奥平 昌暢(おくだいら まさのぶ)は、豊前国中津藩6代藩主。中津藩奥平家10代。
生涯
文化6年(1809年)1月25日、第5代藩主・奥平昌高の次男として江戸で生まれる。長兄が早世していたため、生まれてすぐに世子となった。文政5年(1822年)12月16日に従四位下・美作守に叙位・任官する。文政8年(1825年)5月6日、父の隠居により家督を継ぎ、大膳大夫に遷任した。
藩政は隠居した父と協力して行い、新田開発や藩法改正などの改革を積極的に行うなどしたが、父に先立って天保3年(1832年)11月30日に江戸で死去した。享年24。
子の昌服は3歳の幼少だったため、弟の昌猷が跡を継いだ。
系譜
- 父:奥平昌高(1781-1855)
- 母:歌子
- 正室:国子 - 芳蓮院、徳川斉敦の娘
- 室:照寿院
- 生母不明の子女
- 養子
奥平家 中津藩6代藩主 (1825年 - 1832年) |
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細川家 |
- 細川忠興1600-1602
- 陣屋を小倉に移し、一旦廃藩。
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小笠原家 | |
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奥平家 | |
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