奥平 昌男(おくだいら まさお)は、豊前国中津藩の第4代藩主。中津藩奥平家8代。
生涯
宝暦13年(1763年)6月14日、第3代藩主・奥平昌鹿の長男として生まれる。安永5年(1776年)7月21日に世子に指名され、12月16日に従五位下・美作守に叙位・任官する。安永6年(1777年)4月16日に元服し、安永9年(1780年)の父の死去により家督を継ぎ、9月22日に大膳大夫に遷任された。
若年のためしばらくは家老による専横が行われたが、不正を行った奉行・家老を粛清して天明2年(1782年)から親政を開始した。しかし、天明3年(1783年)の天明の大飢饉で藩内が大被害を受けると、家老らの巻き返しを受けて実権を奪われ、失意のうちに天明6年(1786年)3月21日に江戸で死去した。享年24。
跡を婿養子の昌高が継いだ。
系譜
- 父:奥平昌鹿(1744-1780)
- 母:桜川萩野
- 養母:禎祥院 - 阿部正允の娘
- 正室:なし
- 婚約者:敬姫(1770-1788) - 島津重豪の次女
- 生母不明の子女
- 男子:昂次郎
- 女子:八千代 - 本明院、奥平昌高正室
- 養子
奥平氏 中津藩4代藩主 (1780年 - 1786年) |
---|
細川家 |
- 細川忠興1600-1602
- 陣屋を小倉に移し、一旦廃藩。
|
---|
小笠原家 | |
---|
奥平家 | |
---|