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池田 隆英(いけだ たかひで、1994年10月1日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
唐津市立成和小学校4年生のときに『成和ライオンズ』で野球を始め[2]、当初は捕手だったが、6年生のときに投手へ転向した[3]。唐津市立第五中学校では硬式チーム『東松ワンダーズ』に所属し、4季連続で全国大会に出場[4]。2年時には全国準優勝も経験した[3]。
創価高校では1年秋からベンチ入りし[2]、2年秋から背番号1[3]。3年夏は西東京大会直前の練習試合で右膝を痛め、テーピングとギプスで右膝を固めて[5]実践学園との4回戦で同大会初登板となったが、バント処理の際に右膝を痛めて降板[6]。右膝前十字靭帯断裂の大怪我であり[2]、チームはベスト4まで勝ち進んだが[3]、池田自身は前述の1試合のみの登板であった。甲子園出場経験は無し[4]。
高校卒業後は創価大学へ進学したが、1年間はリハビリの毎日であった[2]。2年秋の明治神宮大会で最速151km/hを計測[4]。4年春に東京新大学野球リーグ戦初勝利を挙げた[7]。6月下旬に右足首の遊離軟骨除去手術を受けたが[8]、4年秋のリーグ戦では4勝0敗・防御率0.83と好成績を収め[9]、最多勝利と最優秀防御率のタイトルに加えてベストナインも獲得[10]。大学4年間ではリーグ戦で29試合に登板し、7勝4敗・防御率2.45という成績であった[9]。また、高校・大学の7年間では田中正義と同級生であった[11]。
2016年10月20日に開催されたドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから2位指名を受けた[12]。指名後に出場した関東地区大学選手権では、自己最速の152km/hを計測[13]。11月9日に契約金7000万円・年俸1200万円(いずれも金額は推定)で入団に合意した。背番号は30[14]。担当スカウトは沖原佳典[15]。
2017年は5月と8月に一軍での先発登板が内定していたが、5月は左足首、8月は右足首をそれぞれ捻挫し[16]、この年は一軍登板は無くシーズンを終えた。二軍では11試合登板し、4勝1敗・防御率2.72を記録[17]。オフに現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改した[18]。
2018年は春先からアピールを続け、開幕ローテーション入りを果たし、開幕3試合目の千葉ロッテマリーンズ戦[19]でプロ初登板初先発。2回1/3を4失点(自責点2)で敗戦投手となり[20]、続く4月8日の福岡ソフトバンクホークス戦では6回1失点と好投[3]しながらも敗戦投手となったが[21]、同15日の埼玉西武ライオンズ戦では6回1/3を投げ、11安打2四球で5点を失いながらもプロ初勝利を挙げた[22][23]。その後は2試合に先発し[24][25]、変則的な日程もあって5月1日に出場選手登録を抹消され[26]、同15日のソフトバンク戦に中14日で先発[27]。5回86球1失点と好投したものの、2回表に右前腕に打球が直撃した影響で交代を告げられ[28]、勝敗は付かなかった[29]。5月22日のオリックス・バファローズ戦では5回途中7安打5四球5失点の乱調で敗戦投手となると[30]、同25日のソフトバンク戦に中2日でプロ初のリリーフ登板となり、1イニングを3者凡退に抑えてプロ初ホールドを記録[31]。以降もリリーフ起用が続いたが、6月8日の広島東洋カープ戦で1回3安打1四球3失点[32]、続く同13日の中日ドラゴンズ戦でも1回1/3を4安打1四球1失点(自責点0)と打ち込まれ[33]、6月14日に出場選手登録を抹消された[34]。その後の一軍昇格は果たせずにシーズンを終えたが、この年は一軍で15試合(7先発)に登板し、1勝5敗4ホールド・防御率5.91を記録[35]。シーズン終了後には、台湾でのアジアウィンターリーグ[36]にNPBイースタン選抜の一員として出場し、台湾選抜との優勝決定戦に先発すると、8回2安打10奪三振無失点と好投し、チームを優勝へ導いたと共にリーグのMVPに輝いた[37]。オフに100万円増となる推定年俸1300万円で契約を更改した[35]。
