草木 克洋(くさき かつひろ、1962年4月12日 - )は、大阪府大阪市出身(京都府育ち)の元サッカー選手、サッカー指導者。
大阪府大阪市で生まれ3歳のときに京都市へ移る[1][3]。洛南高校から1981年にヤンマーディーゼルに入団した。また、1988年1月27日のアラブ首長国連邦代表戦で日本代表として初出場[2]。また、日本代表として国際Aマッチ2試合を含む19試合に出場した。
Jリーグ開幕を前にして1992年にガンバ大阪に移籍、1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍し、同年限りで引退した。
2003年、日本フットボールリーグの北陸電力サッカー部アローズ北陸の監督に就任。以前コーチを務めていた縁から元サガン鳥栖の選手らを呼び寄せるなどして守備力を大幅にアップさせ、年々順位を上げ、2005年は3位につけた。2006年シーズンをもって退任した。2008年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。2012年より成美大学(現:福知山公立大学)の監督に就任[1]。
2016年、アミティエSC京都(現:おこしやす京都AC)の監督に就任した[4]。2017年9月、成績不振により解任された[5]。
2018年、新潟医療福祉大学女子サッカー部の監督に就任した[6]。
2022年、なでしこリーグ・伊賀FCくノ一三重の監督に就任した[7]。同年11月5日、契約満了により監督を退任した[8]
その他の公式戦
:監督
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