加藤 美優(かとう みゆ[1]、1999年4月14日[1] - )は、日本の女子卓球選手。東京都武蔵野市出身。 Tリーグは2022年4月まで日本ペイントマレッツ所属[3][4]、最終学歴は中央高等学院[2][5]。右利き。血液型はA型。段級位は4段。
父が卓球選手。卓球との出会いは温泉卓球[6]。6歳で本格的に卓球を始める。練習場所は吉祥寺の祖父母のガレージ[1]。幼少期は美鷹クラブ、T.O.M卓球倶楽部、TKOクラブで腕を磨いた。
卓球を始めてから11ヶ月(7歳=小1)で出場した平成18年度全日本選手権大会(バンビの部=小2以下)でベスト8となり、その大会のベスト16で加藤と対戦した相手が平野美宇選手(年長)(平野卓研=当時)であった。また同ベスト8で対戦した相手は浜本由惟(小2)(すみよし長居TC=当時)で、浜本はこの大会で優勝した。また同大会で同じくベスト8と成った伊藤美誠(年長)(豊田町卓球スポーツ少年団)など、平成21、22、23年度全日本卓球選手権(一般・ジュニアの部)等で大活躍している小学生たちの原点がここにある。なお加藤の他に1学年下の伊藤、平野美宇、早田ひなの3人を加えた世代は黄金世代と言われている。
2008年及び2009年の全国ホープス卓球大会では当時在籍していた卓球の名門美鷹クラブで優勝した。
2011年4月に出場したITTFジュニアサーキットグアム大会のカデット(15歳以下)シングルスとジュニアダブルスで優勝した。
2012年1月の全日本卓球選手権大会女子シングルスでベスト32(5回戦)まで勝ち上がった。小学生で5回戦というこの記録は福原愛以来で、小学生での4勝は福原の3勝を抜く史上最年少記録を抜く快挙であった。
2012年4月から日本オリンピック連盟が運営するJOCエリートアカデミーの所属となり、親元を離れナショナルトレーニングセンターで、仲間と共同生活をする事となった。
2012年9月の世界ジュニア代表選考会で優勝し、日本人として史上最年少出場(中1)と成ったがその後に発表された代表推薦枠で伊藤(小6)が最年少出場となった。
2013年1月の全日本卓球選手権大会女子シングルスで初のランキング16入りをした。中学1年生でのランク入りは2003年での福原以来の事であった。
2014年1月の全日本卓球選手権女子シングルスで2年連続のランキング16入りを果たした。ジュニア女子では決勝戦で平野との中学生対決(同門エリートアカデミー対決)を制し初優勝を果たす。なお中学生の全日本ジュニア優勝は福原、石川に次ぐ5人目であった。
2015-16シーズンよりドイツ卓球ブンデスリーガのベルリン・イーストサイドに加入。8月、リオデジャネイロオリンピックの閉会式の五輪旗の引き継ぎ式の映像パートに起用される[7]、11月には世界ジュニア卓球選手権のメンバーに選出された、団体では出場にあまり恵まれなかったが、シングルスでは女子メンバー最高位4位(銅メダル)を獲得、ダブルスは早田ひなとのペアで準優勝。12月25日、2017年の世界選手権デュッセルドルフ大会の日本代表選考会で優勝し、女子代表に内定した。
2017年4月1日より日本ペイントと契約を発表[3][4]、6月の第54回世界卓球選手権個人戦では1回戦、2回戦と順調に勝ち進み3回戦は梁夏銀にフルゲームの末に勝利、4回戦では前回大会の銅メダリストの木子に敗れベスト16に終わった、11月には世界ジュニア卓球選手権のメンバーに選出され女子チームの最年長としてキャプテン、エースと団体では準優勝、シングルスは前回大会と同じ4位(銅メダル)を獲得、ダブルスでも長﨑美柚とのペアでも4位(銅メダル)を獲得した。
2019年3月、2019年の世界選手権ブダペスト大会の日本代表最終選考会では準決勝で優勝候補であった早田ひなをゲームカウント3-3の5-10から逆転で勝利し決勝でも森さくらに4-1で勝利し優勝し、女子代表に内定した。4月その2019年の世界選手権ブダペスト大会では4回戦では鄭怡静に勝利、準々決勝では劉詩雯に1-4で敗れベスト8に終わった。7月のT2ダイヤモンドマレーシア大会では1回戦で伊藤美誠、2回戦では世界ランキング1位の陳夢を破る金星を挙げた その後準決勝では朱雨玲、3位決定戦では丁寧に敗れたものの日本選手最高4位の入賞を果たした。
2020年、ITTFファイナルズで世界ランキング1位の陳夢相手に2-4で惜敗するも善戦するという結果を残し、コロナ禍の中で行われたTリーグでは、シングルス13勝をあげ、後期MVPに輝いた。
2021年6月、アジア選手権ドーハ大会日本代表選考合宿準々決勝で早田ひな(日本生命)と激戦を繰り広げるも、1-3で惜敗した。
2024年1月、全日本選手権の出場を辞退し、休養のため当面の間競技活動を休止する[8]。
2025年3月、2025年度の日本肢体不自由者卓球協会のナショナルチームのコーチに就任[9]。
憧れの選手はヤン=オベ・ワルドナー、ヨルゲン・パーソンで父がよく映像を見ていたから一緒になって見るようになりファンになった。 攻守に安定感のあるオールラウンドプレーヤー[10]、特に手首の柔らかさを生かしたバックハンド[3] の強打の威力がある。
またチキータに逆回転をかけたオリジナルのサーブレシーブの「ミュータ」がある。またサーブではしゃがみ込みサーブを得意とする。
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