2019年は春季キャンプを一軍でスタートし[38]、オープン戦では3月16日の中日戦に先発したが、4回途中6安打2四球4失点(自責点3)と結果を残せず[39]、開幕と同時期には膝の手術を受けた[40]。その後、一軍復帰に向けて二軍で実戦登板を重ねるも、今度は左腹斜筋を痛めて離脱[40]。この年は一軍登板が無く、二軍でも6試合の登板にとどまった[41]。レギュラーシーズン終了後の10月1日に戦力外通告を受け[42]、楽天からは育成選手契約を打診された[40]。11月19日に楽天と育成選手契約を締結[43]。背番号は130と発表された[44]。
2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕が6月に延期された。開幕直後の6月25日にトレードで池田駿が入団したため[45]、報道上の表記およびスコアボード上の表記が「池田隆」に変更となった。この年は二軍で21試合に登板し、1勝1敗・防御率1.65と好成績を収め、オフに支配下選手登録となった[46]。推定年俸は現状維持の650万円[47]、背番号は30[48]。
2021年2月27日、横尾俊建とのトレードにより、北海道日本ハムファイターズへ移籍することが発表された[49]。背番号は52[4]。
オープン戦では3試合(2先発)に登板して計10イニングを無失点と好投し[50]、開幕ローテーション入り。開幕3試合目の3月28日、古巣である楽天戦で移籍後初登板初先発[51]、さらには自身3シーズンぶりとなる一軍公式戦登板となった[52]。4回に一死満塁のピンチを招き、ゲッツー性の打球をショートへ打たせたものの、これを中島卓也がファンブル[51]。併殺でチェンジが一転、1アウトも取れずに先制を許し、この回一挙4失点[52]。5回8安打2四球3奪三振4失点(自責点3)という内容で敗戦投手となった[53]。移籍後3度目の先発登板となった4月13日の西武戦では、6回1失点に抑えて移籍後初勝利、自身1094日ぶりの白星を挙げた[54]。その後は時折10日間の登録抹消を挟みながら先発ローテーションを回っていたが、援護に恵まれないことが多く[55]、黒星が先行した[56][57]。8月15日のソフトバンク戦ではドリュー・バーヘイゲンが調整の一環でショートスターターとして先発し[58]、池田は2番手として登板して3回無失点。これが3年ぶりのリリーフ登板となり、ホールドも記録された[59]。後半戦は疲労もあって早期降板が目立つようになり[60]、9月15日に出場選手登録を抹消されて[61]以降は二軍調整が続き、シーズン最終盤の10月26日には中継ぎとして一軍へ再昇格し[62]、この年は18試合(16先発)の登板でリーグ最多タイの10敗を喫したものの[63]、3勝1ホールド・防御率3.94を記録[64]。オフに1050万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改した[65]。
2022年はリリーフとして開幕を一軍で迎え[66]、ソフトバンクとの開幕カード3戦目でシーズン初登板となったが、1回2安打1四球1失点で敗戦投手となった[67]。3月31日に出場選手登録を抹消されて[68]以降は二軍で先発調整となり[69]、7月10日のソフトバンク戦でシーズン初先発[70]。6回3安打無四死球3奪三振無失点[71]、二塁すら踏ませない好投でシーズン初勝利を挙げた[72]。続く同18日の西武戦では5回2失点(自責点1)ながらも敗戦投手となり[73]、7月20日には無症状ながら新型コロナウイルス陽性判定を受け[74]、同日に特例2022で出場選手登録を抹消された[75]。離脱後の一軍登板は1試合のみであり[76]、この年は4試合(3先発[77])の登板で1勝3敗・防御率3.31という成績であった[78]。オフに100万円減となる推定年俸1600万円で契約を更改した[77]。
