大邦 一公(おおくに いっこう、1900年1月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。本名重浦 晃(しげうら あきら)、旧芸名大国 一郎(おおくに いちろう、大国 一朗とも)、大国 一公(おおくに いっこう)、大国 保(おおくに たもつ)[1][2][3][6][11]。東宝の映画データベースは「大邦 一公」の読みを「おおくに かずきみ」としている[9]。
人物・来歴
1900年(明治33年)1月1日、高知県に生まれる[1][2][6]。
1920年代の初期から「大国 一郎」の芸名を名乗り、神奈川県横浜市山下町31番地(現在の同市中区元町1丁目77番地)で1920年(大正9年)4月に設立設立された大正活映(1922年製作中止)で映画に出演したり、地方巡業を行う劇団で実演をしていた[1][2]。『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)および『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)によれば、1926年(大正15年)、京都府京都市右京区御室のマキノ・プロダクションに入社、『鳴門秘帖』(監督沼田紅緑)に出演とされているが[1][2]、日本映画データベースによれば、同年から翌1927年(昭和2年)にかけての時期は、当時、同プロダクションと密接な提携関係にあり、「マキノ東京派」と呼ばれた高松豊次郎が主宰するタカマツ・アズマプロダクションの製作するサイレント映画にもっぱら出演している[3]。マキノ・プロダクション御室作品への出演が本格的に始まるのは、同年3月31日に公開されたマキノ正博監督の『謎の一夜』以降である[3]。1928年(昭和3年)3月14日に公開された牧野省三監督による大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』には、「吉良の家来・和久牛太郎」役と「狂人・荒物屋千五郎」役の二役で出演している[3]。同作は、マキノ正博が所長を務めたマキノ・プロダクション名古屋撮影所で松の廊下等のセットが組まれており、同じく同撮影所が製作、同年4月3日に公開された富沢進郎監督の『旋風児』にも出演した[3]。同年秋には、東京府荏原郡蒲田町(現在の東京都大田区蒲田5丁目)にあった松竹蒲田撮影所に移籍した[1][2][3]。同社では、現代劇の喜劇映画に多く助演した[3]。
1934年(昭和9年)、日活が同年に北多摩郡調布町大字布田小島分(現在の東京都調布市多摩川6-1-1、角川大映撮影所)の日本映画撮影所を買収して開いた日活多摩川撮影所に移籍している[1][3]。同社で初めてトーキー作品に出演した[3]。その後、関西新派の女形・梅野井秀男の一座に招かれ、梅野井のお吉に大国がタウンゼント・ハリスを演じた『唐人お吉』の演目で、満州国(現在の中華人民共和国東北部)や日本統治時代の朝鮮を巡業する旅に出た時期があった[1]。1938年(昭和13年)には、京都の日活京都撮影所に移籍、「大国 一公」と改名した[1][3]。1942年(昭和17年)1月27日の戦時統合による大映の設立以降も継続入社、日活京都撮影所改め大映京都第一撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に所属して、脇役出演を続けた[1][3]。
第二次世界大戦終結後は、当初、東京の東宝(現在の東宝スタジオ)に出演したが、やがて東宝争議により新東宝での出演が増え、1952年(昭和27年)には「大邦 一公」と改名した[1][3]。1953年(昭和28年)秋からは拠点を京都に移し、大映京都撮影所、松竹京都撮影所、東映京都撮影所を渡り歩き、おもに時代劇の悪役を演じた[1][3]。この時期、テレビ映画にも出演している[10]。1964年(昭和39年)以降は、拠点を東京に移し、フリーランス的に仕事をした[3]。満67歳となった1967年(昭和42年)7月11日に公開された成人映画『快楽の罠』に出演しているが、これは戦後の京都時代につきあいのあった深田金之助が製作・監督した作品であり、本作以降の出演記録は見当たらない[3][4][6]。没年不詳。時期は不明であるが、女優の黒田記代(本名富田千代、1915年北海道札幌市生まれ)[12]の実姉と結婚した[1]。
フィルモグラフィ
すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[11][13]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
マキノ・プロダクション御室撮影所
特筆以外すべて製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、すべて配給は「マキノ・プロダクション」、特筆以外すべてサイレント映画、すべて「大国一郎」名義である[3][4]。
松竹蒲田撮影所
