富士見(ふじみ)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名は富士見一丁目および富士見二丁目。住居表示実施済み区域である[1]。郵便番号は102-0071[2]。
なお、千代田区では富士見一丁目に富士見出張所を設け、富士見・飯田橋・九段の全町域および千代田(皇居)・北の丸公園・一ツ橋一丁目を管内として「富士見地域」と呼んでいる[注釈 1]。
地理
千代田(皇居)の北西部に位置する。北西部から西部一帯は外堀を境に新宿区神楽坂・同区市谷田町・同区市谷船河原町にそれぞれ接する。北東部から東部は千代田区飯田橋に、南部は千代田区九段北に接する。町域内には大学や高等学校、専門学校など文教施設が多く集まっている。二丁目には大型の病院も複数見られる。他に町域内には商業地および住宅地が混在している。南東部が富士見一丁目、北西部が富士見二丁目に当たる。法政大学の裏側(富士見坂)- 白百合学園 - 靖国神社の道路は、朝鮮総聯本部が近くにあるため、警察官が数人終日配備されている。
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、富士見1-4-12 の地点で136万円/m2となっている[3]。
歴史
地名の由来
地名は、1869年に最初に設定された場所、すなわち九段坂上の三番町馬場・武家地・火除地(田安門から現在の靖国神社外苑、九段南二丁目周辺)を貫く三番町通(現靖国通り)が、西方つきあたりに富士山がよく見えることから「富士見通り」と呼ばれていたことに由来する。また法政大学の裏側にある富士見坂も1873年に拡張された町域内にある。ここも富士山がよく見えたことによる地名だが、現在では高層建造物が密集しており、富士山を見ることはできない。
富士見町の名称は、1869年に九段(坂)上に初めて命名され、1873年3月に旧三番町の一部、旧四番町(表四番町・裏四番町・土手四番町)を含めて六丁目まで成立した。震災復興計画で靖国通りが拡幅整備されたのに伴い、沿線に「九段」の町名が新設され、1933年7月1日に一丁目は九段二丁目・(新))三番町、三丁目は九段三丁目(現九段北三丁目)に改編された。
戦後の町名改編で、靖国神社の境内北辺から牛込見附・新見附[注釈 2]をコーナーとする区域に改めて富士見一、二丁目が設置された。1933年から靖国通りに面する富士見町が消え、丁目の区画も戦前の富士見町とは異なるので、古い資料を考証するときには注意が必要である[4]。
町名の変遷
実施後
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実施年月日
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実施前(特記なければ各町名ともその一部)
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富士見一丁目
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1966年10月1日
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富士見町一丁目、飯田町一丁目
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富士見二丁目
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富士見町三丁目(全域)、富士見町二丁目、飯田町二丁目
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再開発
2010年前後に相次いで再開発が行われ、飯田橋駅周辺で病院や低層住宅が建ち並んでいた一部の地域が高層ビル化された。
なお、今後も、飯田橋駅中央地区(「飯田橋四丁目8番9番」および「富士見二丁目6番5番の一部」)について、再開発準備組合が2015年(平成27年)9月に設立され、飯田橋駅中央地区市街地再開発組合(仮名)として令和5年度以降設立したうえで「飯田橋駅中央地区第一種市街地再開発事業」として、野村不動産が一体開発する予定がある。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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富士見一丁目
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506世帯
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1,088人
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富士見二丁目
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1,676世帯
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3,239人
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計
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2,182世帯
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4,327人
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小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[7]。
交通
町域内を早稲田通りと大神宮通りが通っている。町域内に鉄道駅はないが、町域北東側では飯田橋駅が(北東端は駅出口が至近にある)、北西側では市ケ谷駅が、南部では九段下駅がそれぞれ利用可能である。
施設
富士見一丁目
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千代田区立九段中等教育学校
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東京ルーテルセンター教会
富士見二丁目
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法政大学ボアソナード・タワー
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東京逓信病院
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東京大神宮
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飯田橋グラン・ブルーム
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富士見町教会
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KADOKAWA本社
旧跡
脚注
注釈
- ^ おおむね区立富士見小学校・九段小学校の学区域と重なる。
- ^ 市谷見附と牛込見附の間には通路がなかったが、1895年に甲武鉄道の新宿 - 牛込間が江戸城外壕を一部埋め立てて敷設されるのに合わせて、新たに一口坂・富士見坂の下端(法政大学市ケ谷キャンパス西端)から市谷田町二丁目を結ぶ土橋が架けられ、「新見附」と呼ばれた。
出典
関連項目
外部リンク