2023年1月11日に日本ハムは、海外FA権を行使してソフトバンクに移籍した近藤健介の人的補償として、田中正義を獲得したことを発表。高校・大学時代の同級生であり、7年ぶりにチームメイトとなった[11]。この年は春先からリリーフ調整となり[79]、開幕こそ二軍で迎えたものの、4月5日に出場選手登録[80]。開幕ローテーションのコディ・ポンセが故障離脱[81]、先発調整していた鈴木健矢はリリーフとして開幕一軍入り[82]、先発要員のジョン・ガントや根本悠楓が二軍でも不安定[83][84]というチーム事情があり、4月11日のソフトバンク戦はブルペンデーとなり[85]、その1番手として池田がシーズン初先発[79]。3回裏に先制を許し、なおも二死一・二塁という場面で降板となり、代わった北山亘基が適時打を打たれ[86]、2回2/3を2安打2四球2奪三振2失点という内容で勝敗は付かなかった[87]。その後はセットアッパー[88][89]、回跨ぎのリリーフ[90][91]、ピンチの場面での火消し[92][93]と様々な場面での起用に応えた。交流戦を終えてリーグ戦が再開し、8回のセットアッパーとして起用されるようになると[94][95]、その地位を確立し[96]、シーズン終了まで役目を全うした[97]。この年は1勝5敗・防御率2.86、チーム最多の51試合・25ホールドと好成績を残し[98]、オフに3000万円増となる推定年俸4600万円で契約を更改した[99]。
2024年は2月23日のサムスン・ライオンズとの練習試合での登板後、右肘に違和感を覚えた[100]。キャッチボール再開までは1か月を要し[101]、6月8日の二軍戦で実戦復帰を果たし[100]、7月2日に出場選手登録[102]。蓄積疲労の影響[103]で9月29日に登録抹消となる[104]までの約3か月で29登板とフル回転し[105]、この年は29試合の登板で2勝1敗15ホールド・防御率3.80という成績であった[106]。CSでは、ロッテとのファーストステージ開幕となる10月12日に出場選手登録され[107]、2試合に登板して逆転でのファーストステージ突破に貢献[108]。ただ、ソフトバンクとのファイナルステージ開幕となる10月16日[109]に上半身のコンディション不良で登録抹消となり[108]、シーズンを終えた。
持ち球は最速156km/h[111]のストレート、スライダー、フォーク、カットボール、シュート、カーブ、チェンジアップ。打者を抑えると雄叫びを上げ[112]、闘志をむき出しにする投球スタイルである[113]。
2021年オフから球速アップに取り組んでおり[96]、2022年の春季キャンプでは新庄剛志新監督が臨時コーチとして招聘したタレントの武井壮に相談すると、神経的なアプローチをアドバイスされ[114]、「“重いものを持ってから軽いものを持って、速く腕を振る”というものです。腕を振るスピードって脳が判断しているので、そのキャパを上げるために、軽いラケットを振るなどして“腕がもっと振れるんだ”というトレーニングをしていきました」というトレーニングを取り入れた。その後の2年間では平均球速が4km/hも増加し、軸であるストレートの威力が増したことで、大小様々な変化球が強力な効果を発揮するようになった[115]。
幼少期には、素潜りでサザエなどを採っていた[116]。小学生の時に、実父が心臓バイパスの手術を経験。後にうつ病を発症したため、それまで専業主婦だった実母が、新聞配達などのアルバイトで家計や池田の学費を賄っていた[23]。このような家庭の事情を背景に、2016年NPBドラフト会議の直前から、『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBSテレビ)スタッフの密着取材を受けた。会議の当日(2016年10月20日)に全国ネットで放送された同番組では、池田や家族への取材を基に、以上の生い立ちを再現映像を交えながら紹介。池田自身も、楽天からの指名を受けた後に、生中継を通じて実父と揃って出演した[117]。
ギターやピアノの演奏が趣味で、楽天への入団後から居住している球団合宿所「泉犬鷲寮」の自室にもギターを持参。折に触れてギターを演奏している。また、試合に登板する前には、ブルーノ・マーズの楽曲を聴きながらリラックスに努めている[116]。