甚兵衛(じんべえ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2304[2]。
地理
北は立埜原、笠神、北東は、下井、東は長門屋、南東は下井、南は長門屋、南西は萩埜、西は本埜小林、和泉屋、北西は本埜小林に隣接している。
小字
小字は以下の通り[4]。
歴史
江戸期は甚兵衛新田であり、下総国印旛郡のうち。笠神埜原新田に属す。寛文年間笠神村御立野原を開発して成立。はじめ幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」125石余。江戸中・後期は笠神埜原新田10か村組の1つで、天保3年十ヶ村請免状写によれば、畑・埜地・屋敷から成り反別20町6反余、年貢は永122文8分余を上納(吉植家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は八幡神社・水神社(印旛郡誌)。明治22年埜原村の大字となる[5]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 埜原村大字甚兵衛新田となる。
- 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。
- 1910年(明治43年) - 埜原村大字甚兵衛となる[5]。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 本埜村甚兵衛となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市甚兵衛となる。
施設
交通
道路
脚注