特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画、特筆以外すべて「大国一郎」名義である[3][4]。
日活多摩川撮影所
特筆以外すべて製作は「日活多摩川撮影所」、すべて配給は「日活」、特筆以外すべてトーキー、すべて「大国一郎」名義である[3][4][8]。
日活京都撮影所
特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」、すべて配給は「京都」、すべてトーキー、「大国一公」名義である[3][4][8]。
- 『赤垣源蔵』(戦後改題『忠臣蔵 赤垣源蔵 討入り前夜』) : 監督池田富保、1938年11月17日公開(戦後版1954年11月30日公開) - 戸田源兵衛
- 『荒獅子』 : 監督松田定次、1938年12月15日公開 - 千塚小太郎
- 『魔像』(『大岡政談 魔像』[8]) : 監督稲垣浩、1938年12月31日公開 - 光明寺大成
- 『続魔像 茨右近』 : 監督稲垣浩、1939年1月14日公開 - 光明寺大成
- 『股旅の唄』 : 監督松田定次、1939年3月23日公開 - 脇侍・清水三左衛門
- 『江戸の悪太郎』 : 監督マキノ正博、1939年5月4日公開 - 戸川左近太郎、84分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『鞍馬天狗 江戸日記』 : 監督松田定次、1939年7月1日公開 - 植村芳太郎
- 『山彦呪文』 : 監督菅沼完二、1939年8月10日公開 - 中泉大和
- 『うぐいす侍』(『うぐひす侍』[8]) : 監督丸根賛太郎、1939年8月31日公開 - 黒高斡之進
- 『戦鼓』 : 監督倉谷勇、1939年9月14日公開 - 隊士・大庭
- 『無明有明 前篇』 : 監督松田定次、1939年10月19日公開 - 金菱の八右衛門
- 『三味線武士』 : 監督衣笠十四三、1939年11月15日公開 - 松平下総守、86分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『海援隊』 : 監督辻吉朗、1939年11月30日公開 - 教官・西川
- 『無明有明 後篇』 : 監督松田定次、1939年12月1日公開 - 金菱の八右衛門
- 『純情一代男』 : 監督松田定次、1939年12月21日公開 - 熊野八右衛門
- 『鍔鳴浪人 前篇』 : 監督荒井良平、1939年12月30日公開 - 益満休之助
- 『鍔鳴浪人 後篇』 : 監督荒井良平、1940年1月6日公開 - 益満休之助
- 『乱れ柳女仇討』 : 監督衣笠利彦(衣笠十四三)、1940年1月10日公開 - 輪田進藤太
- 『涙の捕縄』 : 監督松田定次、1940年2月1日公開 - 黒門町甚兵衛
- 『元禄武士道』 : 監督倉谷勇、1940年2月22日公開 - 小林平八郎
- 『右門捕物帖 金色の鬼』 : 監督丸根賛太郎、1940年3月7日公開 - 戸川周平
- 『仇討交響楽』 : 監督丸根賛太郎、1940年5月11日公開 - 親方常右衛門
- 『大楠公』 : 監督池田富保、1940年6月16日公開 - 久我道長卿
- 『主従無上』 : 監督田崎浩一、1940年7月6日公開 - 妹尾太左衛門
- 『折鶴秘帖』 : 監督紙恭平、1940年7月13日公開 - 土屋讃岐守(大目付)
- 『牢獄の狼』 : 監督松田定次、1940年8月1日公開 - 亭主・八兵衛
- 『血煙神田祭』 : 監督菅沼完二・田崎浩一、1940年8月8日公開 - 善助
- 『浪曲一代男』 : 監督組田彰造、1940年8月29日公開 - 座元
- 『護国の鬼』 : 監督松田定次・倉谷勇、1940年9月5日公開 - 坂本竜馬
- 『まぼろし城 第一部』(『まぼろし城 第一話 飛騨の渦潮』[8]) : 監督組田影造(組田彰造)、1940年10月10日公開 - 乾兵庫
- 『鳥人』 : 監督丸根賛太郎、1940年10月24日公開 - 経堂重兵衛
- 『北海に叫ぶ武士』 : 監督松田定次、1940年10月28日公開 - 八幡屋六右衛門(廻船問屋)
- 『まぼろし城 第二部』(『まぼろし城 第二話 死の旋風』[8]) : 監督組田影造、1940年11月1日公開 - 乾兵庫
- 『まぼろし城 第三部』(『まぼろし城 解決篇 木曽路の凱歌』[8]) : 監督組田影造、1940年11月23日公開 - 乾兵庫
- 『北海に叫ぶ武士』 : 監督松田定次、1940年11月28日公開 - 廻船問屋・八幡屋六右衛門
- 『天保異変 かんざし地蔵』 : 監督衣笠十四三、1940年12月25日公開 - 牧静馬
- 『右門江戸姿』 : 監督田崎浩一、1940年12月30日公開 - 吉沢主膳
- 『神変麝香猫 第一篇 地獄の門』 : 監督荒井良平、1940年12月30日公開 - 画猫道人
大映京都第一撮影所
特筆以外すべて製作は「大映京都第一撮影所」、すべて配給は「映画配給社」、以下すべてトーキー、「大国一公」名義である[3][4]。
