中田切(なかたぎり)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2306[2]。
地理
北は安食卜杭、東は下井、南は笠神、西は松木に隣接している。
小字
小字は以下の通り[4]。
歴史
江戸期は中田切新田であり、下総国印旛郡のうち。笠神埜原新田に属す。寛文年間下利根川掘割工事の際、相馬郡中田切村の一部が河川敷となり、代替地として笠神村御立野原を開発して成立。寛文11年国手形寺請状改綴によれば、入百姓13、出身地は庄内領4、布川領3、印西領1、武蔵国幸手領3、同羽生領1、常陸国下妻領1(吉植家文書)。はじめ幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領、天保8年から浜松藩領、弘化2年幕府領となるが同4年から再び浜松藩領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」116石余。江戸中・後期は笠神埜原新田4か村組の1つで、享保15年四ヶ村組年貢割付状によれば、畑・屋敷・埜地畑から成り反別19町余、年貢は永2貫335文4分余を納入(吉植家文書)[5]。
年表
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。埜原村大字中田切新田となる。
- 1910年(明治43年) - 中田切新田が改称し、埜原村大字中田切となる[5]。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 本郷村・埜原村が合併し、本埜村が発足。本埜村中田切となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印旛村・本埜村が印西市に編入。印西市中田切となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
施設
脚注