野田学園高等学校
吉村 真晴(よしむら まはる、1993年8月3日 - )は、茨城県那珂郡東海村出身の日本のプロ卓球選手、タレント、YouTuber。右シェーク両面裏ソフトドライブ型。リオデジャネイロ五輪団体銀メダリスト。世界卓球選手権ミックスダブルスの世界チャンピオン。日本人初の男子シングルスアジアジュニアチャンピオン。ITTF世界ランキング最高位混合ダブルス1位.男子ダブルス3位。段級位は9段。株式会社SCOグループ所属。Tリーグは琉球アスティーダ所属。ミックスダブルスの名手。
父は日本人、母はフィリピン人であり、名前の真晴(マハル)はタガログ語で『愛する』を意味する言葉である[1]。弟の吉村和弘、吉村友斗も卓球選手であり、和弘は2014年の全日本卓球選手権大会のジュニアの部で優勝、2017年の同大会一般の部シングルスで準優勝などの成績を残している。
卓球には幼稚園児当時から興味を持ち始め、小学校入学と同時に始めた。吉村の父親が元卓球選手で地元東海村でジュニア世代専門の東海クラブを指導していたことから、吉村も父の指導により厳しく鍛えられた。
小学校は東海村立白方小学校、中学校は宮城県多賀城市の秀光中等学校へ進学、中学校3年時に山口県山口市の野田学園中学校へ転校、その後に野田学園高等学校に進学した。
高校3年生となった2011年になると、2月のジャパントップ12卓球大会に出場し張一博を準決勝で下して決勝に進出、決勝戦で水谷隼の前に敗れはしたが準優勝を果たすと、アジアジュニア卓球選手権男子シングルスで日本人選手として初優勝を飾り世界ジュニア卓球選手権では男子シングルス/男子ダブルス3位の好成績を挙げるなどの躍進ぶりが際立った。
2012年1月に開催された全日本卓球選手権大会では準々決勝で森本耕平、準決勝で松平健太を破り決勝進出を決めると、決勝では前年のジャパントップ12で敗れた水谷と対戦、試合はファイナルゲームの3-3まで縺れ込む互角の展開となった。しかしエッヂ、サーブミスで流れが水谷に傾き10-7でマッチポイントを握られて瀬戸際まで追い詰められたものの、そこでタイムアウトをとった吉村は後がない状況の中、今まで出したことのないミドルトスサービスからの速攻で再び流れを呼び込み5本連取し、ゲームカウント4-3で勝利を収め高校生として2人目の全日本王者に輝いた[2]。
2012年4月からは愛知工業大学へ進学した。
2012年、第51回世界卓球選手権団体戦ドルトムント大会、2013年第52回世界卓球選手権個人戦パリ大会の日本代表に選出された。
2015年、スペインオープンで初のプロツアー大会優勝を果たす。
2015年第53回世界卓球選手権個人戦蘇州大会で、38年ぶりとなる混合ダブルス銀メダルを獲得する[3]。
2015年、 馬龍、許昕、樊振東と世界4強選手のうち3人が出場し非常にハイレベルな大会となったジャパンオープンで、1回戦では大会時世界ランキング19位の鄭栄植、2回戦では大会時世界ランキング11位の唐鵬、そして準々決勝では大会時世界ランキング5位の日本のエース水谷に勝ち進んできた大会時世界ランキング16位の朱世爀といった、世界ランキング10位代の強豪選手を3人連続で破り、準決勝では大会時世界ランキング1位の馬龍に勝利して勝ち上がった中国選手の尚坤に劇的な勝利を収め、決勝では許昕に敗れたものの、6人の中国選手と世界のトップ選手が出場する中で大会時世界ランキング30位の吉村が準優勝にまで割り込むという、異例の成績を残した。
2015年ジャパンオープン後の世界ランキングは自己最高となる20位にまで上がり、世界ランキングで村松雄斗、松平を追い抜き水谷、丹羽孝希に次ぐ日本人で3番目となった。2015年9月の世界ランキングでは18位と国内選手では3番目を維持したことから、9月19日に2016年リオデジャネイロオリンピックの3人目の代表に決定した[4][5]。
2016年の世界卓球では団体戦のメンバーに選ばれ銀メダルを獲得した。
3月のカタールオープンではオリンピックを見据えた丹羽とのダブルスで馬龍(世界ランク1位)/許昕(世界ランク3位)の中国ペアを破る金星を挙げ、8月のリオデジャネイロオリンピックでは日本男子初となる団体での銀メダル獲得に貢献した[6]。9月に結婚した事を発表した[7]。2017年4月に長女が誕生した。 2017年6月の第54回世界卓球選手権個人戦では丹羽孝希と組んだ男子ダブルスで銅メダル、石川佳純と組んだ混合ダブルスでは1969年ミュンヘン大会の長谷川信彦&今野安子組以来の世界選手権の優勝を果たした[8]。
2017/18シーズンはロシアリーグのUMMCでプレーしている。
2019年の第55回世界卓球選手権個人戦は当初出場予定が無かったが、張本智和が怪我をしたために急遽石川佳純との混合ダブルスに出場した。決勝で敗れるも銀メダルを獲得し、3大会連続の混合ダブルスでのメダルとなった[9][10]。
Tリーグの1stシーズンはT.T彩たまに所属し、2ndシーズンから琉球アスティーダに移籍した[11]。
2021年11月、『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』(テレビ朝日)の収録中に肋骨を骨折する怪我をしたことを発表した[12]。
2021年11月、同年5月に超低出生体重児として長男が出生していたこと、約6か月を経て同日自宅退院したことを報告した[13][14][15]。
2021年12月、「もう一度パリ五輪を目指す」との覚悟の下、スポンサーであるTRAILのバックアップを得て、マネージャーの立石イオタ良二、コーチの時吉佑一、マッサーの阿部実智信、メンタルトレーナーの辻秀一、弟の吉村和弘らと「チーム・マハル」を結成した[16][17]。
2022年10月、Tリーグの復帰戦を勝利で飾った[18]。
2023年1月、世界卓球ダーバン大会 アジア大陸予選会 GROUP2の決勝で大会時世界ランキング3位の馬龍相手にゲームカウント4‐3と激闘を制して勝利した。吉村は2019年ブダペスト大会以来の世界卓球出場となり、シングルスでは自身初の代表権獲得となった[19][20]。
2023年9月、2015年のクロアチアオープン以来となる国際大会シングルス優勝を飾った[21][22]。
2024年4月、株式会社SCOグループとの所属契約を結んだ[23]。
※最高成績
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