024年) |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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福永 裕基(ふくなが ひろき、1996年9月16日 - )は、滋賀県八日市市(現:東近江市)出身[1]のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
経歴
プロ入り前
八日市市立布引小学校(現:東近江市立)2年時に野球を始め、布引ハンターズでプレー[2]。近江兄弟社中学校在学時は竜王ジャガーズの7期生としてプレーした[1][2]。
天理高等学校では、1年時秋よりベンチ入りするも、2年時夏は奈良県大会3回戦で敗退し、3年時夏には決勝戦で岡本和真擁する智辯学園高等学校に敗れたため、甲子園出場経験はない[3][4]。1学年下に姫野優也[注 1]、2学年下に森浦大輔がいた[5]。
専修大学ではレギュラーとして活躍し、1部・2部通算で打率.288を記録したほか、主将も務めた[6][7]。2学年上に森山恵佑と平間凜太郎、1学年上に高橋礼、同学年に工藤祐二朗、2学年下に佐藤奨真、3学年下に園部佳太がいた。
日本新薬入社後は、打撃では全国大会で通算3割を超える打率を記録し[6]、守備では臨時コーチである宮本慎也の指導を受けた[8]。
2022年のプロ野球ドラフト会議では、入社4年目にして中日ドラゴンズから7位指名を受け、11月13日に契約金3000万円、年俸720万円で仮契約を結んだ[9]。背番号は68[10]。
中日時代
2023年の春季キャンプは一軍スタートとなった[11]。ドラフト同期で同じ内野手の村松開人と田中幹也の離脱もあり[12]、3月31日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)との開幕戦に「7番・二塁手」として公式戦初出場・初先発出場[注 2][13]。同試合の3打席目となる6回表でタイラー・ビーディから三塁線上へ転がる打球を打ち、これを巨人の内野陣はファウルになると見送ったが三塁線の上で打球が止まり、幸運な形でのプロ初安打を記録した[14]。その後もレギュラーに定着していたが、4月26日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)の5回の守りで二塁後方の飛球を追いかけた際に、右翼手の岡林勇希と交錯。左太腿付近に打撲を負い、翌27日は試合前の練習に参加しなかった[15]。しかし、登録抹消はされず、5月5日の対読売ジャイアンツ戦(バンテリンドームナゴヤ)でプロ入り初本塁打を放った[16]。7月以降は打撃不振に陥り、8月14日に初めて登録を抹消された。二軍での再調整を経て、9月6日に一軍に復帰した[17]。最終的に97試合に出場し、打率.241、2本塁打、15打点を記録[18]。11月8日、720万円増となる推定年俸1440万円で契約を更改した[18]。
選手としての特徴・人物
広角に打てる技術と長打力、50m走6.1秒の俊足と遠投110mの強肩、メインポジションである二塁のほか一塁・三塁・遊撃も守れるユーティリティー性を兼ね備えた、走攻守三拍子揃った選手[1][19][3]。目標とする選手に、高校の先輩である中村奨吾を挙げている[1]。
愛称は「福ちゃん」、「福さん」[20]、「ふっくん」(中日OBの川上憲伸が命名)[21]。
社会人で二度の指名漏れを経験し、26歳という年齢もありラストチャンスと臨んだ2022年プロ野球ドラフト会議では他球団が選択終了をする中、支配下では全体で最後となる69番目に指名され、福永自身も「正直、終わったのかなと思っていた。最後の最後の指名で震えた」と語っている[8]。
日本新薬ではプロテイン事業部に所属していたため、入寮時にはホエイプロテインを持参した[22]。お気に入りはストロベリー味[23]。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- 初記録
背番号
脚注
注釈
- ^ 1年時春に退学。
- ^ 一軍開幕戦にスタメン起用された新人選手は、球団では2017年の京田陽太以来。
出典
関連項目
外部リンク