- 『維新の曲』 : 監督牛原虚彦、応援監督木村恵吾、製作大映京都撮影所、1942年5月14日公開 - 松平慶永、113分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『独眼龍政宗』 : 監督稲垣浩、1942年7月2日公開
- 『伊賀の水月』 : 監督池田富保、製作大映京都撮影所、1942年8月13日公開 - 成瀬隼人正
- 『三代の盃』 : 監督森一生、製作大映京都撮影所、1942年12月11日公開
- 『富士に立つ影』 : 監督池田富保・白井戦太郎、製作大映京都撮影所、1942年12月27日公開 - 玉置左内
- 『二刀流開眼』 : 監督伊藤大輔、1943年5月13日公開 - 庄田喜左衛門、91分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『マリア・ルーズ號事件 奴隷船』 : 監督丸根賛太郎、製作大映京都撮影所、1943年9月2日公開 - ウッドマン
東宝
特筆以外すべて製作・配給は「東宝」、芸名が途中で「大国一公」から「大邦一公」名義に変更された[3][4][6][9]。
- 大国一公 名義
- 大邦一公 名義
- 『四十八人目の男』 : 監督佐伯清、1952年6月26日公開 - 井口嘉兵衛
- 『次郎長三国志 第一部 次郎長売出す』 : 監督マキノ雅弘(マキノ正博)、1952年12月4日公開 - 馬定、82分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『びっくり六兵衛』 : 監督組田影造、製作東京映画、配給東宝、1953年1月3日公開 - 医者玄沢
- 『親分の青春』 : 監督村田武雄、製作東京映画、配給東宝、1953年1月15日公開
- 『江戸ッ子判官』(『江戸っ子判官』) : 監督中川信夫、1953年2月5日公開 - 寄席の頭取
- 『恋人のいる街』 : 監督阿部豊、製作東京映画、配給東宝、1953年2月19日公開 - 街の紳士
- 『總理大臣の恋文』(ラブレター) : 監督斎藤寅次郎、1953年2月25日公開 - 浦田千兵衛
- 『逃亡地帶』 : 監督杉江敏男、製作東京映画、配給東宝、1953年3月19日公開
- 『安五郎出世』 : 監督滝沢英輔、1953年4月22日公開
- 『続 浮雲日記』 : 監督並木鏡太郎、製作東京映画、配給東宝、1953年5月20日公開 - 壮士栗山
- 『戦艦大和』 : 監督阿部豊、製作・配給新東宝、1953年6月15日公開 - 老兵、101分尺で現存(NFC所蔵[11])
大映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、すべて配給は「大映」、すべて「大邦一公」名義である[3][4]。
- 『伊太郎獅子』 : 監督田坂勝彦、1955年1月3日公開 - 鶴田
- 『地獄谷の花嫁』 : 監督荒井良平、1955年1月22日公開 - 朝日奈河内守
- 『次男坊鴉』 : 監督弘津三男、1955年1月29日公開
- 『戦国秘聞』 : 監督大岩大介、製作リリア・アルバ映画、配給共和映画、1952年10月30日完成・1955年2月25日公開 - 天城軍十郎
- 『花ざかり男一代』 : 監督森一生、1955年2月26日公開
- 『天下を狙う美少年』 : 監督荒井良平、1955年4月8日公開 - 常楽院天忠
- 『つばくろ笠』 : 監督田坂勝彦、1955年5月15日公開 - 国家老平松十太夫
- 『海の小扇太』 : 監督志村敏夫、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1955年6月29日公開 - 側用人荒木新兵衛 [9]
- 『銭形平次捕物控 どくろ駕籠』 : 監督田坂勝彦、1955年7月12日公開 - 梅木道庵
- 『疾風の晴太郎』 : 監督佐藤幸也、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1955年7月12日公開 - 根津の勘八
- 『花の二十八人衆』 : 監督斎藤寅次郎、1955年8月9日公開 - 保下田の久六
- 『綱渡り見世物侍』 : 監督加戸敏、1955年9月6日公開 - 広瀬主膳
- 『長崎の夜』 : 監督森一生、1955年9月13日公開 - 警察署長、88分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『新・平家物語』 : 監督溝口健二、1955年9月21日公開 - 市場の商人、107分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『悪太郎売出す』 : 監督荒井良平、1955年10月19日公開 - 平本平助
- 『荒獅子判官』 : 監督佐々木康、製作東映京都撮影所、配給東映、1955年11月8日公開 - 田口加賀守
- 『怪盗と判官』 : 監督加戸敏、1955年12月7日公開 - 村雨藤五郎
