奥平 昌猷(おくだいら まさみち)は、豊前国中津藩7代藩主。中津藩奥平家11代。
略歴
文化10年(1813年)3月25日、第5代藩主・奥平昌高の五男として中津で生まれる。天保3年(1832年)11月に兄で第6代藩主の昌暢が死去したため、天保4年(1833年)1月29日に養子として家督を継いだ。直後の11月に百姓一揆が起こるなどしている。
このため、天保6年(1835年)に黒沢庄右衛門を登用して藩政改革を行い、専売の強化を行うなどしている。天保9年(1838年)12月16日に従四位下・大膳大夫に叙位・任官する。天保12年(1841年)に家臣の半知借上を行った。
兄・昌暢と同じく父に先立って天保13年(1842年)9月17日に中津で死去した。享年30。跡を昌暢の遺児で養子の昌服が継いだ。
系譜
- 父:奥平昌高(1781-1855)
- 母:不詳
- 養父:奥平昌暢(1809-1832)
- 正室:なし
- 生母不明の子女
- 養子
奥平家 中津藩7代藩主 (1833年 - 1842年) |
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細川家 |
- 細川忠興1600-1602
- 陣屋を小倉に移し、一旦廃藩。
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小笠原家 | |
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奥平家 | |
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