神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0034[2]。
地理
千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、神田東松下町に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に岩本町に接する。南端は神田紺屋町(2町域に分かれたうちの南部)に接する。西部は神田北乗物町・神田紺屋町(2町域に分かれた内の北部)に接する。神田東紺屋町は神田駅東口方面の商業地の一角を占める。
歴史
江戸時代、この界隈は、町人と武士の屋敷が混在している地域であった。この辺りにあったのは、神田紺屋町三丁目(かんだこんやちょうさんちょうめ)、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)、神田佐柄木町(かんださえきちょう)代地、永富町二丁目(ながとみちょうにちょうめ)代地といった町々であった。1869年(明治2年)、これらの町が合併して「東紺屋町」となる。1872年(明治5年)には、町の北側にあった、江戸時代前期から続く武家地の一角も編入されている。通称「お玉が池」と呼ばれていた。「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭(がしら)の拝領地であり、藍染(あいぞめ)職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来している。
1947年(昭和22年)、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町となる。その後、1965年(昭和40年)の住居表示の実施に伴って、神田東紺屋町の一部は神田松枝町(かんだまつえだちょう)、神田大和町(かんだやまとちょう)、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)の一部、神田元岩井町(かんだもといわいちょう)の一部と合併して、岩本町二丁目となり、現在に至る。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]。
交通
地内に鉄道駅はないが、町域西部では神田駅、南部では総武快速線・新日本橋駅が、東部では東京メトロ日比谷線・小伝馬町駅がそれぞれ利用可能である。
施設
脚注
外部リンク