浮氣 哲郎(うき てつろう、1971年10月4日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
小学校4年生の時にサッカーを始める[2]。
1994年に東京学芸大学を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属する同社サッカー部(現 FC東京)でプレーし、1996年にはリーグ最小失点となる堅守を築きベストイレブンに選出された。
1996年限りで東京ガスを退社し、1997年にはJリーグのジェフユナイテッド市原(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へプロ契約で移籍した。市原では出場機会に恵まれず1年で退団。
翌1998年は古巣の東京ガスにプロ選手として復帰、DFラインの中核を担った。チームの旧JFL優勝に貢献したものの、やはりその年限りでの退団となり、その後は大宮アルディージャ、モンテディオ山形[5][6]、大分トリニータ[7][8]、湘南ベルマーレ[9]、横浜FCと、J2クラブを渡り歩いた。技術や身体能力ではチームで一番劣っていると謙遜しつつも、味方のミスをカバーする的確なポジショニングと戦術眼を駆使して[10] 多くのクラブでリーダーシップを発揮し、精神的主柱としてチームの上位進出に貢献[11][12]。2002年に所属した大分ではリーグ最小失点での優勝を果たした。
2007年7月、日本フットボールリーグのFC刈谷において、成績不振によって辞任した安原成泰に代わって刈谷の監督に就任し、現役を引退。
2007年はシーズン途中の監督就任であり、チームを立て直しきれなかったものの、2008年には平林輝良寛・原賀啓輔を得点源にチームを全18チーム中8位にまで浮上させた。2009年、東京ガスや湘南で共にプレーした盟友アマラオをコーチに招聘[13]。しかし、平林・原賀をはじめ主力の退団が相次いだことから[14] 不振に陥り、ツエーゲン金沢との入れ替え戦に敗退、東海社会人リーグへの降格を喫した。シーズン終了後に監督を退任[15]。
2010年よりFC岐阜のコーチに[16][17]、2012年からは湘南ベルマーレのコーチに就任した[18][19]。
2017年、カターレ富山の監督に就任[20]。自動昇格圏内の2位でシーズンを折り返したが後半戦で失速し同シーズンは7位で終えた。翌2018年も続投したが開幕から勝ち星を伸ばせず、第7節から第10節にかけて4連敗し順位も最下位となっていた。5月9日付で契約解除となり監督を退任した[21]。
その後はタイ1部・ウボン・UMT・ユナイテッド(英語版)のアシスタントコーチを経て、2019年より古巣大分のアカデミーヘッドオブコーチングに就任[22]。
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