町田 久成(まちだ ひさなり / ひさすみ、1838年1月27日(天保9年1月2日) - 1897年(明治30年)9月15日)は、明治時代の日本の官僚、僧侶。旧薩摩藩士(島津氏庶流)。通称・民部、号は石谷。
慶応元年(1865年)、他の18名と共にイギリスへ留学。東京国立博物館の初代館長となる。後に出家して三井寺光浄院の住職となり、僧正となる。実弟に小松清緝(改名前は町田申四郎実種)[1]。小松清廉の妻の千賀は叔母にあたる。
昭和57年(1982年)、鹿児島中央駅前東口広場に彫刻家の中村晋也が制作した薩摩藩英国留学生の像『若き薩摩の群像[11]』の一人として銅像が建てられている。
墓所は滋賀県大津市の園城寺子院・法明院と東京都台東区上野桜木の津梁院にある。
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