- 『元禄美少年記』(『元禄美少年録』) : 監督伊藤大輔、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1955年12月21日公開 - 廣瀬半助、108分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『黒田騒動』 : 監督内田吐夢、製作東映京都撮影所、配給東映、1956年1月8日公開 - 阿部忠利、108分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『まらそん侍』 : 監督森一生、1956年2月5日公開 - 政五郎
- 『旅がらす伊太郎』 : 監督野村芳太郎、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1956年3月4日公開 - 乾分半次
- 『隠密七生記 剣雲碓氷峠の乱陣』 : 監督渡辺邦男、製作・配給新東宝、1956年3月27日公開 - 牧兵六
- 『浅太郎鴉』 : 監督三隅研次、1956年3月28日公開 - 中山誠一郎
- 『続隠密七生記 龍攘虎搏の決戦』 : 監督渡辺邦男、製作・配給新東宝、1956年4月1日公開 - 牧兵六
東映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「東映京都撮影所」、すべて配給は「東映」、すべて「大邦一公」名義である[3][4]。
- 『りんどう鴉』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年1月15日公開 - 浜田十太夫
- 『旗本退屈男 謎の紅蓮塔』 : 監督松田定次、1957年1月15日公開 - 平川鉄心斎
- 『鼠小僧忍び込み控 子の刻参上』 : 監督田坂勝彦、製作大映京都撮影所、配給大映、1957年1月29日公開 - 佐久馬源之進(北町奉行筆頭与力)
- 『花まつり男道中』 : 監督小沢茂弘、1957年1月29日公開 - 磯松
- 『大名囃子 前後篇』 : 監督佐々木康、1957年3月13日公開 - 永井三郎兵衛
- 『鳳城の花嫁』 : 監督松田定次、1957年4月2日公開 - 熊野主膳、85分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『折鶴さんど笠』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年5月7日公開 - 強羅市之丞
- 『怪猫夜泣き沼』 : 監督田坂勝彦、製作大映京都撮影所、配給大映、1957年6月18日公開 - 磯早豊前
- 『仇討崇禅寺馬場』 : 監督マキノ雅弘、1957年6月25日公開 - 柳生侯、92分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『赤城の血煙 国定忠治』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年7月1日公開 - 中山誠一郎
- 『緋ぼたん肌』 : 監督萩原遼、1957年7月2日公開 - 阿部豊後守
- 『大菩薩峠』 : 監督内田吐夢、1957年7月13日公開 - 紀州藩士、119分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『雪姫七変化』 : 監督伊賀山正光(伊賀山正徳)、1957年7月23日公開 - 藤川三郎兵衛
- 『伝七捕物帖 銀蛇呪文』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年9月22日公開 - 近江屋惣右衛門
- 『次郎長外伝 石松と追分三五郎』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年10月23日公開 - 黒駒の勝蔵
- 『朝晴れ鷹』 : 監督松村昌治、1957年12月1日公開 - 赤尾伝蔵
- 『赤城の子守唄』 : 監督芦原正、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年12月10日公開 - 清水の岩鉄
- 『伝七捕物帖 髑髏狂女』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年1月9日公開 - 家老山根将監
- 『江戸群盗傳』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年4月1日公開 - 皆次
- 『二等兵物語 死んだら神様の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年4月20日公開 - 小倉大佐
- 『天保水滸伝』 : 監督渡辺邦男、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年5月13日公開 - 清水の次郎長
