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山中 賢次(やまなか けんじ、1965年2月10日 - )は、徳島県名西郡神山町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
鳴門商業高では、エースとして2年秋の県大会決勝で翌夏に全国制覇する池田高の畠山準に投げ勝って優勝。1982年春の選抜に出場。1回戦で大田勇治のいた鹿児島商工高と対戦するが、9回裏に逆転サヨナラ負けを喫する[1]。
1982年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。入団当時の背番号「20」は、郷里の大先輩である左腕投手の白石静生から引き継ぐ形に。
アンダースローからのカーブやシンカーを武器にしたが、一軍登板がないまま1986年から内野手に転向。
1988年にはシーズン終盤の5試合に二塁手として先発するが、その後は出場機会が減少。1990年オフに自由契約となりヤクルトスワローズにテスト入団する。1992年限りで現役を引退。