松平 忠彦(まつだいら たださと)は、江戸時代後期の大名。武蔵国忍藩の第2代藩主。官位は従四位下・式部大輔。奥平松平家10代。
奥平松平家8代、桑名藩主・松平忠翼の三男として誕生。兄・忠堯の養嗣子となり、天保7年(1836年)には従四位下式部大輔に叙任され、天保9年(1838年)には兄の隠居に伴って家督を相続した。正室は池田斉稷娘。
在任2年足らずで死去し、弟・忠国が家督を相続した。
父母
正室
養子