- 『大岡政談 謎の逢びき』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年7月13日公開 - 三国屋
- 『太閤記』 : 監督大曾根辰夫、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年8月10日公開 - 役名不明、100分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『浮世風呂』 : 監督木村恵吾、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年8月24日公開 - 田辺吉十郎
- 『大東京誕生 大江戸の鐘 風雲篇 開花篇』 : 監督大曾根辰夫、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年9月30日公開 - 竹中丹後守
- 『水戸黄門漫遊記』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年11月11日公開 - 赤松大五郎
- 『大盗小盗』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年11月30日公開 - 庄屋儀右衛門
- 『七人若衆大いに売り出す』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月21日公開 - 滝川の吉蔵
- 『忠臣蔵 暁の陣太鼓』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月21日公開 - 村上庄左衛門
- 『二等兵物語 あゝ戦友の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年12月28日公開 - 連隊本部連隊長仙波大佐
- 『朝やけ雲の決闘』 : 監督萩原遼、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年1月22日公開 - 石山外記
- 『伝七捕物帖 女肌地獄』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年2月10日公開 - 田島備中守
- 『かた破り道中記』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所・関西喜劇人協会、配給松竹、1959年3月17日公開 - 北山内膳正
- 『あばれ街道』 : 監督小沢茂弘、1959年3月25日公開 - 馬子
- 『修羅桜』 : 監督大曾根辰夫、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年4月5日公開 - 平賀主膳
- 『二等兵物語 万事要領の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年4月19日公開 - 甚太郎
- 『伊達騒動 風雲六十二万石』 : 監督佐伯清、1959年6月23日公開 - 稲葉美濃守
- 『旗本退屈男 謎の大文字』 : 監督佐々木康、1959年6月28日公開 - 松平伊賀守
- 『水戸黄門漫遊記 御用御用物語』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年7月7日公開 - 根岸丹波
- 『伝七捕物帖 幽霊飛脚』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年8月2日公開 - 立花屋徳右衛門
- 『快傑黒頭巾 爆発篇』 : 監督松村昌治、1959年8月2日公開 - 吉見弥五郎
- 『富獄秘帖』 : 監督工藤栄一、1959年9月2日公開 - 天堂勘兵衛
- 『富獄秘帖 完結篇』 : 監督工藤栄一、1959年9月8日公開 - 天堂勘兵衛
- 『伴淳・アチャコのおやじ教育』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年9月20日公開 - 部長
- 『百万両五十三次』 : 監督小沢茂弘、1959年10月18日公開 - 源次
- 『血太郎ひとり雲』 : 監督井沢雅彦、1959年12月9日公開 - 小笠原帯刀
- 『江戸の悪太郎』 : 監督マキノ雅弘、1959年12月13日公開 - 清吉、91分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『かくれた人気者』 : 監督酒井欣也、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1959年12月15日公開 - 梅谷常務
フリーランス
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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