尺別信号場(しゃくべつしんごうじょう)は、北海道釧路市音別町尺別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の信号場。電報略号はヤク。事務管理コードは▲110429[2]。旅客営業当時の駅番号はK44。
歴史
北日本鉱業が、尺別炭礦運炭軌道(雄別炭鉱尺別線の前身、以下「尺別線」)向け分岐線(車扱貨物積込線)設置予定地点に、1919年(大正8年)7月13日付で信号所設置を願い出たことにより貨物駅として開設され[3]、その後旅客を扱うようになった。
その後尺別炭鉱は1970年(昭和45年)に閉山となり、当駅も2019年(平成31年)3月16日に旅客取り扱いを廃止し[4]、信号場となった[5]。
年表
信号場名の由来
所在地名より。現在の尺別川を指すアイヌ語に由来するが諸説ある[18]。説としては以下のものが挙げられている[7][18]。
- 「夏・川」を表す「サㇰペッ(sak-pet)」[18]
- 「無い・川」を表す「サㇰペッ(sak-pet)」[18]
- 「乾かす・川」を表す「サッテペッ(satte-pet)」[18]
- 「乾く・川」を表す「サッペッ(sat-pet)」[7][18]
これらの名称の由来は夏にこの川で食料を得たため(1.)、夏にその水が乾くため(1.・2.・3.)、水が少なく鮭鱒が遡上しなかったため(4.)などと推測されている[18]。
構造
2線を有する列車交換型の信号場。
旅客営業当時は相対式2面2線のホームを持つ地上駅であり、音別駅管理の無人駅であった。
雄別炭鉱尺別線が運用されていた頃の構造は、中線を有する相対式ホーム2面2線で、駅舎直別側に貨物ホームと引込線、本線駅裏側に雄別炭鉱用の留置・仕訳用側線5本及び機回し線1本が釧路側から分岐、機回し線の社尺別駅寄りに転車台を有した[3]。
駅舎は1953年(昭和28年)完成の2代目が、減築・改修などを経て駅廃止まで供用されていた[5]。
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改修前の駅舎(2013年9月)
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待合室(2018年9月)
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ホーム(2018年9月)
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跨線橋(2018年9月)
利用状況
炭鉱閉山以前は1日に2000人を超える乗降があったとされる[19]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「1名以下」[20]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の1日平均乗車人数は1.0人[19]。
周辺
民家が数軒ある。かつては炭鉱の社宅や国鉄官舎が並び[5]、2019年(平成31年)3月16日付の朝日新聞記事では、元住民の証言として上記以外に食料品店、旅館、パチンコ店などがあったことを紹介している[19]。このほか1966年(昭和41年)3月10日に駅前に簡易郵便局が設置されたが、閉山後の1971年(昭和46年)3月1日に廃止されている[9]。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■根室本線
- 厚内駅 (K42) - (直別信号場) - (尺別信号場) - 音別駅 (K45)
記録と調査
釧路市立博物館では、廃止になった駅や簡易軌道などの調査と研究を行っており、記録や資料、証言を収集している。2019年(平成31年)3月16日の尺別駅と直別駅の廃止に合わせ、同年3月2日から4月6日、同館常設展示室内においてミニ企画展「尺別駅と直別駅」が開催され、両駅の駅名標や時刻表、行先標などが展示された。また同年9月15日、展示内容とその後の調査結果などをまとめたブックレット『尺別駅と直別駅』が刊行されている[21]。
脚注
注釈
- ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1948年(昭和23年)撮影航空写真 USA-R329-75。岩粉工場は既に建てられて引込線も敷かれているようだが、1953年(昭和28年)から1年半程度の操業であったとされる。
- ^ 本線横に敷かれた側線の外側(駅裏側)に細長い貯炭場を間に挟んで尺別炭礦の運炭軌道が並行して敷かれ、軌道側の貨車から国鉄側の貨車へ積み替え作業を行った。このため200人以上がこの作業に従事し、当時の当駅は大変に賑やかであった。
- ^ 側線と転車台は尺別炭礦側の財産であったが、国鉄側に譲った形になっている。元々この転車台を必要としていたのは国鉄側の機関車であった。
出典
参考文献
- 石川孝織/編著 釧路市立博物館ブックレット『尺別駅と直別駅』 2019年9月 釧路市立博物館友の会
関連項目
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外部リンク
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貨物支線 (1989年廃止) | |
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*打消線は廃駅 |