神田松永町(かんだまつながちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0023[2]。
地理
千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、台東区秋葉原に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に台東区台東一丁目、千代田区神田和泉町にそれぞれ接する。南部は千代田区神田佐久間町一丁目に接する。南西部は千代田区神田花岡町に接する。西部は千代田区神田相生町・神田練塀町に接する。神田松永町は秋葉原駅付近の昭和通り沿いの一角で、主に商業地として利用される。
歴史
元禄11年(1698年)、現:外堀通りが現:鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現:千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現:中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日、住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代の外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。
明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、間違いなくこれからの時代来るのは活動写真明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]。
交通
町域内に鉄道駅はないが、南側すぐの所に秋葉原駅がある。
施設
脚注
外部リンク