望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )は、日本の男性アニメーション監督、演出家、脚本家[1][2]。北海道出身[3]。妻はアニメーターの後藤真砂子[4]。坂本郷名義で脚本や演出を担当することもある[3]。
亜細亜堂に入社し、アニメーターを経て演出家、監督となる[2]。その後、フリーに[5]。
東京都立小松川高等学校卒業後、早稲田大学に進学。入学の年に始まった『機動戦士ガンダム』に影響を受け、早稲田アニメーション同好会に入る[1][2]。自主制作アニメや同人誌を制作していたが、あまりにものめり込みすぎて大学を留年してしまう[2]。普通の就職をする気が無くなり、アニメーターになることを思い立つ[2][注 1]。
1981年、動画のアルバイトをきっかけに、大学を中退してベテランアニメーターの芝山努、小林治が経営するアニメ制作会社「亜細亜堂」へ入社[1]。
動画を1年ほど経験した後、当時の社長だった芝山努に言われ、1983年の『ときめきトゥナイト』の第14話「見た!!ランゼはたぬき」で演出デビュー[2][6]。
1983年から小林治監督の下で演出したスタジオぴえろ制作の『魔法の天使クリィミーマミ』のリアルな日常描写と工夫されたカメラワークで注目を浴びる[5][6]。この作品で、小林からレイアウトの取り方やタイミングの配慮など、多くのことを学ぶ[6]。当時、亜細亜堂には演出専門のスタッフが置かれておらず、小林もちょうど必要性を感じていた時期であった[6]。小林によれば、望月を選んだ理由はある程度絵が描けて何をするにも思慮深かったのが半分で、残りの半分は直感だったとのこと[6]。
1986年、タツノコプロ制作の『光の伝説』で初のチーフディレクター(監督に相当)を担当[7]。しかし、初対面のスタッフばかりの上、自身がタツノコ作品に馴染みがなかったことで上手くタツノコカラーを出せず、わずか19話で打ち切りとなった[7]。
1987年、初の完全オリジナル作品『トワイライトQ 時の結び目 REFLECTION』を監督[7]。
1988年、アニメーターの後藤真砂子と結婚[4]。
1989年、芝山努監督の下で『らんま1/2』(1989年版)のシリーズディレクターを担当。多忙の芝山に代わって望月が事実上の監督を務めたが、キティ・フィルムの要望に合わせることが出来ず、2クールもたずにシリーズは一旦打ち切られ、望月降板後に仕切り直しとなった[4]。
1991年から1993まで発売されたOVA『ここはグリーン・ウッド』シリーズで、原作者の那州雪絵自身の指名により、後藤真砂子とともに脚本・監督・作画監督を務めた[8]。最初は2巻までの予定だったが、好評を受けて6巻まで制作された[8]。
1993年5月に放送されたスタジオジブリのテレビスペシャル『海がきこえる』を監督。ジブリとしては、初の宮崎駿・高畑勲以外の監督作品だった[9][注 2]。
1995年の『ダーティペア FLASH2』をきっかけに、サンライズから仕事のオファーが来るようになる[2]。以後、勇者シリーズ『勇者指令ダグオン』[注 3]、『セラフィムコール』などのサンライズ作品の監督を務める[2]。
2009年、長年所属していた亜細亜堂を退社し、フリーとして活動を開始。
監督作では演出・絵コンテ・脚本(もしくはシリーズ構成)だけでなく、音響監督も担当することが多い。
ジャンルとしては、少女物・青春物を数多く手掛けてきた[11]。一方、メカ物には苦手意識がある[2]。「剣と魔法」のファンタジー物は好きではなく、『クリィーミーマミ』の劇中劇をビデオ化する話が持ち上がった時も断り続けた[12]。
日常描写にこだわった細やかな描写の中の斬新な演出、独特な画面構成やカット割り、PANの多用、比較的高いカメラポジション、360度周回するカメラワークなどで知られる[6][13][14]。『魔法の天使クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』シリーズ(OPEDを含む)でその持ち味が現れており、日本のリミテッドアニメの枠に囚われない型破りな演出手法も多く見られた[15]。
その演出は多分に表現主義的で、『アルプスの少女ハイジ』以来続いていた日本アニメの凝ったレイアウトと生活感を重視した演出に、少女キャラクターをキャッチーに描く事でその存在感を強める手法を持ち込み、のちの萌えの原型のようなものを発生させた[6][16]。
視点にこだわる演出家で、常に"見る者"(=カメラ)の存在を感じさせる[8]。初期においては奇抜なだけというカメラアングルも少なくなかったが、男女の恋愛感情を描いた『めぞん一刻』と『きまぐれ☆オレンジロード』の劇場版の頃から、人物の主体的な感情との結びつきが強調されるようになった。これらの作品では、"視点"はしばしば登場人物の男女のそれと同化し、視聴者は"見る者"と一体となって画面から相対する登場人物の感情を受け取らされる[8]。
『クリィミーマミ』では、小林治監督が始めた「実写のカメラで撮ったような画作りをして作品世界やキャラクターを現実感あるものとして描く」という方向性を発展させ、存在しないカメラを意識させるその演出を完成させた[16]。
初監督の『光の伝説』以降、子供向けアニメや魔法少女物より中高生や大学生というやや年齢の高い主人公を扱ったものが多くなり、同時に演出の主眼も、男女の微妙な感情のゆらめきやすれ違いといった「静かなドラマ性」の掘り下げへと向けられていった[7]。
『めぞん一刻 完結編』では、室内からカメラが全く出ないという実写にはありがちだがアニメでは当時珍しかった手法を試み、『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』では、主観のカメラの多用や小刻みなカットの積み重ねなどを行った[4]。
『トワイライトQ 時の結び目 REFLECTION』ではフォローやパンなどカメラワークの一切ないものをやりたいと思い、全カットをフィックス(固定撮影)にしている[7]。
『海がきこえる』では、人物の自然な動作を描出する作画力に定評があるジブリとリアリティある人間描写を追及する望月の演出が影響し合い、ジブリカラーは失わずに青春アニメらしい若さと危うさをはらむ画面作りに成功した[8]。思い出をカットバックで見せる手法、それぞれのキャラクターの目線で風景を切り取るカット割り、ラストシーンを活かすために全編にわたってフィックスとなっているカメラ位置など、望月の個性が発揮されている[17][18]。
業界に入ってから最初に目撃した有名人が、押井守監督。押井作品で一番好きな作品は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で、「『ぼくのマリー』第3巻「夢みるアンドロイド」は私なりに『ビューティフルドリーマー』の内容に対する一種の反論として作った作品」と発言している[19]。
書籍『ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記』著者の小林和彦は、早稲田大学および亜細亜堂時代の後輩に当たり、同書には望月による序文「この本の紹介」と「小林君との長い日々」が収録された[20]。