松平 忠堯(まつだいら ただたか)は、江戸時代後期の大名。伊勢国桑名藩7代藩主、武蔵国忍藩主。官位は下総守。奥平松平家9代。
生涯
享和元年(1801年)6月9日、桑名藩主・松平忠翼の長男として誕生。嫡出であったため、家祖・松平忠明の幼名である鶴松丸を名付けられた。文政4年(1821年)、父の死去に伴い藩主となり、文政6年(1823年)3月24日には三方領知替えにより、阿部正権の後の武蔵忍藩へ転封を命じられた。
天保3年(1832年)、侍従に任官。天保9年(1838年)、弟・忠彦に家督を譲って隠居した。元治元年(1864年)8月14日、死去した。享年64。
系譜
父母
正室
養子
脚注
奥平松平家 桑名藩7代藩主 (1821年 -1823年) |
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本多家 | |
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久松松平家(定勝系) | |
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久松松平家(定綱系) | |
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奥平松平家 | |
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久松松平家(定綱系) | |
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奥平松平家 忍藩初代藩主 (1823年 - 1838年) |
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深溝松平家 | |
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東条松平家 | |
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長沢松平家 | |
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阿部家 | |
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奥平松平家 | |
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